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大晦日

今年も一年が終わろうとしています。

歳を重ねるにつれて、時間が経つのを早く感じるようになると言われますが、今年は特にそれを強く感じた一年でした。昨年末からもう一年も経ってしまったなんて信じられません。そしてそれと同時に、時間の大切さについても、強く実感するようになってきました。人生は短い。しかし、それを有効に使えば何事かを成し遂げるためには十分長い(セネカ)。時間の無駄使いには気をつけたいところです。

そんなわけで今年は一年お世話になりました。また来年も宜しくお願いいたします。

子供の頃は毎年大晦日のドラえもんスペシャルを楽しみにしていたものでしたw

今となっては懐かしい…。

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亡霊が世界中を彷徨っている

大不況という名の亡霊が…。

サブプライムローンに端を発する世界規模の経済停滞が深刻化してきています。アメリカ合衆国の繁栄を支え続け、今回の恐慌を経験するまでは、誰もがその存在は磐石であると思い込んでいた大企業が次から次へと破綻もしくは破綻寸前にまで追い込まれました。リーマン、AIG、シティ、そして話題のビッグ3、何れも中小国の国家予算を遥かに超えるほどの売上高を誇っていた大企業でした。それが、これほどの短期間で一気に落ちぶれてしまうのですから、いくら盛者必衰の理があるとはいえ、あまりに残酷な話です。

アメリカがくしゃみをすれば日本は風邪をひく。当然日本もこうした動きに無縁でいられるはずはなく、不況は深刻の度を深める一方です。企業の倒産件数は戦後最悪で、上場企業も建設・不動産を中心に「倒産ラッシュ」が続き、赤字転落企業が相次いでいます。

こうした大不況は、日本経済や国際経済にとって大問題であるのは言うまでもありませんが、同時に私個人にとっても重い問題としてのしかかってきます。と言うのも、これから私は就活をしていかなければならないからです。

私のスペックは、非リア、+2年、文系院生という三重苦、そこに加えて今回の大不況で、まさに踏んだり蹴ったりの泣きっ面に蜂。学部時代に少しだけ就活したときには売り手市場と言われていたにも関わらず満足のいく結果を残せませんでした。それにも関わらず以前よりも遥かに悪い状況下での就活。スペックの悪さをそこまでマイナス材料視されない頼みの綱の公務員も、不況下では倍率大幅増は目に見えています。どの道を選ぶにしても私にとっては大きな試練が待ち受けていると言えるでしょう。しかし、四面楚歌の気持ちで何とかして将来の道を切り開いていかなければなりません。くれぐれも30歳無職職歴無しニートなどという事態にだけはならないように頑張っていきたいところです。

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将来がやべえ状態だってのにオラわくわくしてきたぞ!(AA略

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同じセリフでも発する人が違えば…

世の中には何を言っても面白いというタイプの人間がいるものです。一言一言がユーモアに満ちていて、何が発言するたびに場の空気が明るくなるような陽気な人間のことで、その極端な例がお笑いタレント(の一部)だと言えるでしょう。こうした人たちは職場でも社交の場でも非常に貴重な存在で、人から好んで付き合いたいと思われるだろうし、人間関係が偶然に支配される職場で、そのような天賦の才に恵まれた人間が近くにいる人は得をしていると思います。ムードメーカーが一人いるだけでも場の空気は大分よくなるものですから。(平凡なレベルでのユーモアセンスであれば多くの人が持っていて、会話の中でそれを発揮しているのでしょうが、そうしたのとは一味違う噺家的な面白さの持ち主がしばしば見られます)

逆に面白みに全く欠けたタイプの人間も世の中には存在します。発言で人を笑わせることはめったになく、何かを喋る度に場の空気を冷ましてしまうような人間がそれです。私は言わずもがなでこちらの典型に属する人間であって、これまで生きてきて、私の発言で場の空気を和ませたり、爆笑の渦に巻き込んだりといった記憶は私にはほとんどありません。ですので、ユーモアセンスに満ちた人々を見ると、自分もあのように生きたいものだと羨ましさを感じてしまいます。

これら両極端の人間の他に、以下のようなタイプの人間も存在します。それは、自分では何か気の利いたこと面白いことを言っているつもりなのかもしれないが、周りから見ると面白くないどころか不愉快で聞いててウンザリするような発言を繰り返すような人間です。これはギャグがつまらないとかそういう次元の問題ではありません。つまらないギャグを飛ばすだけなら、それに対して「また何か言ってるよw」みたいな形でツッコミを入れることで、そのギャグが「ボケ」に転化し、場の空気が和む展開も考えられます。そうではなく、所謂どこにでもいる「嫌な人間」で何か発言するたびに(本人に悪気はないのかもしれないが)その不快な発言で周りを苛立たせてしまうような人間のことを私は言っているのです。こうした人間は、社交の場など自由に人間関係を選べる場では好んで付き合いたがる人間はまあ皆無でしょう。ですが、職場やサークルなど半強制的な人間関係の場では、表面的であっても付き合っていかなければならず、周りにいる人間は迷惑を被る破目になるわけです。(それにしても、今はまだその手の人間を遠くから眺めているか、せいぜい同じ空間にいる程度以上の接点はないからいいものの、社会に出たらそうした人間とも例え表面的ではあっても面と向かって話さなければならないと思うと嫌になってきてしまうというのが本音です。まあ、彼らもおそらく好きで嫌われたり避けられたりしているわけではないのでしょうから、気の毒でもあるわけですが…。)

私は今現在ユーモアセンスに欠けていてお世辞にも面白みのある人間として現実で振舞えているようには思えず、徐々にそれを磨いていきたいと思うわけですが、まかり間違っても第三のような裸の王様タイプの人間にだけはならないように気をつけていきたいと思います。

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メモの効用

ノート術に関する本がベストセラーとなったのは記憶に新しいところです。多くの成功者達は口を揃えて、メモをとる効用について強調しています。過去の偉人の例を見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソを初めとして、常にメモを持ち歩いていて、何か思いついたらその場でメモをとる習慣の持ち主は多いようです。

メモは漢字で表現すれば「備忘録」となる点からも分かるように、何かアイディアを思いついたときに、それを忘れないようにとっておくために用いられるものです。そこには一つの前提があります。人間は本来忘れやすい動物だという前提がそれです。世の中には非常に記憶力が優れた人間がいるもので、複数の用件やアイディアを全て頭の引き出しの中にしまっておけるような方も一部いるのかもしれませんが、普通は新しい情報が入ってきたら古い情報は脳内から捨て去られてしまうものです。ねらーらしい例を挙げれば、日中に「こういうスレを立てたら面白そうだ」というアイディアが浮かんでも、夜家に帰ったときにはその内容を忘れてしまいスレを立てられなかったという経験を持つ方は珍しくはないのではないでしょうか。もっと一般的な例で言うと、夜布団に入っているときに何かアイディアを思いついても、朝起きた時にはそれを全く憶えていないというような経験は誰しも一度は経験しているはずです。

そのように普通の人間は物事を忘れがちなために、何か思いついたらその場でメモをとる習慣をつけるようにした方がよさそうです。私自身もそれほどメモを活用しているわけではないのですが、それでもブログの話題など何かちょっとした内容でメモをとることもあり、その威力の絶大さは痛感しています。別に立派なノートである必要はなく、100円もせずに買えるようなコクヨの小さいノートがあれば十分でしょう。それをカバンの中、もしくは胸ポケットの中に忍ばせておいて、どんな些細な内容でもいいのでアイディアが浮かんだらすぐにメモに残すよう心掛けていきたいところ。

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大学生活に関する話題は板違い

それが大学生活板の暗黙のルール。

非リアの楽園である(はずの)大生板ではいわゆる「普通の」大学生が経験する大学生活に関する話題―サークル、飲み会、恋愛など―は敬遠されます。まれにそれらの話題でスレが立ったとしても、本人は大真面目にスレ立てしているのかもしれませんが、板住人にとってはそれらは釣りかネタの類にしか過ぎず、マジレスがつくことはほとんどありません。

それでも以前に比べれば「リア充系スレ」に寛容になったと思います。昔であれば、少しでもそういった要素があるスレが立つや否やAA爆撃攻撃をくらったりしていたものでしたが、今ではそこまでの排他的な空気は薄れてきているような気がします。確かにあまりにリア充すぎるスレは、ネタスレとして一蹴されてしまいます。しかし、微妙なリア充スレ、例えば飲み会に関するスレなどは、ある程度許容されるような例が見られるようになってきています。

そうした傾向は私は好ましいものであると考えます。大生は非リアの楽園であるとは言っても、やはりあまりに偏った話題ばかりでは世間とのズレがますます大きくなってしまいます。一般人との経験値の差を埋めるためにも、たまにはリア充な話題で板を「換気」してみるのも悪くはないのではないでしょうか。ですが、そこで懸念されるのは板がリア充に完全支配されてしまう事態です。大生板は元々リアルで迫害された非リアが集う楽園であったはずであり、それは今後も変えてはなりません。なぜなら、リア充には帰るリアルがあっても、非リアにはそれがないのですから。非リアのコミュニティーを壊さないレベルでの板空気の微調整を行い、板をより活発なものにしていきたいところです。

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メールのチェックは社会人の日課なのか

院生でぼっちは都市伝説、そんな言葉を信用し、いわゆる「微妙な知り合い」との関係にどれだけ悩まされるのだろうかと期待と不安の半々で今年四月を迎えたものでした。しかし、現実はそれほど甘くはなく、授業が少人数であるだけで、グループワークなどがあるわけでもなく、受講者との講義外での付き合いはほぼ皆無と言っても言い過ぎではないような状況で、つまりは学部時代に引き続きぼっちキャンパスライフが引き続いているのが現実であったわけです。そんな状況下ではあっても、学部時代とは明らかに異なっている点が一つあり、それは、教授との距離が縮まった点でした。学部時代はただ単に教室の前で喋る教官の話を聞いているだけで、個人的に話を聞くような機会はなかったわけですが、今は修論の関係などで研究室を訪れマンツーマンで指導を受けたりと、勉学面では充実した院生生活を送っています。

先日教授の研究室を訪れた際の話です。教授がPCでメールのチェックを行っていて、その画面を少し見てみると、その日付けの受信メールが大量に届いていて、画面を埋め尽くしていました。何でも迷惑メールなどを含めると一日で数百件のメールが届き、少し放置しているとすぐに千件ものメールがたまってしまうとのことでした。用件メールが何件ほどあるのかは聞きませんでしたが、少なく見積もっても数十件は届いているのは間違いなさそうです。

それらに逐一返信する手間を考えると私であればウンザリしてしまうでしょう。私の場合、PCでの用件メールなどめったに届かないし、携帯メールですらメルマガ等を除けば数日に一件も届けばよい方です。ですので、PCのメールも週に数回しかチェックしていないし、それでもあまり困ることはありません。

仕事が忙しい方は毎日のメールのチェックが日課になっていると聞きますが、一日数件ならまだしも、十件を超えるようであれば、返信するのが億劫になってしまいそうです。ですが、そのように様々な面で義務が生じてくるのが社会人というものなのでしょうか…。

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