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大きな街のカフェについて

私はカフェが好きだ。とは言っても別にカフェで飲み物を飲むのが特別好きなわけじゃない。くつろぎながら読書や勉強をするのが好きなのだ。

だから私は、カフェやファーストフードに行ったら平均数時間は本を読んでから店を出るのが普通だ。

でも、これには一つ問題がある。何かと言うと、込んでる店ではそれができないということだ。周りの迷惑になるのもあるし、あまりに店内が騒がしい状態の中ではとてもじゃないけど本を読む気になどなれないだろう。

就活で東京の大きな駅を色々と周ってみて思ったこと。それは、こういう駅―渋谷、新宿、東京、銀座などにあるカフェやファーストフードは大体どこも混雑していて、本を読むのには向いていないということだ。特にスタバのような人気店は満席である場合も多く、一つでも席が確保できれば運がいいというような状況。

これには私は困ってしまった。例えば新宿などに行ったときは、就活の待ち時間または人と待ち合わせをする間にカフェでも行って読書をしようにもそれはできそうにない。かといって、ただ新宿をブラブラと歩き回っているだけで(たまにはいいものの)毎回数時間も浪費したくはない。

仕方が無いので私は、サザンテラス(?)か何か、あの大行列ができているドーナツ屋のある通りで座れるようになっているところに腰掛け、数時間読書に耽っていたりした。

新宿も渋谷もあまりに人が多すぎる。ああいう街でゆったりと本を読みたくなったとき、人はどういう場所に行くのだろうと疑問に思わずにはいられなかった。それぞれの街で人の入りの少ない「隠れたカフェ」のようなものを見つけられれば・・・。

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森羅万象に含まれる真理について

20世紀を代表する我が国の誇るべき大経営者松下幸之助翁は「万物はこれ師である」という言葉を残した。また大航海時代のクロニスタの一人として南米大陸の布教に努めたアコスタ神父はこう言っている。賢者は、どのような小さなつまらないと思われている事柄からも、自ずから叡智を引き出す、と。私はこれらの言葉を、ファーブルの昆虫記を読んでいて思い出した。

昆虫などというものは「普通の」人間にとっては非常につまらない存在である。道端を歩いていて何も知らずに踏み潰してしまうか、「害虫」として扱われ除去されてしまうのが関の山だ。そんなものを観察し研究したところで何も得られるものはないとほとんどの人は考えていただろうし、だからこそファーブルの時代まで昆虫が真面目に研究されることはなかったのだろう。

しかし、ファーブルは、その誰も目にもとめないような「虫けら」の観察に一生を捧げ、結果数え切れないほどの真理を見出し、文化の発展に貢献した。この事実からも明らかなように、世の中でつまらないと思われているものの中にも多くの真理が隠されている。そしてそれらの真理は、人間か神から授かった能力―観察力や分析力といったものつまりは理性によって一つ一つ明らかにされていく。覆われているものでもやがては現されるようになるものなのだ。

たった一匹のアリやたった一個の石といった一見つまらないものの中にも多くの真理が含まれている。そうであるならば、アリや石よりもはるかに複雑な生物や物質にだって多くの真理が含まれているはずだ。殊に理性を持った生物である我々人類であればなおさらである。どんな人間だってアリよりも遥かに複雑に含まれているのであるから。

大切なのは、我々の周りにあるそうした「真理」を掴もうと努力する態度なのだと思う。それがなければ、どれだけ優れた人物や事柄に触れようと何も得るものはないだろうし、逆に周りのものすべてに学ぶ態度があれば、ファーブルのようにどんな小さなものからだって真理を得ることができる。自分に関係するすべての事象から学び取る姿勢を身につけていきたいものである。

ファーブルの伝記についてのまとめは目下ノートにまとめ中です。途中別の記事も織り交ぜながら少しずつ執筆を進めていく予定です。

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『ファーブル―昆虫と暮らして』(林達夫編訳・岩波少年文庫)

この本は昆虫研究で有名なファーブル先生の自伝である。とは言っても、ファーブル自身がそのために著した本ではなく、その主著『昆虫記』の中からファーブルが自らの生涯について語っているところを訳者がピックアップして編訳したものとなっている。

『昆虫記』と言えば原典は10冊にも及ぶ大著である。それは知らない人にとっては学者向けにかかれた堅苦しい専門書のように思われるかもしれない。しかし、実際はそうではなく、彼自身述べているように、これらの本は大人よりもむしろ子供に向けて書かれている。それは内容が幼いという意味では無論ない。子供でも分かるほど大変分かりやすい流麗な文体でその文章が綴られているということである。ファーブル自身、学者特有の堅苦しい表現こそ高級だといった一種の権威主義に対して反発を感じていたし、彼は子供を愛する人間でもあったので、将来を担う子供たちに自然の神秘について興味を持ってもらいたいと考え、そのような形で、この不朽の名著を残したという。学者ぶったところのない文章であるというのは、彼の素晴らしい生涯に興味を持つ者にとって大変幸運なことであったと思えてならない。なぜならば、論文とは違い随筆風の自由なスタイルで書かれているため、ところどころ思い出話などが散りばめられていて、それが彼の思想や生活習慣を知るための助けとなっているからである。

彼は今でこそ世界的に有名な昆虫学者として知られている。そして、当時も名の知られた学者であった。それでは、その名声に応じた人並み以上の豊かな生活を送っていたのかというとこれはとんでもない。人並みどころか、生涯にわたって貧乏神にとりつかれ、その日のパンを稼ぐのがやっとな状態の中ですごしていたのがこの偉大な学者の一生なのであった。

私は、これから何回かに分けて、この尊敬すべき昆虫学者の生涯について、編訳者の章立てに従いながらその思うところを話していこうと思う。

(続く)

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就活で感じた世界の狭さ

「世界は狭い」なんていうお馴染みの台詞があります。

それを今回就活をしていて経験してしまいました。

先日、私はとある証券会社の説明会に参加してきました。中堅証券なのと、おそらく説明会の回数が少ないのとで、総勢100名近くも参加者がいるのではないかと思われるほどの大規模なものでした。そして、そこで途中15分ほど時間を使って机ごと(4~5人ぐらい)にグループワークを行い、そのときは特にお互い自己紹介などすることなく終わってしまったわけです。

その次の日だったと思います。私がまた例によって就職板でラジオを始め、このグループワークの話に触れたときのことでした。スレの方に「自分もその日その会社の説明会に参加した」という書き込みを見つけたのです。そこで色々と話を聞いてみたところどうも自分が座っていたのと近い席に彼も座っていたらしいと判明。そしてさらに彼がGWの様子について書いているのを読んで私はまさにびっくり仰天してしまいました。話した内容や登場人物(うちの班には留学生の方がいました)から明らかに同じ班のメンバーだと確定したからです。

あの日ラジオを聴いてくださっていたのは50人ほど。私がスレであらかじめその企業に行ったことを報告し、自分もそこに行っていたのでラジオを聴いてくれた人は数人いればいいほうでしょう。つまり、ほとんどの方が普段と同じリスナーであったと思いますが、そのうちの一人とGWが同じになったというのは確率的にはかなり珍しい数字であるように予想します。

ネットでの出来事とはいえ、「世界は狭いなぁ」と実感した瞬間でした。

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大生板版らき☆すた動画完成

大生板住人でらき☆すたOPを踊るオフ3
http://ex23.2ch.net/test/read.cgi/campus/1188494443/l50

上記スレにてらき☆すたOPの動画を撮影する企画があり、先月から作業を開始していたわけですが、それが昨日遂に無事完成&ウプの運びになりました。

大生板では昨年、関西大学のメンバーが中心となってハルヒEDの実写版を制作したのはまだ記憶に新しいところです。それに続く形で今回こうして大生板から新たな動画を生み出すことができたのは、一参加者としてまた一大生板住人として大変嬉しく思っています。

まあ正直言って私は、動画制作過程ではほとんどお役に立てなかったというのが現実ですけれどwその埋め合わせをするために、これからラジオなどを使って2ch内での「広報活動」に精を出そうと考えています。

動画はニコニコとようつべ両方に上げているようです。画質で言えばようつべの方がいいですが、それぞれ違った楽しみ方があると思うし、二つの動画を比較してみたら何か面白いこともあるのではないでしょうか。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm974921
http://www.youtube.com/watch?v=DAiQ8yxC3ks

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