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過激な両極端の思想について

21 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/30(水) 23:03:01
これは真理であると思います。
実際、超右翼と言ってよい、ファシズム体制を築いた戦前ドイツ、イタリアの政権での主要人物は、そのほとんどが、かつては共産主義を信奉していました。ヒトラーも若い頃に左翼的な社会主義運動に関わっていた時期もありました。
第二次大戦中に日本に国家社会主義的思想を吹き込んでいた思想家・政治家にも、やはり過去に社会主義運動に傾倒していた人間がたくさんいました。
国家主義者から共産主義者へ、そして共産主義者から国家主義者への転向は史上多く見られました。
これは、これらの思想が、地盤において、多くの共通する要素を持つ何よりの証左であるのではないでしょうか?
 
 
右翼と左翼は似たもの同士ではないか、という疑問に対するレスです。
戦後、我が日本国には「進歩的文化人」と呼ばれる知識人が跋扈していました。これは一言で言えば、左翼的な思想を持った知識人のことです。
彼らの中には、主に二種類のタイプがありました。
一方は、戦前からずっと一貫して共産主義を信じ続けてきて、戦時中の圧迫の中にあっても決してその志を変えずに終戦を迎え、戦後やっと公然と活動できるようになったタイプ。
そして、他方は、戦前は国家社会主義的な思想の持ち主であったにも関わらず、戦争が終わった途端に共産主義者に変節したタイプ。
戦後、日本の世論をリード(ミスリード?)してきた「良心的知識人」達は、後者のタイプが圧倒的に多いことに注目すべきであると思います。
かつてハイエクは、共産主義と国家社会主義は同根のイデオロギーである、と主張しました。前者から後者へ、後者から前者へ変節する人間が、史上、日本を含む世界で沢山見られたことからも、この主張が妥当なものであると思わざるをえません。
そして、この何れの思想も、普遍的な思想とはなりえないとも私は考えます。
では、普遍的な思想とは何か?
それは、民主的な自由主義であると思います。おそらく今後、これに替わる新たなイデオロギーが登場することはないでしょう。なぜならば、人間は真の自由を望んでいるもので、この体制こそが、それを保障する唯一の体制であるからです。

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類は友を呼ぶ

18 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/30(水) 01:09:26
>>16
好悪の感情は誰にでもあるものです。
なので、誰でも、嫌いな人間もいれば、好きな人間もいるものです。
しかし、大きく分けて人間には二種類のタイプがいると思います。
人類全体を愛している人間と、人類全体を憎んでいる人間という。
前者のタイプは前者と、後者のタイプは後者と結びつくのが人間社会の本質であるような気がするのです。
前者の関係は、お互いに助け合い、励ましあい、常に相手の成功・幸福を願いながら付き合いを続けていきます。
しかしながら、後者の関係は、お互いに嫉妬し合い、足を引っ張り合い、常に相手の堕落・不幸を願いながら付き合いを続けていきます。
真に幸福になりたいと願うのであれば、前者のような関係を築けるような人間になるべく努力をしなければならないと思うわけです。
 
 
少々抽象的に過ぎたかもしれません。
具体的に言うならば、「類は友を呼ぶ」という格言に、上記の内容は集約されると思います。
それが真理だと信じるがゆえに、私は、己の人格の向上を常に忘れずに日々を送り、真の友情を築き上げていきたいと考えています。

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人生の意味

30 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/29(火) 23:34:52
この手のスレはこれまでも何度か見た気がして、その度に言ってきましたが、フランクルが言うように、我々の方から人生に対して生きる意味を問うのは間違っているのかもしれません。
そうではなく、人生の方から次々と我々に向かって投げかけてくる課題に1つ1つ誠実に応えていくことにより、やっと何かのきっかけのようなものがつかめてくるのではないでしょうか。
積極的に生きる意味を定義するのは難しいし、あまり思い悩みすぎると下手をすれば、答えを出せずに絶望し、自殺に走ってしまうようなことにもなりかねません。
我々は、行動する中で生きる意味を感じ取っていくべきだと私は考えます。
 
 
昔読んだフランクルの本の中に書いてあって、とても共感を覚えた思想です。
確かに、人生の意味などはどれだけそれについて考えたところで答えなど出しようがないものであるのかもしれません。
それよりは、人生の中で1つでも有益な活動を行い、その中から得られる何か、を得ていくことが、人生の意味を知るためには一番有益なのだと私は信じています。

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大生板の現状・・・

411 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/29(火) 00:13:58
>>396
4月のあたりにいたコテの多くは新入生で、リア充になるなりして2chに飽きて姿を消していってしまったのではないでしょうか。
それにしても、議論厨で思い出しましたが、インフィニートやハイワロなど議論系コテの引退は大生板における議論スレの割合を大きく引き下げたような気がします。
  
428 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/29(火) 00:19:25
>>420
政治・人生などの真面目なスレを覗くと、たいてい何時でも彼らがいました。
てか、面子が完全に固定されていたので、彼らがいなくなった今その系統のスレの閑散ぶりは悲しいものがあります。
 
445 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/29(火) 00:23:23
コテは奈々氏のために踊れ、が伝統的な大生板の価値観となっているのでしょうね。
しかし、今の固定はそこまで奉仕精神に満ちてはいないだろうし、また、そうある必要もあるのか疑問に思う部分もあります。
   
 
再び大生板の現状について話し合ってきました。
議論系コテがほとんど皆引退してしまい、板から真面目なスレが激減してしまった印象があります。
これからの大生板がどういう方向に進んでいくのか分かりませんが、私の希望を言えば、もう少し固いスレが増えればバランスがよくなるのではないかとは思いますね。

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性格のよさとは何か

30 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/27(日) 21:02:53
実際、どれだけ内面にドス黒い感情を蓄えていようと、人前でめったにそれを見せずに、仮面をかぶり続けられる人を、世間では「よい人」と呼ぶものです。
しかし、その手の人間は、家族や恋人の前では、裏の顔を見せてしまったりもします。
モラハラなどの加害者は、世間では「よい人」で通っている人間に多く見られる点に注意を促すべきです。
もちろん裏表がなく、本当に優しい人間も中にはいて、こういう人をこそ真に性格がよい人と呼ぶべきなのでしょう。
 
 
世間で「よい人」として通っている人の中には、表面的な顔を取り繕っているだけで、実際は善良でもなんでもない人間がまれにいるものです。彼らにとっての「優しさ」とは、所詮は彼らなりの処世術にしか過ぎず、自分の利益に合致しないと分かれば、彼らは途端に豹変します。
まあ、「彼ら」などと、まるで私が過去に誰か例を知っているような書き方をしましたが、人生経験の少ない私は、過去にそのような人間に会った経験は幸か不幸かまだありません。というより、その手の人間と深く付き合って相手の本性を目にした経験がない、と言ったほうが正確でしょうか・・・。あまり、考えたくはありませんが、同級生の中にもそういう人間がいたのかもしれません。
それはともかく、私は、そのような表面的な偽りの性格のよさではなく、本当の意味での優れた人格を作り上げていきたいと考えています。

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アンガールズを応援しながら

24時間テレビ始まったようですね。

別に楽しみにしていたわけではありませんが、いつも同様、最後の1時間ぐらいは観るかもしれません。

何でも、24時間マラソンを走るアンガールズが、怪我をしてしまったとかで、ちゃんと最後まで完走できるのか少し心配です。

さて、私も、これに便乗して、大生板において「24時間耐久レスマラソン」というスレを立てようかと思っていた時期もありましたが、それは結局諦めました。

これは、24時間テレビが放送されている間中ずっと、私が寝ずにひたすらレスをつけ続ける、という我ながら馬鹿馬鹿しい企画です。

この二日間暇であれば挑戦してみようかと思っていたのに、幸か不幸か予定が色々と入ってしまったので、実現には至りませんでした。

いえ、多分暇でもやっていなかったと思います。

まず、24時間もレスし続けるだけの話題があるとも思えませんからね。

誰か暇な方、興味があれば挑戦してみて下さい。

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これはひどい・・・

大生板で、所謂「糞スレ」に対して最初の方に投げかけられる嘆きの言葉です。

大生板の最近のスレの立ち具合は少し異常ですらあるような気がします。

夕方帰宅してから、専用ブラウザで、板を更新すると、実に全体の6、7割のスレが新しく立ったスレで埋め尽くされています。それも、ほとんどのスレが単発スレばかり。

そんな状況であるので、この板で新しく立ったスレは次々に消えていきます。

とても回転が速いため、3日も残っているスレは稀なほどです。

一体スレはどれぐらいのスピードで落ちているものなのでしょうか?

板の下の方にあるdat落ち寸前のスレを調べてみると、一番最後の(sageでない)書き込みが、本日の午前1時頃にあります。

つまり、24時間も持たずにスレは落ちてしまうわけです。

このような状況では、せっかく立った名スレも次から次へと消滅していってしまいます。

そして残るのは、個別大学スレやコテによる馴れ合い雑談スレばかり。

前者はともかく後者はそのうち問題になってくるような気がしてなりません。

私もコテなので、全く馴れ合いがないとは言い切れませんが、排他的・閉鎖的な過度の馴れ合いにはならないよう気をつけて活動していきたいと思っています。

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学問間の交流について

言語学版進化論は到底受け入れることのできない暴論の類ではあります。

しかし、我々は、ここから1つだけ学ぶべき点があり、それは、学問の自由な交際、つまり「学際」とでも呼ぶものでしょうか、これがヨーロッパでは古くから伝統として行われてきていた、という点です。

ダーウィン以外にも、例えば、マルクスが、ヘーゲルの弁証法を政治・経済に適用し、弁証法的唯物論なる学説を提唱したのはあまりにも有名です。

日本では、あまりこういう発想には馴染みがありません。学校の授業でも、理科は理科、社会は社会、理科の中で見ても、地学は地学、物理は物理というように科目ごとに細かく学習し、それらの関連について習う機会はほとんどありません。

科目に分けて教えるのは、教務の便宜上やむをえないことではありますが、日本ではそれがゆきすぎてしまい、科目間の連絡がなおざりにされてしまっている点が問題だといえます。

あまり型にはまった思考ばかりに偏らないで、柔軟な自由な発想で物を考えることが、学問だけではなく実生活を送る上でもとても有益なのだと思います。私も、色々な分野の本を読み、多角的な視点で物事を考えられる人間になりたいと考えています。

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日本語は遅れた言語!?

今日は「言語」について書いてみたいと思います。

と言うのも、なぜか今、ずっと前に読んだある本の内容をふと思い出したからです。

それは、「言語の進歩」に関するもので、20世紀初め頃の言語学会で「進んだ言語」「遅れた言語」というのが話題になったことがあったそうです。そして、それを論じ合っていたのはもちろんヨーロッパ人なので、彼らの語族が最も進んでいる、と判定されたのは言うまでもありません。

その理由として、例えばこんな例が挙げられたんだとか。

ヨーロッパの言語は「I have a pen.」というように単語と単語の間に間隔がある。それに対して、日本語や中国語などは「私はペンを持っている」や「我有~」のように単語はすべて膠着している。前者のタイプはより進んだ言語で、後者のタイプは遅れた言語である。

つまり、言語が進歩すると、ヨーロッパのような言語の構造になっていくということです。

今となっては馬鹿馬鹿しい論法のような気もしますが、当時はなぜこのような議論がされていたのでしょうか?おそらくはダーウィンの進化論が学会を騒がせていたからだと思います。ダーウィンが提唱した進化論は、当時の世界に衝撃を与え、その影響は生物界にとどまらず、社会学、経済学、政治学など様々な分野に渡りました。言語学もその影響からは逃れられなかったのでしょう。言語学の中に無理やりダーウィンの思想を輸入した結果、言語学版進化説のような学説が生まれてしまったのだと私は見ています。

(次回に続きます)

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図書館で借りればタダだけれど・・・

今日また古本屋に行き、本を買ってきました。

よく周りの方から「買ってばかりいないで図書館で借りでもしたらどうか?」と提案されることがしばしばあります。

確かに、本を全く買わずに、すべての本を図書館で借りたならば、私の今現在の貯金は、莫大な額になっているのは間違いありません。

しかし、あくまで私は本は「買って読む派」の立場を貫き通したいと思っています。

その理由はいくつかあります。

まず第一に、お金を払って買うのと、無料で図書館から借りるのとでは、本に対する「ありがたみ」が違います。ただで借りたのであれば、読まないまま返しても何も感じませんが、買った本であれば、読まないで放置しておくのは勿体無い気持ちになります。

そして次に、借りた本は、自分の好きなときに読み返せない、という点です。これは場合によっては致命的な欠点となりうると思います。その日の気分により、ある時突然、以前読んだある本が読みたくなったりする瞬間が来るのは誰でも一度か二度は経験があるのではないでしょうか。もしもこの時に、本棚にその本がなければ不幸です。なぜなら、きっと次の日にはもう、その本を読みたいという情熱は冷めてしまっているでしょうから。(このことは、渡辺昇一氏が『知的生活の方法』の中で語っていました)

第三に、本で埋め尽くされている部屋を見ると、なぜだか満足感を感じてしまうという理由があります。私の部屋は、タンスや勉強机、テレビなど最低限必要なものの他は、基本本ぐらいしかありません。本棚にギッシリと本が揃っているだけではなく、床にも綺麗に整理して本を積み重ねてあります。私は、本に囲まれた場所に安心感得る一種の活字中毒者です。

このような理由で、私は原則として本は借りずに買うようにしています。しかし、あまりにも部屋の中が乱雑になってしまうのは嫌なので、今後読み返しはしないだろう本で思い入れの少ない本については古本屋に売っていこうと思っています。

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大生板をホームに!?

昨日は、大学生活板において、多くの書き込みをしてきました。

それで思ったのですが、やはりこの板は、雑談あり議論ありの何でもありの板であり、話題も豊富なので、比較的たくさんのスレに書き込みができますね。

これが、恋愛サロン板やカップル板のような恋愛系の板ですと、話題は当然恋愛系だけに限られ、しかも私の場合は恋愛経験が皆無なので、レスをつけるのが非常に難しい現実がありました。どれだけ頑張っても、10分に1レスぐらいの割合でしか書き込めなかったような気がします。

それが大生板では、書き込もうと思えば、かなり多くのスレに書き込むこともできます。頻度にすると2分に1レスぐらいの迅速さでのレスが可能になってきます。

これは結局のところ、私のホームは、やはりこちらの側にある、ということを意味しているのかもしれません。無理して、本から得た知識だけで、恋愛系の話題についていこうとするのは無謀というものだったのかもしれません。

今後は、こちらの板に活動の拠点をうつしていこうかと考えているところです。

ただ、カップル板と比べると、大学生活板は、2chの悪い要素―誹謗中傷や差別発言など―が多分に含まれている感はあります(と言うよりも、カップル板が2chらしからぬ平和さを保っていると言った方が正確でしょうか)。それでも私はこれまで同様、自らの人格を貶めるような言動は避け、自分の信念を保ちながら、板内で活動を続けていきたいと思います。

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男子校出身者にありがちなこと

130 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/18(金) 00:56:10
>>116
私も男子校出身で、高校時代はそれが彼女がいない原因だと思っていました。
ですが、大学に入り、それが思い上がり以外の何物でもないと知りました。
今思えば、大学でも彼女がいるような同級生は、たいてい高校時代にも彼女がいたり、少なくとも女性の知り合いはいる方が多かったですね。
「男子校だからモテなかった」は多くの場合、喪男の言い訳でしかないのかもしれません。
 
 
上に書いた通りです。私だけではなく、中高と男子校で異性とほとんど接点を持たずに毎日を過ごした大学生は入学当初、「男子校だから・・・」という台詞を好んで口にする傾向があります。
しかし、入学後1、2年もすれば分かりますが、中高時代に異性と接点のなかった男性は、大学に入ってからもやはり接点のないまま、虚しく時間だけが過ぎていってしまう例が多いものです。
私の個人的な知り合いを見ていても、大学生活で彼女ができた同級生は、高校時代にも、それなりに異性との交遊を楽しんでいたように感じました(どこで知り合ったのかは知りませんが)。
もちろん例外はあるでしょうが、積極的な人間は、どんな環境に置かれようとも、自分から行動を起こして、自分にとって最もよいと思える選択肢を常に追い求めているものなのだと思います。
私も最近、彼らを見習って、「言い訳」の類は口にせずに、様々な面で自分から行動を起こしていきたいと考えるようになってきました。

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ミクシィとブログの使い分け

ミクシィとブログ両方で日記をつけている方は、どのようにして日記を書き分けているのでしょうか。

私がこれまでに聞いたり読んだりしたところによると、人それぞれ、様々に工夫して上手く対処しているようです。例えば、ある方は、ミクシィとブログで性格を使い分けるという、私には真似できそうにない芸当を演じていると聞かされました。

また、ミクシィの方を本名で登録している方は、ブログに一般的な話を、ミクシィには個人的な話を載せる、という風にして使い分けているのだと思います。

私の場合は、日記らしい日記はブログの方でほとんど書き、ミクシィはAAを使った「ネタ帳」のような形で活用しています。

ブログを始めてしばらく経ってから気付いたのですが、このココログでは(他も?)、巨大AAが貼れないようなのです。それに対して、ミクシィの日記では綺麗に貼ることができます。そのため、これまでブログで公開したくてもできなかったAAネタをミクシィ上で公開できるようになり、自分としてはとても嬉しく思いました。今後も、面白いと思えるミクシィの活用法を見出していきたいですね。

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ミクシィ晒しについて

57 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/18(金) 20:19:52
最近こういう騒動が起こるたびに、ミクシィで個人情報が洗い出されるケースが相次いでいます。
未来に何が待っているのかは誰にも分かりません。 こうした不幸な事態を避けるためにも、あまりにも個人的な話は、ミクシィ内でも公開しない方がよいのかもしれませんね。
 
 
今流行のミクシィでは、多くの方が本名で登録しています。そのため、昔別れて連絡がとれなくなっていた小学校時代の知り合いを発見したりというとても便利な使い方も確かにできます。
しかし、その一方で、やはりネット上で個人情報を晒す以上は、それなりの覚悟は決めておかなければならない、と思わせるような事態も起こっています。
最近、現実社会で何か事件を起こし、それが報道されたときに、容疑者がミクシィに実名で登録していたために、ネットユーザーにそれを発見されてしまい、個人情報がネット上にばら撒かれたりするケースが後を絶ちません。詳細は控えますが、最近もまたこのような事件が起こり、ネット世界をだいぶ騒がしてしまっているようです。
こういう事態を目にするとき、我々は、いくら会員制のサイトであるとはいっても、個人情報の取り扱いにはよほど慎重でなければならないと感じざるをえません。自分だけが被害を受けるのであれば、私もそれほど気にはしないでしょうが、家族やバイト先など、他人に迷惑をかけてしまっては、申し訳ない気持ちはいつまでも消えないでしょう。
そして、それ以上に、ネットで晒されるような行為を現実世界でしないよう気をつけるのが一番の予防策である点は間違いありません。犯罪や、所謂「DQN発言」などをしたから晒されるというケースが大部分なはずで、社会常識に則った使い方をしていれば、まずそうした被害を受ける危険は少ないだろうとも思うからです。
つまり、結論としては、個人情報の管理には極力注意しつつも、無暗に恐れることなく、法と社会常識に従った生活を送って、楽しくネットを使っていきたいと思う、ということです。

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神保町その2

古本街神保町の模様についてもう少し語ってみたいと思います。

神保町周辺には、何十何百という店舗が集まっているわけですが、その大部分はある特定の方向性に特化した専門店舗です。つまり、「美術」専門店、「社会科学」専門店、「軍事」専門店・・・というように、店舗ごとに置いてある本のジャンルが決まっていたりします。

そのため、自分の欲しい本を見つけるためには、あらかじめネットなりパンフレットなりを調べて、そのジャンルのお店がある場所を確認しておいた方がよいと思います。

さもないと、せっかく神保町に訪れたものの、ただ適当に街中をぶらぶらと歩き回っていただけで、結局目当ての本は見つからず、などという事態にもなりかねません。

私は、何の事前調査もなしに訪れ、気が向くままに古本屋を見て回り、10時間近くはこの場所にいましたが、それでも全体の4分の1も見られませんでした。

ただ、私にとって1つラッキーだったことは、この短時間の間に、私の好きなジャンルを専門に置いている店舗を見つけられたことです。ここには、また次に来たときも必ず足を運びたいですね。

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神保町に魅せられて

今日書く内容は、昨日の続きのようなものです。

私は昨日、千鳥ヶ淵で戦没者に哀悼の意を捧げた後、そのまま帰宅したわけではなく、歩いて神保町まで行き、本を探し回っていたのです。

しかし、相変わらず神保町の凄さには圧倒されます。一体あの狭い区域の中に何軒の古本屋がひしめき合っているのでしょうか?大通りを歩いていると、10軒ぐらい連続で、一階店舗が古本屋であったりします。

しかも驚くのは、一回の店舗が古本屋であるのにとどまらず、ビルの全フロアに古本屋が入っているケースもあったりすることです。

秋葉原で、アニメイトがビルの全フロアを占有しているのを見たときと同じぐらいの衝撃を受けました(一応言っておくと、私はアニメイト会員ではありませんw)。

あれだけ古本屋が密集していると、ガイドブックでもない限りは、効率よくあの街を歩き回るのは不可能な気がします。

それでも時間の許す限り、色々な古本屋を巡り、この街でしか手に入らないであろうレア本を中心に買い漁っていました。

ところで、わざわざ遠くから神保町まで本を買いに行くのであれば、どのような本を買うべきでしょうか?

もちろん「正解」などはありはしないし、各人が自分の好きな本を買えばいいのは当たり前の話ですが、私の買い方は、上で書いたような買い方、つまりここでしか見つからないような本を中心に買う、というものです。

なぜなら、どこでも売っているような本であれば、近所の古本屋やブックオフでも買えるし、そういう店で買った方が安いぐらいだからです。

秋葉で例えれば、普通のパソコンを買いにわざわざ遠くから秋葉まで足を運ぶような行為である、とも言えると思います。そんな普通の商品を買うためだけであれば、近所の電化製品ショップで充分ではないでしょうか。

秋葉の場合は、普通の商品も安いのでまだよいのかもしれませんが、神保町の場合は、商品数こそ多いものの、それらはお世辞にも安いとは言えませんし、大半の商品が、専門書やレア本などの特殊な物ばかりです。

なので、何か特定の目的なしにこの街に行ったのでは、それほど戦果はあげられないと思います。しかし、それがあって訪れるのであれば、ここほど魅力的な街はまたとありません。どんなレア本であっても、どこかの店に入ればきっと見つかるでしょうから。

皆さんも、欲しいレア本があったら、是非一度神保町を訪れてみてください。

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嬉しいハプニング

199 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/15(火) 10:50:20
>>197
今ちょうど靖国の中にいますが…。
これは予想を超えるヤバさですねw。
右翼の街宣車はもちろん、ドイツのネオナチのような、頭に日の丸鉢巻きまいた不気味な集団もいるしハングル語で何か叫んでいる朝鮮人らしき人もいます。
 
72 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/15(火) 11:39:47
今さっき千鳥ヶ淵に移動したのですが、周囲の警護が異様に物々しかったので何事だろう、と思っていたら
何と私が入場して30秒後ぐらいに厳重な警備に守られた小泉首相が参拝に来られました。
靖国参拝があの時間だったので、まさか見られるとは思っていなかったため、とんだサプライズでいい記念になりました。
 
 
小泉首相が、最後の最後になってついに国民との公約を実現してくれました。感無量と言う外ありません。
そして、この私も、約束(?)を守って今日靖国と千鳥ヶ淵に行ってまいりました。
行ったのはいいのですが、あまりにも参拝客が沢山いて、参拝待ちの行列を作っていて、神社の前までたどり着くまでに相当時間がかかりそうな感じだったので、結局遠くから神社を眺め、心の中で戦没者にお礼を言っただけで、靖国からは立ち去ってしまいました。落ち着いて参拝をしたい方は終戦記念日は避けた方がよいかもしれません。
それにしても驚いたのは、警護の物々しさと、靖国周辺を埋め尽くしていた街宣車の数です。靖国から千鳥ヶ淵に移動する途中の道路にずらっと車が止まっていて、その大半がそれ系の車でした。正確な数は分かりませんが、私が今日自分の目で見ただけでも50台以上の街宣車が靖国周辺に駆けつけているように思えました。
私が千鳥ヶ淵を訪れたタイミングは非常によかったようです。何せ、あと一、二分でも遅れていたら、おそらく小泉首相を見ることはかなわなかったでしょうから。ここで参拝する首相に対しては野次も飛ばされていましたが、周りにいた九割以上の方は、首相の行為を支持していたようで、参拝後は盛大な拍手が湧き起こっていました。
私は今回、生まれて初めて終戦記念日に靖国神社を訪れたわけですが、色々な意味で大変刺激的で「真の愛国心とは何か?」を改めて考えてみるよい機会になったと思います。

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首相の靖国参拝は・・・

明日は終戦記念日です。

小泉首相は、公約を果たす最後のチャンスである今回、靖国神社を参拝するのでしょうか?

諸外国からの内政干渉には屈しない態度を示すためにも、是非参拝を行ってほしい、と別にネット右翼でも何でもない私は思っています。

中国や韓国を刺激しかねないから参拝は控えるべきだ、という見方もあります。

経済界からも、日中の経済交流を妨げるおそれがあるから参拝には賛成できない、という意見も提出されました。

しかし、それはあまりにも卑屈で迎合的で誠実さに欠いた対応でしょう。

そもそも、一国の首相が、不幸にも戦争に殉じてしまった方々をどのような形で供養するのかは純然たる内政問題であり、他国にとやかく言われるような性質の問題では断じてありません。首相は、当時の大戦において多くの若者が「靖国神社で会おう」を合言葉に殉じていった事実を重視し、戦没者の供養には靖国参拝が相応しいと判断し参拝したのでしょう。その行為を、他国が公式に批判するのは、まさに内政干渉以外の何者でもありません。そして、国際外交の原則で内政干渉は禁止されています。我々は、他国の不当な内政干渉には毅然とした態度で「ノー!」の意思を表明すべきです。

経済交流云々の意見も、「国益」の観点を欠いた気弱な意見だとしか言えません。おそらく、こういう意見の持ち主は自分では「国益」を最大限尊重しているつもりなのかもしれません。しかし、それは非常に狭い意味での国益、つまりは経済的な側面でのみのそれなのではないか、という疑いがどうしても拭えないのです。

真の国益とは、そんなことではなく、50年後、100年後の日本の姿を見越したものでなければならないと私は考えます。短期的な利益のために、正しい道理、つまりは国家の誇りを売り払ってしまっては、日本国は将来にわたって世界の嘲笑を受け続け、いつしか誰からも相手にされなくなってしまうでしょう。私達は勇気を持って、日本国にとっての真の国益を追求しなければなりません。そして、そのためには今回首相は靖国を参拝すべきではないかと思うのです。

私も明日は、朝から靖国神社と千鳥ヶ淵墓苑に戦没者を供養しにいくつもりでいます。

(余談ですが、その後は神保町に行って、古本を買い込んでこようと思っていますw)

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体育会系の部活

609 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/13(日) 20:25:39
就職面だけ考えて応援部に入部するぐらいであれば他にもっと効率のよい方法がいくらでもあるような気がします。
たとえば、企業とのパイプを沢山持っている教授のゼミに所属できるように頑張る、だとか。
応援部に限らず、体育会系の部活は、どこも相当上下関係が厳しい世界であると聞きます。
 
 
私は今現在どのサークル・部活にも所属していませんし、大学入ってからは一度もそれらに所属した経験はありません。
ですから、知り合いから聞いた話でしかないのですが、体育会系は、中高の部活のようなノリでなかなかシビアな世界だという話です。
サークルであれば、自分の予定を優先して、行ったり行かなかったりでも許されるのに対して、部活では、正当な理由なしに休みが続くと除籍にもなりかねないんだとか。
暇人な私も、何らかの部活にでも所属していれば、今よりは真っ当な学生生活を送れていたのかもしれません・・・。

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足跡帳

足跡帳

1 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/12(土) 20:31:21
作りました♪
スレを開いた方はスルーしないで
一言何か書き込んでいって下さい☆
 
 
2chに上記スレを立ててきました。
2chの論理をミクシィに持ち込むのが嫌われるのと同じように、ミクシィの論理を2chに持ち込むと激しい反発を受けてしまいます。
2chとミクシィとは、お互い反目しあう相手、言ってみればライバルだと言えるような気がします。
聞いたところによると、ミクシィは2chに対抗するために作られたんだとか。
急激に会員数を増やし、社会の注目を集めているミクシィと、電車男で少しは改善したとはいえ、相変わらず社会からは白い眼で見られがちな2ch。
今後の動向がどうなるのか、興味深いところです。

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時間の有限性について

27 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/12(土) 00:56:05
>>25
私もその「普通の人間」ですが、この生き方は確かに楽なことは楽だと思います。
しかし、死を忘れてしまったためか、精神が弛緩してしまい、「生」に緊張感がなくなってきている現実を感じる瞬間もしばしばです。
ただ生きるだけで満足な人間であればいざしらず、常に自分を高め、よりよき生を求める人間にとっては、この平穏な日々は障害にすらなるのかもしれません。
 
 
少々テーマが重いですが・・・。
現代の我々は「死のない世界」に生きています。
核家族化にともない、祖父母の死に直面する機会は少なくなりました。
昔は子供を沢山産んでいて、必ずしも全員が無事に成人できるのではなく、産まれてきた子供の何人かは、不幸にも伝染病などが原因で亡くなってしまうのが普通でした。けれど今では、それは例外的な出来事となりました。
おそらくほとんどの青年は、自分が老人になるまで生きていられるだろうと考え、自分がまさか、若くして不幸にあうだろう、などとは考えてはいないでしょう。
そのため、ときとして、我々は人間の決して避けることのできない運命を忘れてしまっているのではないかと感じることもあります。
人間にとって与えられた時間が有限であるからこそ、人生をよりよく生きていこうという意思が生まれるのだと思います。
それを忘れてしまっては、日々を安穏と過ごしてしまっても、何の疑問も感じることのない人間となってしまうかもしれません。
あまりにも深く「死」を思い悩むのは、哲学者以外の人には有害でもありましょう。
しかし、常に心の片隅にでも、時間の有限性の観念を植え付けておかなければ、大事な状況で判断を誤ることにもなりかねない、私はそんなふうに思うわけです。

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女性から見て本当に童貞はキモいのか?

いない暦=年齢の私だからこそ一つ気がついたことがあります。それは、おそらくネットでも誰かが言っているでしょうが、恋愛には厳然とした二重基準が存在するということです。

それはつまり、男女関係なくイケメンと不細工に対する評価があらゆる側面において真っ二つに分かれるという意味です。

たとえば、「性格が暗い」というどちからと言えば、マイナスイメージを伴う人間の性質で考えてみたいと思います。もし、ブサメンな男性がいつもふさぎこんでいて、誰とも会話をしなかったとしたらどうでしょう。おそらく彼は、「根暗だ」「不気味だ」と罵倒され、到底恋愛対象とはされないでしょう。ところが、イケメンであれば違います。ブサメンの時には「根暗」と呼ばれていた物静かさが、容姿が整っているというだけの理由で信じられないことに「クール」などというプラスイメージに転じてしまうのです。

他にいくらでも例は挙げられます。

イケメン金持ち→高貴

ブサメン金持ち→金の亡者

など。

では、タイトルの答えはどうでしょうか?

もう言うまでもありません。キモい男性の童貞はキモく、イケメンな男性の童貞は歓迎すべきことなのです。決して、童貞という属性がキモいわけではありません。二十歳を超えた童貞がキモがられるのは、おそらくは一般的に、その歳まで童貞であり続けた男性は容姿などがキモいケースが多いからでしょう。

ですが、それはあくまで本人が「キモい」だけであって、別に童貞だからキモいというわけではないと思います。それが証拠に、女性に、男性の童貞について質問すれば、おそらく「好きな男性が童貞であれば嬉しい」という回答が返ってくるはずです。

恋愛関係に厳然と存在する二重基準、これに気付いた時、私たちはまた一歩恋愛マスターへと近づくことができるのだと思います。

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ごんぎつね

735 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/09(水) 20:14:35
>>701
私はアニメマニアではなくアニソンマニアと言った方が当たっています。
特に昔の(20年以上前)アニソンは名曲揃いで持っているCDの大半がこの時代のアニソンです。
ところで今日、日本昔話は名作「ごんぎつね」だったようですが、観た方います?
私も観たかったのですが、バイトがあったので観られませんでした。
でも、今実況板を見たら、エンディングが「人間っていいな」ではなかったようなので、あれが楽しみで観てるところがある私は、それを聞いて、少しだけガッカリ感が小さくなりました。
 
 
日本昔話のエンディングテーマ『人間っていいな』ってなかなかの名曲だと思いませんか?
あまり興味を惹かれない回のときには、本編を観ないで、エンディング曲が流れる時間帯だけ日本昔話にチャンネルを合わせるときもあるぐらいです。
しかし、日本昔話が今日あったとはとんだ誤算でした。昨日までずっと勘違いしていて、今日ではなく明日が放送日だと思っていたのです。そのため、バイトのない明日の夜は、番組を観ながら実況板で実況をする予定でいたのに、それが叶わなかったので少しだけ悔しさがあったりもします。
先日古本屋で『ごんぎつね』を見つけたときにも、テレビのために読みたい衝動を我慢したというのに・・・。
今後行ってまだ残っていたらそのときには読んでみようと思います。

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古書好き読書くん

先月から今月にかけてあまりにも本を買いすぎてしまったかもしれません。

所謂小遣い帳のようなものを私はつけていませんが、ここ一ヶ月ほどで二万円ほどは本に費やしてしまったような気がします。

もちろん普段はそんなには本を買いません。

私は、一度買って気に入った本は繰り返し読む習慣もあり、よほど気に入った本でなければ、古本であっても購入することはなく、通常は月に三千~八千円ほどしか本に対しては使っていないと思います。

私がこの一ヶ月にこれだけ本を買ってしまったのには理由があって、それは、一つは、先月学校のテストがあったので、自習用にテキストを新品で何冊か買ったのと、もう一つは、こうして夏休みになり、暇な時間が増えるので、それに備えて大量に本を買い込んできた、という次第なのです。

私が買う本は、割合昔の本ばかりです。

時代でいえば、1970代以前の本ばかりでしょうか。

その中にはもちろん、古典と称される作品も含まれています。

外国の本であれば、比較的新しい本も読みはするのですが、日本の本は新しいやつはあまり読みません(特に現代文学、村上春樹氏や村上龍氏の作品は一冊も読んだことがありません)。

そのせいで、人と本の話で盛り上がることは苦手です。自分は流行本にはあまり興味がないし、私が興味を持つような内容は、おそらくは大半の方にとっては興味のないことだろうからです。

もっと今の本も読んでみたらどうか、と薦められることもありますが、少なくとも今年の夏は自分の趣味で本を読み続けてみようと考えています。

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ブレイブストーリー

宮部みゆきさん原作の「ブレイブストーリー」が映画化の影響もあり、すごい人気を博しているようです。

この前書店に行ったところ、文庫化された原作本が全部売り切れていて、在庫切れの旨が貼りだしてありました。

それを見たとき私は、あることで軽い後悔の念に襲われました。

と言うのは、この前古本屋に行ったときに見てみたら、文庫版『ブレイブストーリー』全三巻が千円ほどで売っていたのです。

おそらく今はもう売切れてしまっているでしょうが、今思うとあの時買っておけばよかったかもしれないとも思います。

しかし、私は、流行小説で少しでも読みたいと思った本は、流行が過ぎ去って、古本屋の100円コーナーなどに並ぶなどして格安になるまで待つ派なので、実際に読むとしたらおそらく半年後ぐらいになりそうです。

テストも終わったことですし、本を買うかわりに、近いうちに一人で映画の方を観に行ってみます。

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サークル活動を装った勧誘

433 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/06(日) 02:22:54
キャンパス内での宗教系の勧誘活動は結構活発に行われているようですね。
私も、一年の頃に、キャンパスの隅っこの目立たない場所で見るからにそれらしい人に声をかけられて警戒心を抱きながらも少しだけ話をしてみたら
「あなたは今幸せか?」
などの胡散臭い質問を次々と投げかけてきました。
できるだけ相手の術中に填らない方がよいだろうと考えたので、ポジティブな態度で、現状に満足しています、というように受け答えしたところ名前や学年も聞かずに去っていきました。
怪しげなその男性が手にしていたノートには、数多くの学生の学部や本名などの個人情報が記されていましたね。
 
最近、宗教団体の犯罪が話題になりました。
今大学内には様々な宗教団体が潜り込んでいて、あの手この手で学生、特に新入生を引き入れようと活動しています。
多くの方が、一度や二度はキャンパス内で、怪しげな方に話しかけられた経験を持っているのではないでしょうか?
しかし、このような直接的な方法による勧誘はまだ序の口です。
世間からずれた相手の言動から容易に宗教団体関係だと知ることができますし、それが分かれば、対策も簡単に立てることができるからです。
問題とすべきは、もっと巧妙な手の込んだ勧誘方法をとる場合でしょう。
例えば、今回の事件でもそうでしたが、サークル活動を装って勧誘を行う場合があります。一見すると普通のサークル団体のようなのですが、しばらく活動を続けて仲良くなってから、真の目的、つまりは宗教団体への勧誘が始まり、半ば強制的に入信させられてしまう被害があると聞きます。
新入生の方は、大学でサークルを選ぶ際には、自分の興味だけで選ぶのではなく、先輩などに話を聞き、怪しいサークルを極力避ける努力もしたほうが賢明かもしれません。

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大学は単なる研究機関?

578 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/07/23(日) 00:00:02
実際、自分の研究ばかりに力を入れているせいか、学生の教育の方にはほとんど関心を持っていないように見える教官が多数おられるのは事実だと思います。
ある人は、大学は研究機関の場であり予備校とは違うのだから教授の授業の質などは関係ない、というような意見を口にします。
しかし、それは間違っていると私は考えます。
大学は、研究機関であると同時に、教育機関でもあるべきで、教授は学生の精神的成長を、全身全霊を持ってサポートするぐらいの情熱を持って教育にあたるのが理想だと言えるのではないでしょうか?
 
 
学問を研究する能力と教える能力とは必ずしも比例しないとよく言われます。実際それは、大学で教授が教える「憲法」「経済学」などの科目と、資格予備校で教えるそれらを比較してみると一目瞭然です。学問的な深さは置いておき、どちらが分かりやすいかと言えば、ほとんどの方が後者だと答えるのではないかと思います。
大学は研究機関であるので、教官の教え方は下手でも構わない、という意見もたまに聞きますが私はそうは思いません。
大学は、研究を行うだけでなく、高尚な知識をできるだけ分かりやすく学生に伝える教育機関としての役割も果たすべきであると私は考えています。
初めは学問に対する情熱を持って入学した学生のほとんどが、入学後しばらくしてそれを失ってしまう理由の一つに、「授業のつまらなさ」が挙げられるような気がしてなりません。

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悪書は精神の毒薬である

私の好きな、ショーペンハウエルの言葉です。

私は子供のころから何度も次の忠言を聞かされて育ちました。「本を読むことは大切なことだ」と。

これは様々な面で真理をついたものであるでしょう。我々は言葉によってしか考えられないわけで、本を読まないでいると、自然に思考力は衰えてしまうものだと思います。本は、我々に未知の体験に立ち向かうための勇気と知恵をも教えてくれます。

しかし、私達が忘れがちなのは、本のよい面ばかりを見すぎて、悪い面を見落としてはならない、という点です。本の中には、読者の精神を腐敗させる悪しき書物があることは否定できません。そして、それらが精神的に未熟で、判断力に欠けた子供・青少年に与えられたときに、どれほどの悪影響が生じるかについて我々は忘れてはなりません。

私は、特に思想・哲学に関係した書物を念頭においてこの文章を書いています。

過去、イデオロギー上の理由により、数え切れないほどの人間が殺されてきました。思想には、人類を破滅させるほどのエネルギーが秘められている場合もあります。そのエネルギーが、青年の批判力に欠けた純粋さと結びついた時、事態は最悪の場面を迎えてしまいます。

その典型的な例が、あさま山荘事件に代表される、かつての左翼学生の暴力だったのではないでしょうか?

我々が住む自由主義国家では、書店から悪書を取り除くことはできませんし、そのような野蛮はすべきでもありません。

しかしそれでも、少なくとも、親・教師など、人の指導にあたるべき人間は、子供・青年が悪辣なイデオロギーに染まってしまわないように常に細心の注意を払わなければならないと私は考えています。そして、そのためにはもちろん、我々国民一人一人が、自由主義国家の国民として相応しいイデオロギーを持ち、それを覆そうとする勢力の出現・台頭に対して警戒心を怠ってはならないでしょう。

20世紀を支配した狂気の思想は終焉を迎え、聖書の時代から約束されていた「自由」が全人類に行き渡るのは時間の問題だ、などと甘い考えを私は抱いてはおりません。

「自由」を否定し、人間を隷属させようとする悪魔の意思は世界中に満ち満ちています。

子供達を精神の腐敗から遠ざけ、健全な成長を助けることは、大人に課せられた神聖な義務であります。

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性癖は人それぞれだと言うけれど・・・

231 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/08/02(水) 00:22:03
ロリコンは可哀想な性癖であると感じます。
なぜなら、それは社会的に許されざる性癖であり、性癖というものは理性によって簡単に直せるような性質のものではないわけですから。
反社会的(とされている)性癖の持ち主は、それを実社会の中でだすわけにはいかないわけです。
もして行動に移してしまえば、時には犯罪であったり、時には社会的生命を失うことになったり、と非常につらい現実が待っています。
その意味で、社会から許容されていない「ロリコン」という性癖を持った方は気の毒だと私は思うわけです。これはロリコンだけではなく、「痴漢」や「盗撮」などといった性癖にも言えることです。
 
数年前に、著名な大学教授が、女子高生のスカートの中を手鏡で覗いて現行犯で逮捕される事件がありました。
あの報道に接したときに、私は上記のような感想を抱かずにはいられませんでした。
世の中には、様々な性癖があります。そして、それらを大きく二つに分けると、社会的に許容されているものと、そうではないものとがあるわけです。
許容されている性癖の持ち主は、常識の範囲内で行動していれば、それにより身を滅ぼすような破目にめったにならないだろうと思います。
しかし、反社会的な性癖の場合は、ときとして、その性癖を持っていること自体が社会からの指弾の対象となってしまう場合もあるわけです。そうなると、それを現実世界で、どんな形であっても行動に移すことは自身の破滅につながりかねないわけで、気の毒な気がしないではありません。
性癖は簡単に変える方法はないのでしょうか?

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何か新しいことに挑戦したいです

夏休みに突入して、課題などを気にせずに2chにカキコできるようになりました。

夏休みになると、所謂「非リア充」な方は、予定がなくなり極度に暇になってしまうために、中には一日中パソコンの画面と向き合って時間を過ごす例もあるような気がします。

基本暇人な私も、一日中2chをやり続ける、という選択肢もないわけではないし、本心ではそうして夏休みを過ごしたいとすら思ってはいますが、流石にそれだけで二ヶ月過ごしてしまうのは時間が勿体ないと私は思うので、普段以上の時間をネットに割かないよう注意していきたいと考えています。

せっかくの夏休みなので、何か新しいことを、ネット上でですがやってみたいと思いますね。それが何かはまだ何も決めてはいませんが・・・。

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夏休みの利点

今日から夏休みです。

昨日私は、夏休みの利点は、自由な時間が確保できることだと書きました。

しかし、夏休みの利点はそれだけではありません。それ以上に大きなメリットが夏休みにはあって、それは、普段と比べて出費が格段に少ないということです。

授業期間中は、一ヶ月に大体どれぐらいのお金を使うでしょうか?

大学に関係したものだけ挙げてみます。

まず、交通費や食費(実家暮らしなので主に昼食)などで一万五千は軽く超えます。

他に、たまに大学で使う書籍を購入せざるをえないことがあり、これが月平均数千円ぐらいにはなるでしょう。

これら主な出費を合計しただけで二万は優に超えてしまうわけです。

夏休みになると、定期なども買わなくてすむし、昼食も基本家で食べればよいので、出費が最低限に抑えられます。

今月はいくらぐらい使うのかを予想すると、夏休みで暇なので、本代が一万を超えるのは間違いありませんが、それを除けば、たまにグルメでカレーなどを食べにいったりすることがあるぐらいで、その他諸雑費を含めて、全部合わせても二万も使わないだろうと思います。

サークルに所属している学生の場合は、毎日のように大学に行ったりで、授業期間中とそれほど違わない額の出費が待っているのでしょうが、ぼっちにはそれがないので、その意味では「勝って」さえいるのかもしれません。人間何かを得れば何かを失うものなのでしょう。

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