« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

節約生活

昨年末からバイトを始めてお金に余裕ができて以来、無駄使いが増えていると感じていたので、小室氏の逮捕の件もあり「これではいけない」と反省し、今月は極力節約生活を心掛けるようにしてきました。

私の場合実家暮らしなため出費はかなり抑えられているところがありますが、それでも交通費や食費のような一部の必要経費はどうしても避けられません。それらが大体一万五千ぐらいの出費。

そして次に、それを削るのは望ましくないような出費、たとえば交際費のような準必要経費もあり、こちらは幸か不幸か、私の場合毎月非常に低い水準に抑えられています。大学関連の付き合いでの出費は皆無ですし、学外で誰かと会ったときにも今月はそこまで高いお店には行っていないので、五千円ぐらいだったでしょうか。平均的大学生の交際費がおそらくは二万を超えているだろうことを思えば、この点では、非リアの方に強みがあると言えそうです。ただ、社会や他人との接点を持つことの意義はプライスレスなので、この面での出費を自発的に抑えようとするのは賢明でないような気がします。むしろこのような目的にこそ大事なお金を積極的に費やしていくべきなのかもしれません(私が言うのも何ですが)。

最後に、自分のために使える残りのお金をどのように用いるかであって、節約生活を送るためにはこの部分をどう用いるかが重要になってきます。極端な話、必要経費は全て済んでいるのですから、一円も余分なお金を使わずに過ごそうと思えば過ごせるわけです。しかし、楽しみに満ちた世の中を生きていく上でそれではあまりに味気ない生活になってしまいます。当然ながら、自分の楽しみにいくらかは出費するのが人生を楽しむ秘訣だと言えるでしょう。

そこで、どうしても欲しいものだけは買うようにし、削ってもよいところはできるだけ削り、小さな額であっても無駄使いをしないように心掛けました。例えば、食費についても、午前中で授業が終わるときには、できるだけ家に帰って食べるようにしましたし、外食についても控えるようにしました。あと私はよくペットボトルの飲み物を買うのですが、110円以下で買えないときは基本諦めるようにしています。

書籍代については買っても絶対に読まないような「無駄な」本は買わないようにはしましたが、それでも古本を中心に一万ぐらいは使ってしまったでしょうか。ですが、渡部昇一氏も言うように、本だけはケチらずに無理をしてでも買い続けていきたいと思うのです。

それらの出費を全て合わせても、今月は三万五千円ぐらいで抑えられたと思います(携帯代等を除く)。私の場合、趣味で使うお金の主な対象がB級グルメと書籍ぐらいなので、節約と言ってもたかが知れたものかもしれません。ですが、「ちりもつもれば」の諺にもあるように、小さな出費を抑えることで蓄えを増やしていけるものだと信じて、今後も吝嗇家にはならないように気をつけながらも節約生活を続けていきたいと考えています。

↑いつもありがとうございます。応援してくださると嬉しいです。

| | コメント (0)

ボジョレー解禁

ボジョレーが今年も解禁になっただとかで、今年も各地でカウントダウンイベントが開かれたようです。そこではワイン通の方々が「今年のは少し甘さが○○」だの何だのと批評し合っているに違いありません。

私も昨年は時流に乗って試しに一本飲んでみましたが、味の方はさっぱりよさが分かりませんでした。それは別に味が悪かったと言っているわけではなく、ただ単に他の数多あるワインとの味の違いが分からなかったというだけなのです。

酒屋に行くと多くの種類のワインが棚に並んでいて、私もそれらのいくつかをこれまで飲んできています。しかし、その度に失望を味わわされたというのが正直な感想です。赤だろうが白だろうが旨いと思えるワインにはめったに出会えたことがありませんでした。数少ない例外としては、非常に安い小ボトルのワインがジュースのように飲みやすかったわけですが、これはおそらく実際醸造後にジュースが混ぜてあるのでしょう。(そもそもお酒は糖分を用いたアルコール発酵によって造られるのですから、砂糖のような甘みが残っていてはいけないのかもしれません)

そうでない「普通の」ワインには甘みが全くなく、甘党の私は受けつけません。これは結局、私の味覚が子供じみていて、大人の舌についていけていないところに一番の原因があるに違いありません。ビールは未だに飲みませんし、日本酒やウィスキーの類もまるで駄目です。飲むお酒と言えば、梅酒やアンズ酒やカルテルといった甘いものばかり。本当のお酒好きに言わせれば、これはお酒を味わっているわけではなく、砂糖やジュースを味わっているということになるのかもしれません。「大人の舌」を備えるためにも、いきなりワインは無理でも、まずはビール辺りの味が分かるようになりたいものです。

↑いつもありがとうございます。応援してくださると嬉しいです。

アメリカ産カルーア甘すぎワロタ。

| | コメント (2)

発想の勝利―直筆本シリーズ

『直筆で読む「坊ちゃん」』という集英社新書の本をご存知でしょうか。これは夏目漱石の直筆原稿を直しなども含めてそのまま写真版で収録したものです。私が最初に本屋でこの本を見つけたときは、非常にユニークな着想に興味を惹かれたものの、直筆原稿とあっては決して読みやすいものでもなく、現状ではまだ漱石文学を理解できていないと自認していたので購入するまでには至りませんでした。

そのときは「これを買うのは余程の漱石マニアぐらいなものだろう」と考え、あまり一般受けはしないのではないかと思っていたのですが、世相を読むのが下手な私はこの件でもまた誤ってしまったようです。というのも、今日本屋に行ってみたら新刊コーナーにその第二弾(?)として太宰治の『人間失格』だか何だかの直筆本が平積みされていたのです。初めから続編を出版するのを決めていたのだとしても、あまりに採算がとれないようであれば、視聴率の取れないドラマと同じく、途中でその企画は打ち切られてしまうもの。今回の企画は最低でも出版社の予想していた程度には、そしておそらくはそれ以上に大きな成功を収められたのでしょう。

このシリーズが今後も続いていくとしたら、どんな作家が登場するでしょうか。私の予想では、初めは古典中の古典、鴎外や志賀直哉や三島由紀夫、また時流から言って蟹工船などが採り上げられ、それらが当たれば、現代文学へと移行していくような気がします。しかし、出版社としては残念なことに、最近の原稿は全てワードで提出されるものなので、出せば必ず売れそうな東野圭吾さんの直筆本などは出版できそうにありません。

こういった本は純粋に読むためというよりも、資料的な価値を置いたり、作者のファンであったりといった理由で購入するのが大半なんでしょう。その意味では、直筆原稿が日本語である必要すらないように思えてきます。英語が全く読めなくても、シェイクスピアの直筆原稿本を欲しがる方は沢山いることでしょう(そられのうちどれだけが現存しているのか知りませんが)。このシリーズが今後も続いていくなら、是非日本語の本だけでなく一冊ぐらいは、海外作品の直筆本も出版して欲しいと思いますね。

↑いつもありがとうございます。応援して下さると嬉しいです。

| | コメント (3)

GET WILDが名曲すぎる件

小室氏の逮捕によって小室楽曲の締め出しが進む一方で、ワイドショーなどで連日昔の映像が一部流されるようになりました。その際高い確率で流れるのがTM時代の代表曲「GET WILD」のライブバージョンです。

この曲は、某アニメの主題歌であると知っていただけで、これまでたいして興味を惹かれることもなかったわけですが、逮捕後繰り返し聞かされるうちに、徐々にそのよさが分かるようになってきて、フルで聴くようになり、すっかりお気に入りの一曲となってしまいました。

この曲を聴いて驚くのは、その先進性についてです。少し編曲すれば今でも十分通用しそうなメロディであるのに(実際globeが新しいバージョンの発表を手掛けていました)、これが20年も前に作られたというのですから驚かされます。氏の感性は時代の遥か先を見通していたと言っても言いすぎではありません。いえ、正確に言えば、氏はその後の日本Jポップの流れの大勢を作った人間であったと言うべきでしょうか。

好むと好まざるとに関わらず、氏はJポップ界にとって偉人の一人でありました。氏の作った数多くの楽曲群は今後も人々に聴かれ、歌われ、演奏され続けていくに違いありません。逮捕されたからといって音楽そのものの価値が低くなるわけではないでしょう。「音楽」と「人格」はあくまで分けて考えるべきです。そうでなければ、文化や歴史は極めて貧しいものになってしまうでしょう。歴史に名を残すほどの小説や芸術の創作者であっても、皆が皆まっとうな人生を送ったわけではないのですから。CD発売中止や放送自粛などは短期的な処置としては妥当なのかもしれませんが、ある程度の期間が過ぎたならば再び氏の作品を正しく評価し、よいものはよいと認めていくべきであると私は考えています。

↑いつもありがとうございます。応援して下さると嬉しいです。

| | コメント (0)

時代の寵児の逮捕で思うこと

小室氏が逮捕されました。小室氏と言えば、90年代を席巻したプロデューサーであって、我々の世代の人間にとっては、好むと好まざるとに関わらずまさに「青春の一曲」として将来採り上げられるに違いない楽曲群の作曲者であるだけに、中高時代既にメタルばかり聴き、Jポップを聴かなくなってしまっていた私にとってもショッキングな出来事でありました。それと同時に、テレビに小室氏が映るのを久しぶりに見た気がして、流行の移り変わりがいかに激しいものかを改めて思い知らされた気もしました。

小室氏の浪費癖は今回の逮捕を受けてすっかりと暴かれてしまい周知の事実となってしまいました。報道を信じるとすれば、一時期は100億もの資産を持ちながら、それを10年ちょっとで食いつぶしてしまったというのですから、庶民から見ると驚くべき話しです。最近の氏は文字通り無一文の状態で、色々な方面に経済的援助を申し出ていたと言います。なぜ、そのような悲惨な事態に陥ってしまったのでしょうか。

第一に、言うまでもなく、収入そのものが以前と比べて格段に下がってしまったという理由が挙げられるでしょう。最盛期にいくら稼いでいたのかは知りませんが、出す曲出す曲次々とミリオンヒットを飛ばしていた当時の収入と、印税収入などはあるにしてもあの頃のようなヒット曲を持たない現在の収入とを比較すれば、後者が前者を下回っているであろうことは間違いありません。

そして第二に、(私はこちらの方がより重要な理由だと考えるわけですが)出費があまりにも多すぎた、つまりは浪費癖が抜け切らなかったという理由です。よく言われるように、節約生活から浪費生活に移るのは簡単ですが、浪費生活から節約生活に移るのは至難の業であり、度を越した浪費癖を持っていたとされる氏がその点で身を滅ぼしてしまったのは理解できます。これまた報道によれば氏の一ヶ月の生活費は800万であったそうで、そんな人並み外れた生活をいつまでも続けていればいくら稼ぎがあっても追いつきようがないでしょう。

こうした話しを聞き私が思ったのは、「節約」と「収入の範囲内で生活すること」の大切さについてです。人生には何が起こるかわかりません。どんな不測の事態が起こっても対処できるように、貯蓄を作っておく必要があります。そのためにも、収入の全てを使うのではなく、その一部を将来のために残しておかなればなりません。確かに最低限必要な出費はあるものでしょう。我々は生きていくために必ず食べなければならないし、着る物も買わなければなりません。しかし、大部分の出費はその+αでなされるものであって、抑えようと思えば抑えられる出費ではないでしょうか。億万長者であればいくら消費してもそれを補うだけの収入があるはずだという考えが間違いであるのは、今回の逮捕劇が如実に物語ってくれたように私には思えます。吝嗇になって心を狭くしてしまうのは避けたいところですが、せめて収入の範囲を超えない出費を心掛けたいものです。

↑いつもありがとうございます。応援してくださると嬉しいです。

ちなみに私が本で読んだとある社長の、家賃や交際費を除く個人的な生活費は月20万程度なんだとか。

| | コメント (0)

学祭という名のナンパ祭

今日は都内で夕方まで用事がありましたので、そのついでに自分にとっては無縁で何の益にもならないだろうと知りながらもスレでの話題作りもかねて早稲田祭を見に行ってみました。早稲田に着いたのはもう6時前でしたので、帰宅組の集団と多数すれ違い、完全に乗り遅れた感を抱きながらもキャンパスを目指して歩いていました。そして、大学近くのラーメン屋で夕食を済ませ(学祭の屋台では決して食べまいと決意していたところに自分の中二病的な傾向を見出しました)大学構内に潜入してみると、すでに片付けが始まっており、案内役の方が「○○門からお帰りください~」などと声を張り上げているところでした。そんなわけで、全くの無駄足に終わったと言えなくもありませんが、せっかくなのでキャンパス内をふらふらと見学してまわり、建物の中で座れるスペースを発見したので、そこで8時頃まで本を読んでから帰路についたのでした。

さて、学祭がリア充祭だというのは最早言うまでもありません。おそらくは早大はただでさえリア充比率が高い大学であるのに、非リアの大部分が参加を拒絶する今回のようなイヴェントでは、ますますリア充の比率が高められてしまいます。非リアやぼっちがあの雰囲気の中を歩くのはなかなか勇気のいる行為だというのは様子を知っている方であれば同意してくださるのではないでしょうか。

そうしたリア充がキャンパス内で我が物顔に振舞うのは別に構わないし、私がとやかく口を差し挟む権利はないと自覚しています。しかし、どうしても釈然としなかったのは、キャンパス内の随所で見られたナンパ行為についてです。大生のスレでも話題になっていたように、学内いたるところでナンパ行為が横行し、女性の側もそれが目的で階段に座り込んでいたりするグループも見られました。こうした光景は中高の男子校文化祭でも見慣れていたので、それほど驚きはしませんでしたが、まさか大学でまで盛んに行われていたとは知らず、カルチャーショックを覚えました。

スレの方でも誰かが書いていましたが、なぜ学園祭のときにはナンパ行為が当然の如く受け入れられてしまうのかその理由が分かりません。街中で声をかけるナンパ行為には大部分の女性が嫌悪感を抱くものでしょう。素性の知れぬ人間に突然声をかけられたときに強い警戒心を抱くのは適切な反応だと言えます。それならば、学祭でのナンパ行為だって質的には大差はないのではないでしょうか。普段一緒に授業を受けているわけでもない、同じサークルに所属しているわけでもない、相手が仮に早大生だと名乗ったとしてもそれが本当かどうかも分からない、本当であったとしても彼が信頼に足る人間だとどうして分かるのか。高校までと違い、制服を着用しているわけではないので、身分の偽装は簡単なものです。そんな相手を容易く信じて、個人情報を安易に与えてしまうのは、自身の安全を危険に晒す行為だと言えはしないでしょうか。私はただ、声をかけていた男性方が最低限信頼に足る人間であったことを祈るばかりです。

↑いつもありがとうございます。応援してくださると嬉しいです。

| | コメント (5)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »