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非リア充なのに卒業式に参加してみた

一昨日は大学の卒業式に行ってきました。

非リア充ぼっちのまま大学を卒業する身としては、式に参加せずに、後で大学に学位証明書だけ貰いに行こうかという発想も何度も頭をかすめたわけですが、最後だということもありけじめをつけるためにも参加してみようと最終的に決断するに至った次第です。

市の体育館で行われた卒業式は、訓辞や表彰などお決まりのプログラムを経てわずか1時間ほどで終わってしまいました。印象的だったのは最後に演奏された大学の学生歌で、おそらく入学式以来聴くのは二度目であったのではないかと思います。中高までと違い、朝の全体集会などのない大学では学生歌や応援歌を演奏する機会などめったにないものです。あるとしたら、体育会系の部活が対外試合をするときぐらいなものでしょうか。六大学野球で、それぞれの大学が自身の大学応援歌を声を張り上げて熱唱している光景は最早お馴染みとなっています(当然ながら非リア充にとっては何の関係もないイヴェントではありますが)。そうでもなければ、学生歌に触れる機会はまずないわけで、そういう部分にも、大学に対する帰属意識が高校までと比べて希薄なものに感じられてしまう(少なくとも私にとっては)大きな原因があるのかもしれません。とにかく、学生歌を演奏するときに「皆さんで一緒に歌ってください」と言われていながらも、周りが誰も歌っていなかった(歌えなかった)のはなかなか寂しい光景でした。

そんなこんなで式は無事に終わり、その後に控えていたのは卒業パーティーという式とは比べ物にならないほどのリア充イヴェントでした。こちらは、ロイヤルパークホテル(ランドマーク)の宴会場を貸し切って行う立食パーティーという非常にセレブなもので、初めは当然参加を辞退するつもりでいました。しかし、パーティー当日の二日ほど前になって、こちらもやはり卒業式と同じでせっかくの最後の機会なのだから思い切って参加してみようと考えを改めたのでした。そして、参加するからには必ず思い出に残るものにしようと思い、私はパーティー参加に関してある決意を抱きました。それは、会場では必ず参加者の方に積極的に声をかけていこう、というものでした。

(続く)

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君はシェイクスピアを読んだことがあるか?(2)

理系と文系の知識の乖離はそのように大きいわけですが、特に文系人間の理系分野に関する知識の欠如は甚だしいところがあります。それなりのレベルの大学に通っている文系学生でも、二次方程式を解くことができない、または運動方程式の初歩の初歩すら知らないという例は珍しくないように思えます。極端な話、古代の一般大衆が持っていたのと同じ程度の科学知識しか持ち合わせていないと言ってもそれほど的外れではないかもしれません。

確かに科学の知識がなくても普通に生活していくぶんには困りはしないでしょう。電気の仕組みをしらなくても電化製品を使えるし、ドライアイスが何の元素から構成されているかを知らなくてもそれを用いることはできます。物事についての原理を知ることと、それを実際に用いることとは別の次元の問題なのは確かです。

しかし、人間は生まれつき知ることを欲するというあの格言が真実であるとすれば、科学テクノロジーの恩恵を受けながら生活している以上は、多少はそれに関する知識を手に入れたいという欲求があってもよいものではないでしょうか。そうした「人類の叡智」を知ることは誰にとっても必ず何らかの喜びを与えるものだと私は思うのです。

つまり何が言いたいかと言えば、私自身(高校時代は理系だったとはいえ)文系の大学に進み、大学時代理系の知識から完全に遠ざかってしまっていて、それに対して疑問を感じ続けてはいたわけで、そろそろまた理系の勉強も再開しなければならないと思い始めたということなのです。とりあえず、高校数学の問題を解いたり、ブルーバックスを読んだりと基礎的な部分から地道に趣味半分で勉強していこうと思っています。少なくともあと二年間は学生生活が続く予定ですので。

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ラジオ告知

明日夜8時より卒業記念ラジオ放送予定です。
興味のある方は聴いて下さると嬉しく思います。
放送場所は前と同じで実況Vを第一候補にしています。

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軽く報告

もう先週のことになりますが、後期の成績表を貰いに行ってもう手に取った瞬間ガクブルしながら成績を確認しました。

今年度フル単に近い単位を取らなければ卒業できないという絶望的な状況の中、何とか前期はフル単を取得し、後期に全てが託されていたのです。

半ば留年を覚悟しながら成績表に目を通したところ…、半期2単位の科目を一つ落としただけで、あとは全て無事単位が取得できていました。

そんなわけでようやく今年は卒業ができそうな見通しが立ったわけです。

おそらく普通にストレートで卒業する人と比べて、感動はより大きいのではないかと勝手に思っていたりします。

ぼっちだったとはいえ、卒業というイヴェントはそれはそれでやはり嬉しいものですね。

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君はシェイクスピアを読んだことがあるか?

朝まで生テレビネタではありません。イギリスの作家C.P.スノーが行った講演の中で、世の中の多くの人間が持っている知識が文系と理系とに分離されてしまっている現状を批判するさいに使われた表現です。知っている方は知っていると思います。私は以前立花隆さんの本を読んでいたときにこの言葉を知ったのですが、その内容は以下のようなものです。

文系と理系とでは何が基本的な知識であるのかその基準が異なっている。まず、文系にとっての「君は読むことができるか?」という最も基礎的な質問が理系では「質量、加速度とは何か?」にあたると言うのです。そして次に、文系にとっての「君はシェイクスピアを読んだことがあるか?」という質問は理系で言えば「熱力学第二法則を知っているか?」というレベルの質問に相当するとスノーは言います。

この発言は当時のイギリスだけではなく、日本の現状に対する批判としてもそのまま用いることができるでしょう。日本の教育現場においては、文系と理系ははっきりと分けられてしまい、文系にとっては理科や数学が苦手なのは当たり前、そして理系にとっては国語や社会が苦手なのは当たり前という風潮がまかり通っているのが現状です。高校時代を思い返してみても、文理に分かれる際に主に数学ができるかどうかで理系に進むか文系に進むかが分けられ、文系に進んだ学生は(私立文系コースは特に)数学は簡単な二次関数の知識ですら抜け落ちてしまっているケースもままあったように思えます。そして理系に進んだ学生は、社会や文学にほとんど興味を抱かず、受験に関係する以外の本は一切読まないという学生もまれではなかったように記憶しています。文系は文系の、理系は理系の知識のみを追い求めていればそれで十分であり、お互いに干渉し合うのはやめようという棲み分けの発想です。

(続く)

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英語の発音がムズすぎる件

中高と6年間英語を勉強してきて得たものと言えば、与えられた英文をかろうじて構文を取り日本語に訳すだけのあやふやな力。

実践的な英会話は全くもってできはしません。

私はそんな典型的(?)な英語力を持つ日本人であると自覚しています。明治以来、我々が英語を学ぶ主な理由は、外国人とコミュニケーションをとることよりも、進んだ西欧文明の成果を採り入れることにありました。そのために海外の多くの書物を日本語に翻訳して国内で出版する必要があり、教育現場でも読解力が特に重視され…云々。

別に日本の教育制度を責めているわけではありませんが、それはともかく、昨今では国際化の進展により英会話の必要性がますます高まっており、日常生活だけでなく仕事上においてもそれは必須のスキルとされてきています。

それなのに、私はリスニング&スピーキングの力は非常に心もとないものがあります。

簡単な内容でもほとんど聞き取れもしなければ喋れもしません。

まず何が難しいかって、あの英語特有の発音ですね。

日本語と違って全ての音に母音があるわけではないので、発音の仕方が根本的に違ってくる。

ある箇所を強く読んだり弱く読んだりで音によっては聞こえなくなってしまったりしてもうお手上げです。

どうすれば英語が聞き取れ喋れるようになるのか。

とりあえず、流暢に喋れるようになるためには英語の発音のリズムを身体に叩き込むことが必要だと思うので、英語の朗読CDのリスニングを生活の中に取り入れていこうと思っています。

大学入試の頃はリスニングが試験科目になかったのもあって付録のCDとかほとんど聞いてなかったんですよね^^;

洋楽は中学生の頃からよく聴いてはいたけれどもリスニングにはそれほど効果がありませんでした。

まあそれも、歌詞をあまり気にしていなかったからかもしれませんが・・・。

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