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読書の秋とは言っても…

秋が近づいてきました。
こうして秋を迎えるにあたって私が思うのは、秋は服装にお金がかかって大変だ、ということです。
私は、自分の服装に全く無頓着なわけではありません。
服装はある程度その人の品性を表すものであり、その意味でも服装を選ぶさいには慎重にならなければならないと私は思っています。
そのため、私も最低限は服装に気をつかうようにしているのです。
それでも夏であればたいしてお金をかけなくてもすみます。
無地のシャツ+ジーンズでも無難な格好になるからです。
しかし、秋はそうはいきません。
それなりに見られた格好にするためには、それなりの投資をしなければなりません。
まだ長袖以外の秋服を何にも買っていない私ですが…。
これから服にかけるお金を思うと軽く憂鬱になってしまいます。

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自分と上手く付き合うコツ

2chでも「ぼっちチャット」でもたまに言われることがあります。

「君は生活が充実していそうに見えるが本当にぼっちなのか?」と。

ブログや2chでの書き込みを見ると、別にネガティブなところもなく、人生を楽しんでいるように見えるからでしょう。

そして、それは、生活が充実しているという点においてはあたっていると思います。

私が大学ではぼっちであるにも関わらず、それほど思い悩んでいない理由はいくつかあります。

まず最初に、私は大学ではぼっちでも、高校の頃の知り合いや友達が数人いて、彼らとたまに会っているために、精神的に患わずにすんでいるという部分があります。この夏休みも、数回は彼らと再会しました。

次に、バイトをしていて、最低限の対人関係があるのも精神衛生上よいのかもしれません。

しかし、それ以上に大きいのはおそらく、自分のモットーにあるのだと思います。その私の人生のモットーとは、どのような苦境に置かれようとも何かしら楽しいことを見つけよう、というものです。

私だって、初めから今のぼっち生活を肯定できたわけではありませんでした。ある時期は、あまりにも大学生活がつまらないために不登校に近い状態になってしまったりもしていました。

そんな私が、今のように非常に良好な精神状態を保つことができているのは、その後、本を読むなり、高校時代の友達の話を聞いたりして、考え方を改めることができたからに外なりません。

ポジティブに考えられるようになってからは、次のように考えてみることにしました。

「確かにぼっちはつらいかもしれない。昼食を毎日一人で食べるのもなかなか辛いものだ。

しかし、ぼっちであるということは、他のどの学生よりも自由な時間を与えられているということだ。サークル活動もなければ、表面的な煩わしい人間関係からも自由だ。これは考えようによっては非常に恵まれている状態だとも言えるのではないか。せっかくこれだけ時間が余ってるんだ。この時間で思いっきり自分の好きなことをしてやろう。」

こう考えるようになってからは人生が好転しました。

自分一人でも楽しめることはいくらでもあるのです。授業がない時間は図書館で思いっきり読書ができる。授業終了後は、本を読んでもいいし、街に遊びに行って、古本屋に行ったり外食したりしてもいい。ぼっちのおかげで交際費はほぼゼロなのだから、お金にはある程度余裕がある。

リアルだけではない。ネット上だっていくらでも楽しいことは見つかる。

2chでコテデビューし、ブログを始め、ミクシィに誘ってもらって・・・というように次々と新しいことに挑戦し続けてきました。某コンテストの候補者のブログに「読書くん」の名前でコメントを残したりもしましたw

そんなこんなで、ぼっちはぼっちなりに、自分にとって楽しいと思えることを次々に追求していった結果、生きていることがそれほど苦ではなくなり、人生に対して失いかけていた希望ですら見出せるようになってきました。

どんな状況下に置かれても自分を楽しませるような行動・思考法をすることが人生を上手く生きるコツであると私は信じています。

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話すときには相手の目を見て

人と話すときには相手の目を見て話せ、とはしばしば聞かされる文句です。

しかし、これは少なくとも私にとっては「言うは易く行うは難し」の代表例だと言えます。

話をするとき私は相手の目を見て話すことはなかなかできません。

目を見て話さないだけならまだしも、たまに相手の正面を向いて話せないこともあったりするので問題は大きいように思えます。

それにしても、相手の目を見て話すとはどういう意味でしょうか?

話している間中ずっと相手の目を見続けていて、僅かの時間であっても目をそらしてはいけないのでしょうか、それとも、自分が話すときだけ、もしくは聞くときだけ目を見ればそれでよいのでしょうか?

2chでこの話題が論じられているスレを読んだ限りでは、あまりにも相手の目を見つめ続けるのは逆に悪い印象を与えてしまいかねない、ということでした。確かに、もし話している相手が何分間も連続して自分の目を見つめ続けてきたらあまりよい感情は抱かないような気はします。

色々な意見が提出されていましたが、それらを総合すると、あまりにも見つめ続けるのは逆効果だし、初めから終わりまでそらしっぱなしなのもまた印象が悪い、一番よいのはその中間の、たまに相手の目を見て話す、ということであるようでした。

その「たまに」というのは大体一分間に1,2回で目を見る時間は5~10秒ぐらいがよいということです。

それぐらいの時間であれば意識をすれば何とか私にも実践できそうな気がします。

次に誰かと話すときには、一回だけでも相手の目を見て話すように努めてみたいと思っています。

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会話が続かない・・・

職場で私の近くにいる同僚が会話をしているのを聞いていると軽く鬱になってしまうことがあります。

と言うのも、私が職場の誰かと会話をしようとしても、一言二言話をしただけで会話につまってしまい、気まずい沈黙が支配してしまったりするわけですが、彼らは、ある一つの話題に関して何分間でも話し続けることができるのです。

この対照を見せられたとき、いったい誰が落ち込まないでいられましょうか?

会話力も練習次第でいくらでも上達可能だという話はよく聞かされますが・・・。

とりあえず、「会話力をつける」系の本は何冊か買って読んでいます。

しかし、どれだけ正しい指摘であっても、最終的には実践してみなければ自分のものにはならないような気がします。

実際に人と話をしてみるのが一番の会話上達法なのでしょう。

今自分にできることは、恥をかきながらでも、場数を踏んで、経験値をアップさせていくことなのだと思っています。

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ぼっちは集団が苦手

ぼっちで集まりチャットをやってみて分かったのですが、ぼっちは集団で行動するのが苦手で、孤立に慣れていているせいか、その性向がチャットでも示されてしまっているような気がしました。

と言うのも、10人を超えるような集団になると全くといってよいほど会話が成り立たなくなってしまうのです。

皆さんそれぞれが話題を出し、何とか会話を盛り上げようとはするものの、話題が全く噛み合わず、ギクシャクとしたものになってしまいました(昨日私がいたときだけかもしれませんが)。

相変わらず冷やかし(というより荒らし)も多数押しかけてきて、まだまだぼっちチャットとしての理想の姿からはほど遠いと言わざるをえません。

今は将来的に落ち着くことを期待して、精一杯理想となる空気を作っていく努力をしていくしか選択肢はないだろうと思っています。

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ぼっちチャット

ぼっちチャットにまた一つ問題が浮上してきた感があります。

それは、リア充がいなくて、ぼっちだけになったときには全然話が盛り上がらなく、気まずい沈黙が支配しがちであるという点です。

多くのぼっちはコミュ力が不足しているので、そういう人間で集まってもなかなか会話が続きません。

誰かが質問をして、誰かがそれに答えて・・・の1クールで会話が終わってしまい、その後話がふくらまないこともしばしば。

しかし、まあ、何事も練習すれば上昇するものです。

会話力でさえその例外ではないはずです。

初めは上手くいかなかったとしても、これから慣れていくにつれ、活気のあるチャットにしていけると私は信じています。

でも、サークルのメンバーでのオフ会開催の道はまだまだ遠そう・・・。

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リア充の侵攻

ぼっちチャットに対して「ぼっち連合スレ」で不満が噴出しています。
ぼっちチャットの中でもぼっちになってしまったという人が何人かいたのです。
確かにぼっちチャットは始まったばかりなせいか、今は少なからずリア充の冷やかしや荒らしが蔓延っているような気がします。
しかし、あと数週間もすればエセぼっちは飽きていなくなり、本来のぼっちチャットの姿に戻るはずだと信じています。
そうは言っても、どんな集団にも派閥はあります。
ぼっちの中でも派閥のようなものは形成されていくでしょう。
その事態に対処するためにも、今後部屋を増設するなどの措置をとる必要はあるかもしれません…。

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人生初体験

昨日人生初のチャットをしてきました(ぼっちチャット)。

これまで私が漠然と抱いていたチャットのイメージは、ただ単に画面に文字だけが表示されて

「A:こんにちは

B:こんにちは

A:今日何食べた?」

のように会話をするだけの味気のないものでした。

それが、いざログインしてみると、何かRPGの酒場のような場所に画面が切り替わって、入り口のところに自分のキャラクターが立っていてビックリ。

どうしてよいのか分からずしばらく操作説明を見ていると、そのキャラクターを自分の意思で好きな場所に移動させられることに気付く。そして、皆さんが集まっているテーブルの椅子に座り会話に参加。

自分が発言した内容は吹き出しのような形で表示されるので、本当に自分がそこにいて発言しているような臨場感が味わえます。

初めは5分ほどで退出しようかとも思っていたのですが、すっかりはまってしまい1時間以上席に座り続けていました。

これは自分の新たな楽しみ方を見つけてしまったような予感がします。

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全国のぼっちに快報!

大学に入学して以来私はずっとどのサークルにも所属しないできました。

それは別に何か信念があってのことではなく、気がついたらサークルにも入らず、学内で孤立してしまっていました。

もう今からではサークルに入る意味もないだろう・・・。

そう思っていた私でしたが、昨日、ついにとあるサークルに所属を決めました!

そのサークルとは・・・

AJISU

AJISUとは・・・

A=All

J=Japanese

I=Isolated

S=student

U=Union

の頭文字をとったもので、その正式名称は・・・

全国ぼっち大学生連合会であります!

これは大学生活板で、全国のぼっちで集まってサークルを結成しないか、という呼びかけに応じた多くの賛同者によって設立された新サークルであって、私は、このサークルが全国のぼっち学生に希望を与えるきっかけになることを期待してやみません。

具体的にどのような活動をしていくかは未定ですが、きっとこの活動は大きな成功をおさめるに違いありません。

ぼっちの方は是非AJISUへの加入を検討してみてください。きっと未来が開けるはずです。

http://free.45.kg/bochi/toppage.html

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フレッシュマンの悩み

25 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/09/20(水) 21:30:25
最初が一番つらいようですよ。
私の知り合いの社会人フレッシュマンの方も7月頃に会ったときには本当につらそうな様子に見えました。
ぼっちである私のような人間にとっては、今の安穏な生活とのギャップに苦しみ、多大なストレスを感じることになりそうで今から不安になってしまいます。
 
 
社会人になったら人生は終了だという悲観的な発言に対するレスです。
よく聞く話では「三日三ヶ月三年」と言って、入社してからちょうどこれぐらいの時期に、今の仕事を続けていくことに自信を失ったり嫌悪を感じてしまったりするのだそうです。
なので、私も、将来仕事をしていて会社を辞めたくなったときには、この言葉を思い出すようにしたいと考えています。
つまり、今自分が苦しんでいるのは、持続的なものなのか、それとも、誰でもがある時期に経験する一時的なものに過ぎないのか・・・。その判別は大切であります。
それを間違えると、ちょっと嫌になってはすぐに会社を辞めてしまい、他の会社に移るがそこも長続きせず、結局どこに行っても同じことの繰り返しで、社会から企業からの信用を失ってしまうもとにもなりかねません。
周りがあまりにもDQNばかりなどというような特別な理由がない限り、ある程度は耐えてみる必要もあるのでしょう。

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ちょっと話しただけで嫌われる?

57 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/09/19(火) 00:59:34
空気キャラを自覚している方はともかく、嫌われているというのはもしかすると思い込みでしかないかもしれません。
いわゆる、自分の顔が醜いと信じ込む「醜形恐怖症」ってやつ。
実際、少し話しかけただけで嫌われる男性は少数派ですし本当に嫌われている場合は本人が気付いていなかったりするものです。
適度な自信を持つべきではないでしょうか。
 
 
女性に嫌われてばかりだという発言を受けてのレスです。
よほど容姿・態度・雰囲気などに難がなければ、少なくともちょっと話しかけただけで毛嫌いされるという例はそれほど多くないような気がします。
そう思うのは、男性に自信がないために、相手のちょっとした仕草を悪く解釈してしまい、嫌われていると思い込んでいるだけではないのでしょうか?
2chの某板での女性の発言を聞いていると、「原則として」男性から声をかけられて嬉しくない女性はいないということです(ナンパなどはもちろん除きます)。
それに、本当に嫌われている男性は、自分が嫌われているという自覚ですら持てないものです。
嫌われているからもうあまり話しかけないようにしよう、という発想ができる人は、自分を客観的に見る素質のある人だ、という見方もできるように思います。
そういうわけで、今職場や学校などで、話したことがないけれど気になる女性がいる男性は勇気を出して話しかけてみると非常によい結果が得られるかもしれません。
(悪い結果しか得られなかったらごめんなさい)

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行動しないで後悔するよりも

行動して後悔した方がよほどよい、とはしばしば言われる言葉です。

確かに、何事かを達成したり手に入れたりするためには、自分から積極的に行動する以外に選択肢はないように思います。

「果報は寝てまて」などという諺もありますが、その本意は「やるだけやったら後は運命に任せるしかない」ぐらいの意味で「人事を尽くして天命を待つ」と同じ意味として私は理解しています。

よほどの重大事でなければ、実際に行動して、仮に失敗してしまったところでたいした実害はありません。

日常生活の中での決断で言えば、ちょっと恥をかいたり、落ち込んだりといった事態になる程度ではないでしょうか。

その程度の傷を負うことですら怖がって人との接点を避け、挑戦から遠ざかってしまっていては決して幸福な人生を送ることはできないでしょう。

少しの恥もかかず、傷つきもしないぬるま湯につかったような生活は、確かに一時的には快いかもしれませんが、何の成長も生み出さないし、長い目でみれば、その状態こそが「恥」であるのかもしれません。

人は何かを得ようと思えば何かを失ってしまうのと同じように、成功を得たいと思うのであれば失敗も甘んじて受け入れなければならないのでしょう。

と言うよりも、失敗こそが成功を生み出すために必要な要素です。

誰だって、意識的にせよ無意識的にせよ、失敗を教訓として成功を勝ち取ろうと努力しているものです。

私は、そんな簡単なことに気付くのに、あまりにも時間がかかりすぎてしまいました。

敗退こそ、望むべき結果なのです。

私は、そのことを常に忘れず、2chだけでなく現実社会でも行動し続けていきたいと思います。

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どんな境遇でも・・・

22 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/09/12(火) 22:40:01
私も大学一年の頃はあやうく精神崩壊寸前のところまで行ったような記憶がありますが、運よくそれを免れることができ、今はまあまあ充実した生活を送れています。
他人から見るとどんなにつまらなくみえる大学生活の中にも自分なりの楽しみ方はあるものです。
それを見つけられれば、大学生活を苦痛には感じなくなると私は思います。
 
高校から大学に入学したとき、生活方法が一変してしまうために、多くの学生が大学生活に適応できずに精神的に病んでしまうと聞きます。
人によっては、そのまま引き篭もってしまったり、不登校になったり、特に理由もなく再受験を志したりしたりするようです。
しかし、私の経験談では、こうしたつらい状態も、一年、長くても二年もすれば改善されるものだと思います(個人差はあるでしょうが)。
一番問題なのは、再受験という選択でしょう。
問題は自分自身の中にあるのに、環境を変えればそれが改善されると考えているところに間違いがあると思うからです。
たいていの人間は、どんな環境にもそのうち慣れるものです。
つらいと思っていても、惰性で通っているうちに苦痛を感じないようになってくる、そんな期待を持ちながら大学に通っていれば、そのうち自分なりに楽しめることを見つけられるはずだと私は信じています。私がそうであったように・・・。

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電車男が理想の男性像!?

映画版電車男が始まったようです。

昨年電車男が爆発的にヒットしたときには2chの恋愛関連の板では電車男に続けとばかりに○○男を称するスレが乱立して、従来からのユーザーの強い反感を買っていたのは記憶に新しいところです。

その大半はネタにすぎなかったのでしょう(そもそも電車男自体が・・・という噂もありますが)が、それでも世の喪男に大きな希望を与えた事実は否定できません。

そして、私が意外に思ったのは、映画・テレビがヒットした直後、理想の男性像として「電車男」を挙げる女性が多く見られたことです。

理由はいくつかありそうですが、いくつか考えてみました(主にテレビ版で)。

①恋愛経験皆無な故の純粋さ

電車男のエルメスに対する態度はいつも一生懸命で真っ直ぐです。ともすれば斜に構えた態度がもてはやされる風潮にある現代にあっては、このような態度が一種のノスタルジーをもって賞賛されるのは理由のないことではなさそうです。

②役者の容姿

女性に嫌悪される「オタク」を演じてはいても、結局は主人公は芸能人であり役者であるので顔だけ見れば間違いなくイケメンです。この点は決して忘れてはならないと思います。

③性格のよさ

電車男は正しい心の持ち主です。世間から気持ち悪がられてきたのかもしれませんが、テレビ版の電車男は決してひねくれてはいませんでした。目の前で落し物をした女性を見たら、それを拾って教えてあげたり、仕事の途中であるにも関わらず、子供のために、木に引っ掛かった風船を取ってあげようとしたりする優しさには胸打たれるところがあります。このような態度に、女性は、電車男がいい男に成長する素質を秘めていることを本能的に察知したのではないでしょうか。

 

実際、テレビ版の電車男は非常に魅力的な人間であったと思います。オタクかそうでないかに関係なく、あれほど魅力的な男性はなかなか世の中にはいないでしょう。「電車男が理想」という女性は、決してオタク的な男性が好きだ、という意味ではなく、電車男の中に、男性としての理想的な面を読み取ったからこそそういう言葉を口にしたのだ、と私は考えます。

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死か栄光か

聖書にはこう書いてある。

「心に怒りを抱く人間の友になるな」

と。

人間の心は敏感である。

愛には愛を、怒りには怒りをもって反応してしまうものだ。

そのため、怒りを抱く救われない人間とあまりにも深く付き合うことは危険だと考えなければならない。

いつしか、相手の怒りによって自らの心が汚染されてしまうだろう。

そうならないためにも、我々は付き合う相手を誤ってはならない。

もしも、今付き合っている相手がその手の人間であるならば、明日にでも一切の付き合いを断つべきである。

それが無理なら、せめて、その怒り以上に強い愛を抱く人間を探し友にしよう。

破滅の道を歩むよう運命づけられた哀れな悪魔は自らが堕落するだけではあきたらず、周りの人間も破滅に巻き込んでやろうと画策している。

彼らは人を罵り、傷つけ、喚き散らすがそれは彼らの苦しみをいよいよ大きくするだけである。

彼らには生そのものが地獄である。

彼らは不信の心で他人と交わる。

それは彼らに何の慰めももたらさないだろう。

我々は心に愛なき人間とは付き合いを避けなければならない。

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やはりまたやってしまったか・・・

某有名教授が痴漢で現行犯逮捕されたという報道に接した時に人々が受けた感想は上のようなものであったと予想します。

この教授は、以前も、手鏡で女子高生のスカートの中を覗き込んだ疑いで逮捕された過去がありましたが、本人はあくまでも潔白を主張し続けてきました。

あのときも、教授の犯行はほぼ黒だとする状況証拠も集まっていたものの、まだ、もしかしたら白なのかもしれないと信じていた方もいたかもしれません。

黒だったとしても、あの件で反省して、もう二度とそのような事件は起こさないのではないかと少ない希望を抱いていた方はそれなりにいたのではないでしょうか。

それが今回こうして、それらの望みを裏切る決定的な形の犯行に至ってしまったのは残念でなりません。

性癖はなかなか直らず、それが反社会的である場合(つまりは実行すると(性)犯罪者となってしまう)は何度も同じような犯罪を繰り返してしまうものです。

U教授も、社会復帰したあと、また同じことを繰り返してしまうのでしょうか・・・。

そうはならないことを私は衷心より祈っています。

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将来の夢は・・・

できれば私は働かずに自分の好きなことだけをやって生きていきたい。

しかし、アダムとイヴが禁断の果実を食べてしまい、楽園を追放されてしまったがために、人間は生きるために「労働」という苦役を負わなければならなくなってしまいました。

そういうわけで私もいつかは働かなければならないわけです。

では、どのような仕事に就くべきでしょうか?

多くの学生は、社会的地位の高い仕事に就きたがる傾向にあります。

ある人は一流企業を、またある人は高級官僚を夢見たり、と。

しかし、私はそれらには全く魅力を感じないし、自分の生きる道でもないと思っています。

私が仕事を選ぶ際に最も重要視するのは「自由」です。

社会や組織のペースに乱されずに、自分なりのペースで仕事をしていきたい。人から命令されたくないし、人に命令もしたくない。勉強・読書など自分のための時間が欲しい。

こういう条件を満たしてくれそうな職種は何かと考えていったときに、私はプロフィールでも書いた自分で事務所を構える、という選択肢を思いつきました。

もちろん、どんな事務所を構えるにせよ、初めは他人の事務所に入って修行をする必要があるでしょう。それは当然ですし、私もその程度の束縛まで嫌うつもりはありません。

しかし、それが数十年間続くとなると、ちょっと耐えられないかもしれない、と思うわけです。

数年間修行をし終わったら、自分で事務所を開き、そこでのんびりと(実際はそう上手くばかりもいかないでしょうが)仕事をしていくのが私の夢です。

それを達成させるためにも、そのために必要な資格の勉強を頑張らなければ・・・。

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物質偏重主義は国民・国家を衰退させる

今の日本からは「精神」という言葉は最早失われてしまった感があります。

それだけではなく他にも「道徳」「教養」「魂」など精神主義的な匂いのする用語は悉く日本社会から姿を消していってしまっています。

それはおそらく、社会から、戦前の精神主義的な教育を受けた世代が引退している事実と大きな関係があるのでしょう。

戦前、日本国はあまりにも「精神の力」を過信しすぎていました。

それが行過ぎた結果、第二次大戦時には「物量が無ければ大和魂で補え」式の悪しき精神偏重主義が蔓延り、多くの無益な被害(戦闘行為による戦死ではなくて、食料不足による餓死など)を生み出しました。このような悪い意味での精神主義は反省すべきであったと思います。

しかし、戦後日本は、戦前にあまりにも精神を重んじた反動からか、精神的な要素を根こそぎ否定して、ひたすら物質面での価値のみを追い求めてきました。

極端から極端への変動です。

それでも、1950~80年代ぐらいまでは、まだ戦前の教育を受けた世代が社会の中枢にいたため、かろうじて社会に精神主義的雰囲気が残っていたのを、当時の書物などから読み取ることができます。

それが、90年代頃から、それらの世代の引退からか、明らかに精神主義的な要素が衰退してしまっていることが、これまた書物などから読み取ることができます。

私は、日本国がアジア諸国に先駆けて近代化に成功し、大国へと成長できた原動力も、戦後奇跡に次ぐ奇跡の経済躍進を遂げ、経済大国へと成長できた原動力も、ともに日本人の精神力、つまりは「大和魂」にあったと考えています。

いつの時代にも、ある国の繁栄の裏には、それを支える偉大なる思想が存在していた点を忘れてはなりません。

精神を欠いた物質主義は、国家を繁栄にではなく衰退へと導く麻薬でしかありません。

我々は今こそ、人間が持つ偉大な力―精神力の持つ価値を再確認し、衰退する日本国を救う覚悟をかためるべきときではないでしょうか?

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久しぶりの美容院

私は、男性にしては髪が長い方で、しかも、切るときには少し長めに切ってもらうので、ほぼ毎月髪を切りにいっています。

そして、ここ半年ほどは、1000円カットで切ってもらっていたのですが、いまいち仕上がりが雑で(少ない時間で多くの客をさばかなければならないので自然そうなってしまうと聞きます。別に美容師の腕が悪いわけではないのでしょう)満足からは程遠いものでした。

髪型がバランスが悪かったりすると鏡を見るのが辛くなったりしませんか?

特に私の場合は、顔が特別よいわけでもないので、せめて髪型ぐらいは自分の気に入るようにしたいと思うのです。

そこで、思い切って先日、久しぶりに美容院に髪を切りに行ってみました。

結果から言うと、流石高いだけあって、とても丁寧にカットしてくれて、整った、全体的にバランスのよい髪形になることができました。

髪型をよくしただけでも、大分毎日を明るく生きられるものです。

しかし問題はカット費用・・・。

毎月4000円ほど払っていると年間4~5万の出費。古本数十冊分の出費です。

会員になるとカットだけなら3000円以下で済むお店もあるようですが、そういうお店を探してみた方がよいのでしょうか・・・。

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ハーゲンダッツ

そろそろ夏が終わります。

夏とともに終わりを迎えてしまうもの。

その一つが「アイス」であると思います。

いえ、確かに冬でもまれにアイスを食べている方の姿を見ないわけではありません。

しかし、私は基本夏以外は自分で買って食べることはありません。

そのため自分の中では、アイスの季節はそろそろ終わりを迎えかけているわけです。

そこで気づいたことが一つ。

今年は、まだハーゲンダッツを一個も食べていない・・・。

量はスーパーカップの半分ほどしかないのに、値段はその倍以上するハーゲンダッツ。

まさに市販アイスの王と呼ぶにふさわしいハーゲンダッツ。

夏が終わるまでに、何種類か食べておかなければ、秋になったときに悔いを残してしまいそうな気がするのです(?)。

そういうわけで、今月は少し奮発して、お菓子はハーゲンダッツにしてみようと思います。

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過保護は虐待である

過保護な家庭で育った大学生によくある特徴
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/campus/1157762405/l50

32 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/09/09(土) 20:35:33
大学入学と同時に精神崩壊への道まっしぐら
 
 
精神科医の町沢静夫氏はかつて「過保護は虐待である」と述べられました。
蓋しこれ名言であると思います。
普通、虐待と言えば、肉体的・精神的な形での暴力や無視のことを指します。
これは社会でもしばしば脚光があてられる問題であり、誰もが解決しなければならない問題であると考えています。
しかし、町沢氏は、過保護もまた虐待である、と主張します。
過保護がなぜ虐待か?
それは、子供から生きていくために最も大事な能力―決断力、判断力、想像力など―を奪ってしまうからです。親は子供のためを想って、いろいろと余計な世話を焼いてしまうのでしょうが、本当に子供のことを考えている親であれば、子供ができることは極力子供だけの力で解決できるように子供を教え導くものです。
「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」や「可愛い子には旅をさせよ」とは非常に知恵に満ちた格言であるような気がしてなりません。
しかし、厳しいだけでそこに愛がなければ決して子供を正しく育てることはできないわけで、一筋縄ではいかないのが教育の実相であるのだとも思います。
私も将来子供を育てる日が来るのかもしれませんが、それまでに確固とした教育観を身につけておきたいものです。

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言葉のキャッチボール

これは人間関係の基本だと言われます。

上手な言葉のキャッチボールを行うためには何が必要なのでしょうか?

ここでは言葉をボールにたとえているわけですから、それに倣って考えていけばよいと思います。

キャッチボールの基本は、相手のキャッチしやすい箇所にボールを投げることです。経験のある方なら知っているでしょうが、それは大体胸の辺りだと言われます。ここに上手くボールを投げてもらえば、ボールを受け取った側もそのボールを自然に受け取って、自然な動作でボールを投げ返すことができるわけです。

それが、変な箇所に投げてしまえば相手の心は乱されるでしょうし、あまりにもあさっての方向にボールが飛んでしまえば、キャッチすらできなくなってしまうかもしれません。そして、そうなれば、相手が自然な動作でボールを投げ返すことが不可能になり、それがあまりにも続くとキャッチボールは継続不能になってしまいます。

これは会話についても全く同じです。

こちらが相手に発する言葉は、その場に合った適切なものでなければなりません。そうでなければ、相手はこちらの言葉に対して何らかの返答をしようとは決して思わないでしょう。

これまでの私は、会話において、この原則を省みていない部分があったように思います。

相手にとってはどうでもいいようなことを自分の思いつくままに喋っては、相手に詰まらない思いをさせてしまってきていたような気がするのです。

喋る前に「その発言を自分がされた場合に、果たして相手にボールを投げ返したいと思うだろうか・・・」という点を常に自己吟味して、慎重になりながら言葉を発するようにしなければならないと気付きました。

バイト先にも、たいへん会話力に富んだ方々がおられるので、その会話内容に耳を傾けて、会話の技術を自分なりに模倣していきたいとも思っています。

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ジェリービーンズ

たまに食べることがあります。
この食べ物に関して思う点をいくつか。
まず、なぜあんなに高いのでしょうか?
ハーゲンダッツの小さい容器ほどのカップに一杯に入れただけで約3~400円。あまり気軽に食べられる値段ではありません。
次に、色が少し毒々しくはないか?
非常にアメリカ的と言うべきか、まるでペンキで着色したような人工的な色をしていて、初めてこれを見た人は本能的な警戒心を起こすのではないかと思われる色であります。
最後に、変な味の粒が混じっているのはなぜか?
どの味もそれなりに美味しいのですが、まれに「これはないだろ…」と呟きたくなる変な味のやつがありますよね。まるで薬かと思うぐらい無駄に苦かったりとか。そういう味でも、ちゃんとファンはいるものなのか、気になるところです。。

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理想の人格とは?

26 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/09/06(水) 00:09:21
これは私は今真剣に考え、その答えを得るために古典を読み漁っている問題でもあります。
人間の価値とは、富や学歴や生まれなどの外面的な要因によって決まることはなく、内面的な要因つまりは人格、人間性、精神の力によって定められることだけは分かります。
しかし、では理想の人格とは何か、と考えると答えがでなくて困ってしまうわけです。
 
38 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/09/06(水) 00:42:53
富や学歴や生まれなどの外面的な部品が何かの役に立つとしたら、それらを手段として、社会に対して何事かを成し遂げられた、という場合にのみ評価すべきであるような気がします。
少なくとも、それが人間的な価値と大きく関係しているとは私にはどうしても思えないのです。
例えば、私はソクラテスや吉田松陰が高潔で、偉大であると認めます。
しかし、彼らには上記のような、世間一般で評価されるような要素はほとんど持っていませんでした。
我々は、なぜ彼らの存在が我々に深い影響を及ぼすこと限りないのか、その理由を考えなければならないと考えています。
 
43 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs [sage] 投稿日: 2006/09/06(水) 00:52:30
私が理想に近いと思う人格を挙げれば、冗談抜きでドラえもん(特に映画の中の)を挙げたいと思います。
指導者として常に皆のことを考え行動し、決して他人を見放さず最後まで相手を励まし続ける愛の心、そして、必要とあれば自らの命ですら惜しまずに敵に立ち向かっていく勇猛心。
漫画のキャラとは言え、これほど神の心に近いキャラクターはなかなか見出せないでしょう。
 
 
ドラえもんは指導者として、また教育者としての理想的な人格の持ち主であると私は思います。
私は前から、ドラえもんのような人格を備えたいと考え続けていました。
意外なことに、ミクシィのコミュでもそのような趣旨のコミュがあり、驚かされると同時に、自分と似たような考えを多くの方が持っているのを知り嬉しくも思いました。
ドラえもんのように、愛と知恵に満ちた人間に私もなりたいものです。

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前期大生板流行語

今年度の大生板の流行語をいくつか紹介したいと思います。

①JJ

雑誌の名前ではありません。

これは、以前にも少しだけ書いた「自虐風自慢」の頭文字をとったもので、意味は、一見すると自虐しているように見えるがよく考えてみると自慢以外の何物でもない発言のことです。

例えば「サークルの合宿があって財布がやばい・・・orz」のような発言がそれです。

別にサークルに所属している程度で自慢にはならないと考えるかもしれませんが、それは世間一般の価値観で、大生板ではサークルなしがデフォであり、それに所属しているだけでリア充とされてしまうのです。

②リア充

今上で私は「リア充」という言葉を用いました。

これは何かと言うと、「リアルが充実している人間」の略語であり、友達たくさん、サークルに所属、恋人持ち・・・etc.な方々に対して嫉妬の混じった批判を行うために使われます。

逆に、リアルが充実していない人間を指して「非リア充」と呼びます。

大生板は、やはり非リア充がデフォであるので、リア充的発言は徹底して嫌われることは覚えておいて損はないと思います。

③ツマカス固定

何の面白みのある発言もできないにも関わらず、やたらでしゃばってくる固定に対して向けられる批判の言葉です。一時期、あまりにも固定が増えすぎてしまい、その状況にウンザリした板住人が思わずもらした不満の言葉であると理解しています。

私もそう呼ばれないように頑張りたいものですw。

 

他にもいくつかありますが、爆発的にヒットしたのは、上の三つの言葉であると記憶しています。

世間に「流行語大賞」があるように2chの世界にもまた「流行語」があるものです。

そして、現実とネットでは全く違う性質の言葉が流行になるわけで、これはとても興味深い現象であると思います。

今後、どのような流行語が飛び出すのでしょうか。

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今日もドラ映画観て泣きました

昨日立てたドラえもんスレ、今保守しようとして見たら、もうすでに落ちていました・・・。

大生板はスレの回転が激し杉です。

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ドラえもん映画で泣いたので

大生板で新スレ立ててきました↓。

ドラえもん映画を語るスレ
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/campus/1157290492/l50

全然真面目系ではないですがw。

ドラえもん映画は大人が観ても泣けますね。

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『知的生活の方法』(講談社現代新書)

昨日、渡部昇一氏の名前を出したので、氏の本をここで一冊お薦めしておきます。

私がこの本を読んだのは、高校生時代であったと記憶しています。

示唆に富んだ数多くの指摘のうちで、特に私が感銘を受けたのは、どのような本を読めばよいか、という点に関してでした。

氏は、まず本(小説)を選ぶ際のポイントとして「自分を偽らないこと」を挙げています。

これはどういうことかと言えば、自分が分からないのに分かったようなふりをしない、ということで、つまり、読んで分からない本は自分の知的レベル・人生経験を超えているのだから無理にそうした小説を読む必要はない、ということです。

氏は、かつて上智大学の教授を務めておられ、多くの受験生の面接に立ち会ってこられました。面接で、必ずと言ってよいほど聞かれるのは趣味に関してです。そして、こういう場合の定番の趣味として「読書」が挙げられるものです。それに対して、氏が、「では愛読書は?」という質問をぶつけると、これまた優等生的に「夏目漱石です」という答えが返ってきたそうです。

こういう応答を聞いていて、氏は苦笑を禁じえなかったと書いておられます。たかだか18年ほどしか人生経験のない人間で、漱石を理解できる人間などはめったにいるものではないし、氏自身も、漱石を読み面白いと思えたのは30も過ぎたころだったそうですから。

そのかわり、一度面白いと思えるようになってからは、漱石の作品はほぼすべて読破した、とも書かれています。

これは、読む小説を選ぶ際に、非常に大事な視点であると思います。

小説とは、本来人を楽しませる目的で書かれたことを思えば、面白くもない小説を無理に読み進めることは、それほど益があるとは思えません。

例えば、小学生の頃に、古典作品を無理やり読まされて、それがために読書嫌いになってしまった、というような本末転倒な例も多くあるのではないでしょうか?

子供の頃は特に、子供が読んで面白いと思える本(とは言っても、批判力のない子供である以上、俗悪本の類を避けなければならないのは言うまでもありませんが)を読ませることが、真に読書の好きな人間を育てるためには必要不可欠であるのだと私は思います。

若者の読書離れは深刻です。若者を再び読書へと向かわせるには、読書が義務・勉強ではなく、楽しみであるという意識を植え付ける以外にはありません。

そのためにも、この書が、これからも多くの方に読み継がれていくことを私は願ってやみません。

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私が自由主義者になったきっかけ

私は、自分のイデオロギー的な立場は何か、と聞かれたら迷わず「自由主義者である」と答えます。

私がこの素晴らしい思想の存在を知ったのは、確か中学生ぐらいの頃、渡部昇一氏の著書『万犬虚に吠える』を読んだときでした。

氏は、戦後、良心的知識人と呼ばれる左翼文人が思想界を支配する中で、決して志を曲げずに、自らの信念を主張し続けてきた数少ない知識人の一人です。

当時、氏は、左傾する日本の風潮を批判したため、左翼陣営からは「右翼」のレッテルを貼られていました。しかし、それは氏にとっては不当な批判であったわけです。

なぜならば、氏が信奉する主義は、左翼(共産主義)でも右翼(国家社会主義)でもなく、その中間、自由主義であったからです。

それであったのに、なぜ「右翼」などというレッテルを貼られなければならなかったか?

それは彼らが左に立っていたからでしょう。

つまり左に立っている人間から見れば、一番右に立っている人間であろうと、真ん中に立っている人間であろうと、同じく「右に立っている」ようにしか見えないのです。自分の立場を基準に考えるのですから、左翼以外の人間は全員右翼となってしまうわけです。

それは右翼から見た自由主義者についても同じことが言えるでしょう。

右翼にとっては、右翼以外の存在はすべて左翼でしかないのです。

意外かもしれませんが、戦前の日本には、英米流の自由主義者(もしくはそれに同情的な国家主義者)が数多くおられました。国家社会主義者が跋扈したのは、敗戦直前の数年間だけであり、それでもって、戦前がまるで暗黒時代であったかのように考えるのは、それもまた間違っていると私は思います。

私は、渡部氏と同様、両端に偏らない、自由主義者の立場を貫き通したいと考えています。

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