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知的作業のためにクーラーを

講談社現代新書には『知的生活の方法』というタイトルの上智大学名誉教授・渡部昇一氏が著された大ベストセラーがあります。この本は、その名の通り、「知的生活」のためにはどのようなライフスタイルを送ればよいかが様々な側面から具体的に書かれた本であり、知識人だけではなくおよそ何らかの形で知を追い求めながら生きていきたいと願う全ての人にとって有益な助言を与えてくれる名著であるに違いありません。

詳しい内容はここでは触れません。今日は、もう10年ほど前に読んだこの本の中で今でも鮮明に記憶に残っているクーラーの話しについて書いていきたいと思います。

うだるような暑さの中ではクーラーなしの生活を送るのは非常に難しくなってきています。私なども部屋にいるときはよくクーラーをつけ快適な状態の中で日々を過ごしています。電気代が気がかりなのでできるだけ昼間は外出するようにしたとしても、夜も熱帯夜などはそれをつけずに済ますわけにはいかないでしょう。

何か知的な活動をするときなどは特にそれがいえます。蒸し暑い部屋の中で汗を滴らせながら物事を考えていても集中力が続かずすぐに勉強に嫌気がさしてしまうものです。何か間違った考えに支配された人をたしなめるときに我々は「頭を冷やせ」とよく言います。蒸し暑い環境では人間はイライラがつのり冷静な思考がしばしば妨げられてしまいます。知的活動をするときにはクーラーによる快適な環境の用意がほとんど必須ですらあるのではないかと思えてなりません。

今ではクーラーのある生活があまりにも当たり前になってしまっているのでいまいちピンとこないかもしれませんが、渡部氏が上の本で主張したのはそんな感じの「クーラー肯定論」でした。本が書かれた20年以上前にはまだ今ほどはクーラーが普及していなかった(?)のと、クーラーを使うことが軟弱であるとか環境破壊に繋がるといったようなマイナスのイメージがあったのかもしれません。渡部氏はそうした意見に対してNOを唱え、知的活動のためにはどんどんクーラーを使おうと呼びかけたわけです。

環境破壊などの問題点はひとまず置いておいて、この提案には私も強く賛成します。汗だくになりながらではなかなか勉強に身が入らないのを私もこれまで何度も経験してきましたから。それは自分の家でもそうだし、大学でも(うちの大学はまだ全教室に冷暖房が完備していないのです。目下工事進行中)でもそうでした。クーラーのない時代にも多くの過去の偉人達は一年中勉学に励んでいたわけで、当然ながら彼らの精神力は学ばなければなりませんが、現代人らしく勉強効率なども考えながら勉強を進めていきたいところですね。

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スタジアムは誰のホーム?

阪神タイガーズに早くもマジックが点灯したとの記事に先ほど接しました。関西とは特に接点はないながらもなぜか10年近く阪神ファンを続けている私としては嬉しい限りです。よほどの逆転劇がなければおそらくこのまま阪神の優勝が決まり再度関西地方が沸き立つに違いありません。

さてご存知のように、横浜には関内駅より歩いて5分ほどのところに横浜スタジアムがあり、横浜ベイスターズのホームとなっています。非常に残念ながら今現在成績の奮わないベイスターズ戦はスタジアムですらほとんど観客が入らずガラガラ試合の状態が続いています。(大生板では横浜高校の試合の方がベイスターズ戦よりも観客動員数が多いなどと皮肉られていましたが^^;)それでも、今や記憶が薄れかけてきているベイスターズ全盛期には活況を呈していたものでした。例えどれだけ弱くても決して地元民に見捨てられないタイガースほどは愛着を持たれていないのかもしれません。

そんな中で現在でもスタジアムの試合が盛り上がるほとんど唯一とも言える例外があります。それが対阪神戦です。と言っても、阪神戦のときにベイスターズファンがこぞって観戦に行くわけでは決してなくその逆、つまり阪神ファンがスタジアムに結集するために熱気に満ちた試合になるのです。

私もこれまで何度かスタジアムに阪神戦を観戦しに行きました。阪神ファンなので阪神側外野応援席で応援しようと思いスタジアムに足を運ぶわけですが、時間ギリギリに行ったこれまでの試合では、阪神側応援席をとれたためしがありませんでした。仕方がないのでベイスターズ側応援席で観戦していたわけです。地元横浜での試合だというのに相手側チームである阪神側から先にチケットが売り切れてしまう悲劇。

スタジアムの中に入ってからも「カルチャーショック」の連続です。阪神側応援席は言うまでも無く横浜側応援席も阪神応援席に近い方の席は阪神ファンで埋め尽くされていました。それだけならまだしも、一応は敵側応援席にいるにも関わらず、阪神ファンは平気でヤジや罵声を飛ばしていて流石に阪神ファンの私も少し引いてしまいましたね。今でも私の記憶に残っているのは、関西から出張に来たという熱狂的阪神ファンで、関西弁のヤジが凄かったのはもちろん、試合が終わった後も、スタジアム外の公園で催されていたプチ祝賀会のようなファン集会を見つけた瞬間嬉しそうに奇声をあげながらそちらの方に駆けつけていってしまいました。彼を見たときに、関西人にとって本当に阪神タイガースは特別な、単なる一野球チーム以上の存在なのかもしれないなと実感しました。

阪神ファンとしてはやはり一度は本場甲子園での阪神戦を体験してみたいという思いがあります。上の「虎キチ」が、近くにいたおそらく私と同じ関東在住阪神ファンに語っていたところでは、甲子園の熱気はスタジアムの比ではないということでした。スタジアムですら私は阪神ファンの熱気に思わず圧倒されそうになってしまったというのに、それ以上とは果たしてどのようなものか想像するのも難しいところです。いつか阪神戦が最も盛り上がっている辺りの時期に甲子園に遊びに行ってみたいですね。

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横浜市民のベイスターズファン率は低いと言われるものの、何だかんだで小学校の頃など思い出すと半数ぐらいはベイスターズファンだったような…。

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飲み会悲哀

19 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 00:37:34
ルール違反だと分かっていても
隅っこの席で携帯から2chに書き込みをする。
29 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 00:41:18
グループの中で最もぼっち系の参加者を探して話しかけるが
気付けば彼も自分から離れ集団の輪の中に入っている。
37 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 00:45:45
義理で二次会のカラオケに誘われて
帰ればいいのに思わず流されて参加を表明してしまい
苦痛な時間が引き延ばされる。
62 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 00:58:24
たいして酒飲んでないのに酔ってつぶれたふりをする
106 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 01:15:11
普段会話しないリア充とも話してみようと声かけてみるも
30秒もせずに会話がつまり離れ離れになる。
118 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 01:19:28
場の雰囲気に馴染めなくて損してる分
食事を沢山食べて高い出費の元をとってやろうとする。
249 名前: 機関投資家(SS25) [読書くん( ´_ゝ`)] 投稿日: 2008/07/12(Sat) 23:33:14
所持している数少ない服のうち一番お気に入りのやつを着ていく。
しかし誰にも見られない。
 
 
以上は、大生板の「クラス飲み会にぼっちが参加した時にありがちなこと」というスレに投下してきた一連のレス集です。私自身は根っからの非リアであって、クラス飲みなどという高尚なイヴェントには一度も参加経験がありません。学部時代ゼミにも未加入だったため、付き合いで行く飲み会とはほぼ無縁の状態でやってきました。
唯一それらしいものがあったとすれば、当時勤めていたバイト先での飲み会でしょうか。ここでの飲み会は、おそらく典型的なリア充的飲み会であって、試しに何度か参加してみた私は参加する度に居心地の悪さを感じたのを覚えています。上に書いた内容は、半分はネタだとしても、残り半分はそのときの苦々しい実体験に基づいたものであると言えるかもしれません。
好き嫌いはともかくとして、そうした付き合いで参加する飲み会は社会人になれば格段に増えてくるものです。大学生の頃に飲み会に馴染めなかった非リアは、そうした機会に上手く対応できるのでしょうか。
最低限の表面的な付き合いができなければ、社会人としてやっていくのは難しい。その事実がある以上、今後飲み会耐性を多少はつけていなければならないのかなと思う次第です。大人数で開く飲み会に参加するチャンスはめったにないわけですが、もしもそうした機会があれば逃げずに参加していきたいですね。また、ネットも有効活用して、チャンスを作っていければよいとも思っています。
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(追記)銀月氏と連絡取れました。一部の悪い噂に反して元気にやっているようで一安心です。

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くいだおれとアメリカ独立記念日

大阪に旅行に行ったとき、新幹線の中で読むために何か本を持っていこうと思い、出発前本のチョイスに心を悩ましていました。せっかくの機会なので、以前購入し放置してあった本の中で極めて有益かつ文章量の多い文庫か新書を携行しようと決め、その条件に合う本としてフランクリン『フランクリン自伝』を選びました。避雷針を発明し、アメリカ独立宣言の起草文作成にも関わった「アメリカ建国の父」とも称される、このあまりにも偉大な人物についてはもはや説明は要しないだろうと思います。(ところで後で気付いたのですが、7/4はアメリカ独立記念日だったのですね。何という偶然。)

さて、私は大阪に滞在していた三日間、ふぐ料理、たこ焼き、お好み焼き、串カツ、等々と現地でくいだおれて参りました。私は聖人からは程遠いようで美味しいものには目がありません。供される料理に対して決して文句は言わないにしても、できれば美味しいと思えるものを食べて生活したいと日々思っています。

なぜ唐突にこんなことを書いたかと言えば、大阪でくいだおれているときに、行きの新幹線の中で読んだ、料理に関する次のようなフランクリンの言葉をふと思い出したからなのです。それは以下のようなものです。―私は料理の味を全く気にしないので、食事のときにも前にある料理の内容にほとんど気を払っていない。なので、夕方にもなれば、その日の昼に何を食べたかと聞かれてもおそらく答えられないであろう。―彼はこのように料理の味には全く無頓着であったのだそうです。

このような料理観はもしかしたら素晴らしいものであるのかもしれません。料理に無関心であれば余計な食費などは一切かからないだろうし、食事の選択に使わなければならない労力を他のもっと有益な事柄に向けられるのですから。しかしながら、少しでも料理の味を気にしてしまう人にとっては、そのような高尚な生き方を送るのは難しいに違いありません。私自身もそうした境地に至る日はおそらく来ないことでしょう。

ところで、フランクリンは、典型的なアメリカ人と呼ばれていて、アメリカ人らしい特質を全て兼ね備えているとしばしば言われます。それがどの辺まであたっているのかはともかく、少なくとも上記の点だけは疑いようがなくアメリカ人的であったと言えそうです。平均的アメリカ人の食事観の貧しさについては今更指摘するまでもありません。多くの面では偉大な側面を持ったアメリカも、料理に関して言えば偉大さとは対極にあると断言してもあながち間違ってはないでしょう。歴史家カーライルがフランクリンを指して「全てのヤンキーの父」と呼んだのと同様に、彼はまた全ての「味覚音痴のアメリカ人」(海原雄山氏)の父であったのかもしれません。

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『フランクリン自伝』(中公クラシックス)はこの先何度も読み返すことになる愛読書の一つになりそうです。こうした優れた本の中に示された「人生の指針」に従って私も本当の人生を生きたいとは思ってはいるのですが…。

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大阪から戻ってきて

昨日までの三日間大阪に旅行に行ってました。目的は大阪で働いている友達に会いに行くため(私含め三人で大阪で会いました)。社会人になると学生とは違い、勤務地も全国各地に散らばっており、暇な時間も限られてくるために、なかなか一緒に遊びに行くのも難しくなってきます。五日以上のまとまった休みをとれるのもGWやお盆など限られた時期ぐらいなものです。そのため、今回は金曜夜+土日という限られた時間の中での活動でした。

滞在時間が短い分、その日程は非常に密度が濃いものとなり、金曜の夜に道頓堀で待ち合わせミナミに終電近くまで滞在、土曜は朝10:00に集合しやはり深夜までかけて、大阪の観光地の王道コースを一通り巡る、日曜も朝10:00に集合し私が乗る新幹線の時間である15:00ギリギリまで動き回る。日曜午後には、関西のとある大生板固定の方ともお会いし少しだけ話しをすることができました。

そんなわけで、大阪にいる間は、夜ホテルに戻って睡眠をとる以外の時間は予定がつまっていたわけです。私がここで思い出すのは(大生板住人なら言わなくても分かるかもしれませんが)これはまさにリア充の生活の特徴そのものであり、彼らは普段からこれほど密な時間を過ごしているのだろうか、という点です。特に土曜日などは12時間以上動き回っていたのもあってか、一日がとても長く感じました。ここまで一日が長いと思ったのは久しぶりでした。

ダラダラと時間を過ごしてしまえば、時間はすぐに過ぎ去ってしまうもの。それに対して、有益な事柄に費やされた時間は非常に長い。我々の多くは、貴重な時間をいとも容易く無駄にしてしまうものです。私自身日々時間を無駄に捨て反省を繰り返す毎日です。しかし、一度過ぎ去った時間は二度と戻ってはきません。そのことをはっきりと自覚すれば、時間の無駄に対して何らかの対策をたてなくてはならないと自覚させられるものです。繰り返しのきかない毎日を充実したものにしていかなくてはならないと今回の旅行で再確認させられました。人生は短いとはしばしば言われるものの、時間を有益に用いるのであれば、それは何かを成し遂げるには十分長いものであるのかもしれません。

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大阪のたこ焼き屋の多さにびっくりwそして安い。6個で250円(!)とか。関東にももっと美味しいたこ焼き屋進出してほしい。

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ブームの影響を受けて

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を買ってきました。『カラマーゾフの兄弟』と言えば、亀山氏の分かりやすい新訳によって昨今のドストエフスキーブームに火をつけたきっかけとなった作品として今やすっかり有名になりました。(数年前まではドストエフスキーの作品と言えば『罪と罰』が挙げられることが多かったというのに)

亀山氏の新訳も読みやすいのかもしれませんが、ロシア文学は元々名訳家の多いジャンルでもあり、昔の訳も捨てたものではありません。米川氏や江川氏、工藤氏といったそうそうたる顔ぶれがロシア文学翻訳者の名前として並んでいます。用語や言い回しの古臭さを除けば、これらの旧訳でも十分スラスラと読み進められるでしょう。

文章の古臭さについては出版年数を考えても仕方のないところがあります。例えば、名訳家として知られる米川氏の翻訳本は1920年代に出版されていたりします。これでは、今の人が読んでも違和感を覚える表現が数多く登場するのも当然です。

しかし一方で、その古臭さを評価する人も中にはいるようです。ドストエフスキーはロシア人にとっても既に古典作品であり、日本人にとって夏目漱石や芥川龍之介の文章が古臭く感じるように、海外の作品も少しぐらい古臭い方がよいのだ。それにただ古臭いだけではなく、戦前にはありがちなように文章に重厚さが備わっている。そうした利点が新訳では失われてしまった、のだと。

こうした批判にはもちろん一理あるのかもしれません。しかしながら、ドストエフスキーを日本人に普及させたという事実は、どのようなデメリットをも補って余りあるほどの偉大な業績だと言えないでしょうか。

ですがそれは余談です。亀山氏の訳にも興味は持ったわけですが、私は本は基本古本で買うタイプなので、人気の亀山訳は古本では手に入りそうもなく、かつ5分冊だというのもあり諦めて、新潮版で読むことにしました。新潮版は岩波版の米川訳ほどは古くもなく、パッと読んだ感じでもこなれた文章で訳されているようで読みやすそうです。理想を言えばそれぞれの訳者の翻訳を読み通してみたいという気持ちもありますが、ここまでの長編だとそれも難しいのがつらいところ。

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以前はよくブックオフ100円コーナーにドストエフスキーが並んでいたのに、今では普通の値段の棚でもあまり見かけなくなってしまった…。

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24時間働けますか?

私は働けません。

働きたいのはやまやまなのですが、身体の方がついていかないのです。

私はもともとロングスリーパーな体質なところもあり、一日7時間未満しか睡眠時間が確保できなかった日はあまり体調がよくないし、夕方必ずと言ってよいほど眠気に襲われる瞬間があります。短時間睡眠でもそんななのですからオールなどは言わずもがなです。そのときは、次の日のお昼頃までに耐えられないほどの眠気が襲ってきて電車内や図書館などで数時間は眠ってしまいます。

眠らずに起きていたいとは私も思うのです。しかし、どのような手段を講じても襲い来る睡魔に抗うのは困難です。ガムを噛んだり、カフェインを含んだ飲料を口にしたりと色々な手段を講じても効果はほぼ見られません。なので、私はよほどのことがない限りはオールはしないようにしています。

精神論者に言わせれば私は「気合」が欠けている軟弱者だということになるでしょう。実際周りを見ていると、オールした大学生が次の日ぴんぴんとした様子で活動している姿をよく見かけます。彼らを見ていると、その活発な身体を羨ましく思うと同時に、この辺りにもリア充と非リア充を分ける境界があるのかもしれないなどと考えてしまいました。リア充にとってオールは珍しくもなく、飲み会のたびにオールしていたりするのですから、その根性には驚くばかりです。

しかし、考えてみれば、これでは社会に出てから苦労が増えてしまうかもしれません。仕事内容が忙しければときには短時間睡眠で何週間も過ごさなければならないときも出てくるでしょう。そうしたときに、「自分は睡眠時間をしっかりとらなければ動けない体質だ」などと言い訳していては話しになりません。社会に出るまでに、何としても短時間睡眠や徹夜をしても活動できるように身体を慣らしていかなければなりません。いくら眠くても、仕事中仮眠をとるわけにはいかないわけですから…。

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