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大生板名前欄復活

県名表示にも段々慣れかけてきていたところで、何と今になって驚きの名前欄の復活。

しかし、復活したのは名前欄だけでIDの方は未表示の状態。

でもこちらも近いうちに復活するでしょう。

名前欄復活してみて分かったこと。

以前活動していた固定は板から去ってしまったわけではなく、名無しで活動していたんだ、ということ。名前欄が戻った途端昔のコテが続々とまた名前をつけて書き込むようになったのを見て大生板に昔の雰囲気がまた戻ってくるのかなと私も嬉しく思っています。

メール欄に名前を入れてまでコテ活動を続けていた我々のような必死なコテもついにそのやるせなさから解放され、鳥付きで活動できるようになるわけです。

新生大生板の行方やいかに!?

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化学調味料の呪縛

最近気付いたこと。

単純に「旨さ」だけで比較すれば、いわゆる高級料理よりも、B級グルメやインスタント食品の方が遥かに優るということ。

化学調味料特有のあの人工的で舌を刺激する旨みは、身体にはおそらくよくないのだろうと思いながらも人の味覚を支配する不思議な魔力がある。

一度食べると病み付きになってしまい中毒性を引き起こすその作用は一種の麻○的な効果を持っているように思う。

某有名ラーメン店など行くと、これでもかとばかり化調が振りかけられていて、その中毒性たるや恐ろしいものがある。初めて足を運んだ誰もが口を揃えて「これは食べ物ではない。こんな店は二度と行かない。」と誓うというのに、そんな彼らが数ヵ月後には、自分から友人を誘ってその店の行列に並ぶ常連客になっていたりするのだから面白い。

もちろん、化調だけでそのラーメン店が人気が出ているなどというつもりは毛頭ない。ラーメンそのものが美味しいからこそ、人気店として知られるようになったのだろう。

だが、それにしても、あの熱狂的なファンに見られる異常なまでの中毒性はあの山盛りの化調が一役買っていると見て間違いないのではないだろうか。

ちなみに、多くのラーメン屋では化調を用いていることを隠そうとしたり、「無化調」を強調していたりするが、上記のラーメン屋では堂々とそれも大量にそれを用いているというから潔い。健康志向が強まる日本において、あえてその風潮に逆らった食品を提供し、それが大成功を収めたのだ。煙草と同じで、少しぐらい身体に悪くてもいいから美味しいものを食べたいと思う層だってちゃんと存在するのだ。そういう、時代とは逆をいく大生的に言えば「中二」的な発想は物事を成功に導くための重要な鍵である。

何を言いたい文章なのか論旨が掴めなくなってきたが、要は、化学調味料の持つ魔力に驚かされずにはいられない、と言いたかっただけなのだ。うまい棒やベビースターが持つ危険な旨みの魔力からは誰も逃れることができない。

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ボジョレー解禁

今年もまたボジョレーの解禁がやってまいりました。

とは言っても、お酒はカクテルや梅酒といった甘いお酒しか飲まない私にとってはさして重要なイヴェントではなかったわけで、一昨日の夜テレビのニュースでボジョレーカウントダウンをして歓声をあげているレストラン客の姿を見て初めてそんなイヴェントがあったのを知った次第です。

なので、はなから自分には関係がないと決め付けていたのですが、ニュースを見終わってからリビングの机の上をチラッと見てみると何とそこにはボジョレーが!

どうも今年は親が律儀に買ってきていたようです。

そんなわけで、早速ボジョレーを飲んでみました。

しかし…、やはりイマイチ味が分からない。

普通のワインよりも美味しいような気もするのですが、あくまで気がするだけで、カクテルのように根本的に味が異なるわけではないのでその微妙な違いがよく分からないのです。

そもそも、ワイン・日本酒・焼酎・ビールに関しては、どの銘柄のを飲んでも同じ味にしか感じられません。

舌が、まだ子供のそれである証拠なのでしょう。

ビールだって未だに美味しいとも喉越しがよいとも感じたことがありませんし。

私が「大人の舌」を手に入れる日は果たしていつになるのか…。

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三丁目の夕日

続編が今絶賛公開中である。この映画を観た年配の方は、当時を回顧して「あの頃はよかった」と呟くのだろう。懐古主義に耽るつもりはないが、あの時代は確かに「いい時代」だったのだと私も思う。なぜなら、当時は今より遥かに貧しくはあったが、日本中にまだ「希望」が満ち溢れていたからだ。明日は今日よりも、そして明後日は明日よりもよりよい日になるに違いないという限りない希望が当時の人々の心を支配していた。ギリシャ神話のパンドラの箱の伝説にあるように、「希望」は人間にとって最も大切な価値の一つである。だから、それが失われていなかった当時に生きていた人はその意味では極めて幸せであった。
翻って我々の世代の日本人はどうだろうか。私の見るところでは、若者の大多数は未来への希望を失ってしまっているように思える。個人レベルでもそうだが、特に国レベルで見たとき、この先日本国が20年後50年後によりよい国になっているという希望はほとんど見出すことができない。
日本国はかつての大英帝国よろしく、その国際的地位を落としていってしまうのだろうか。それとも、歴史上幾度となく見られたように、奇跡的な出来事によって再び日が昇り、その栄光に光り輝く時代が来るのだろうか。それは我々一人一人の手にかかっている。

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いわゆる「難解」な文章も・・・

896 名前: 東大名誉教授(神奈川県) [読書くん] 投稿日: 2007/11/08(木) 23:12:50
難しい文章には二通りあります。
一つは、論じている内容が非常に高度であって、どのように表現してもその性質上どうしても文章が難解になってしまうもの。
これは歴史上の多くの「古典」と呼ばれる論文に当てはまっていると言えそうです。
そして二つ目は、著者の頭が混乱してして整理されていないために、つまりは著者自身その事柄をしっかりと理解できていないがために他人に分からせる文章を書くことができない。
世の中に出回っている大半の「難しい文章」はこちらの方だと言い切ってしまっても言いすぎではないかもしれません。

あと、一つ付け加えなければならないのは、翻訳本の場合は、いくら原文がよくても翻訳がまずいと分かりづらくなってしまいます。
これも結局は翻訳者の理解度という点で、上の二つ目の方の理由に分類できます。
 
 
 
 
小学生の昔から何度も聞かされてきた言葉―難しい事柄を難しく説明するのは容易だが、簡単に説明するのは難しい―当時はよく分からなかったこの言葉が、今でははっきりと理解できます。物事を人に説明するためには、自分自身がしっかりとそれを理解していなければならない。そして、本当に理解しているのであれば、相手に分かるように説明できるはずなのです。逆に、理解が曖昧模糊としていれば、相手に分かるように説明できるはずがありません。
著名な物理学者ファインマンだったでしょうか、彼は講義をするにあたって以下のような発言を残したと言われています。「小学生相手に話して分からせられないようでは本当に物理学を理解しているとはいえない」と。これには多少誇張が含まれているとしても、物事を本当に理解するためにはそれぐらいの姿勢を持っていなければならないという貴重な自己反省の言葉として受け止めたいと思います。

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チロルチョコきなこ餅味

昨年爆発的な人気を博したチロルのきなこ餅味。

最近またコンビニで見かけるようになったと思って喜んでいたら今回は30円に値上がりしたよう。

何か黒蜜をミックスしたとかでプレミアムな作りになっているらしいですが、個人的な意見としては前の原料のままでもよかったから20円で販売してほしかった・・・。

感覚的に駄菓子の10円は大きな数字だと思うし、それは特に小学生ならなおさらだろう。

10円の当たりに飛び上がって喜んでいた小学生時代が懐かしい。

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