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高齢学生の就活にありがちなこと

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崖っぷちに立たされての決断

そこそこ志望度の高かった企業も残念ながら筆記&書類選考で落とされてしまった。

筆記試験の内容は、正直に言ってあまり難しいものではなかった。

それは私がうぬぼれているからでも特別優秀だからでもなく、本当に中学レベルの非常に基礎的な知識を問う問題であり、試験終了後に一緒に帰った他の就活生とも「あのテストは簡単だった」と話し合ったほどであった。

なのでおそらく、筆記の点数が足りなくて落とされたわけではないのだろう。

原因は他のところにある。

それは何か。言うまでもない。私の今のスペックにある。

文系院生そして留年経験。これだけ揃っていれば、何も知らない人が聞けば即座に就職は無理だという判断を下すであろうスペックである。

今回の不合格は私の年齢に原因があったのかもしれないし、そもそも院生は対象外だったのかもしれない。

文系採用だと、対象が「4年生大学」とだけあり、院生については初めから除外している企業も珍しくはない。

特に規模が比較的小さい企業だとその傾向が顕著だ。

年齢に関しても就活を進める上でネックとなってくる。

就職ナビを見ていると、しばしば「年齢制限24歳まで」の表記を目にする。

表立っては書いていないだけで、内部規定で年齢制限を設けている企業は決して珍しくはないはずだ。

多くの企業で今の私のスペックでは、書類選考の時点で「不合格」を叩きつけられてしまうのは避けられそうにない。

今回は、そうした厳しい状況の中で就活戦線に乗り込み、数多の困難を乗り越えながら、無事に突破していかなければならない。

だが、諦めなければ必ず道は開けてくるはず。

七転び八起きの精神で、何度落とされようとも、私はその度に自らを奮い立たせ、挑戦を続けていきたい。

松岡修造氏も言っているように「崖っぷちが最高のチャンスである」と信じて。

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「誰でも入れる」という言葉の罠

183 名前: 読書くん ◆GWzFzf5z/g 投稿日: 2010/02/17(水) 23:46:47
今更だけど、就職偏差値が低いと言われてる独立系SEでも
ナビに載せてるぐらいの規模の会社はそれなりに倍率もあって
働いてる人の能力も平均以上はあって、非リアや社会不適合は一瞬で切られますね。
公務員以外の社会不適合は一体どこで働いているのでしょう。
  
      
    
 
一般に世間(2ch?)では独立系SEは大量採用大量離職や長時間の残業などの所謂「ブラック」な業界とされていて、就職難易度はそれほど高くないといわれています。
私も就活を始める前はそんな噂を信じ、大卒であれば、たいした選考もせずにほとんど誰でも採用する、いえ採用せざるをえないほど人材が不足している、そう甘く考えていたのです。
しかし、いざ就活を始めてみて、その甘い幻想は打ち砕かれました。
富○ソフトのような大手独立系は大量採用とは言っても、説明会は毎回満席になるほどの活況ですし、中小でも採用人数が10人未満のところに100人以上の希望者が押し寄せる。
どこもそれなりには競争率があって、とても「誰でも入れる」状態からは程遠いと言わざるをえません。
勤めている先輩社員との懇談会などで話を聞いていても、やはりナビで募集する規模の会社では平均以上の能力を持った社員が揃っているようで(もちろん説明会に来る社員は“できる”社員が呼ばれているのでしょうが)、希望者にはそれ相応の資質や能力が求められているという印象を受けました。
それも、その求められる能力というが単にC言語の知識を身につけるといった勉学的な面だけでなく、同僚や顧客との円滑な意思疎通をはかるというコミュ面にも及ぶというのですから、あまり嬉しくはない話です。
果たして私が無事内定を獲得し、社会人になれる日がやってくるのかどうか、自分のことながら、ワクワクしてきたりもします。
前途は多難な状況ではありますが、何とかやれる範囲でやっていく以外にありませんね。
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ちなみに最近は公務員も人物重視やら何やらであまりに社会不適合だと面接で即切られるようになってきているようで。

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特別を当たり前にする努力

就活の醍醐味、それは多くの方々と知り合えることにあります。

説明会が終わった後、近くにいた人に声をかけ、駅まで一緒に帰ることがたまにあるわけですが、時間にすればたかだか10~20分ほどでしかないのに、別れた後妙に気分が高まっているのを感じるから不思議なものです。

普段知らない人と会話を交わす機会などほぼ皆無に近く、大学でも日常的に話す相手などいないのもあって、こうした経験が何か特別な経験のように思えてしまう。

おそらく、「普通の」人にとっては、日常の光景の一コマでしかないのでしょうが。

こうやってちょっと話をしてみるだけでも、心の奥から「生きる気力」のようなものがわいてくるをの感じて、人と接するという当たり前の出来事が生きていく上で人にとってどれだけ大切かという当たり前の事実を再認識させられるわけです。

当たり前を当たり前にこなしていく、人並み以上の人生を送るにはそれさえあれば十分なような気がする今日この頃。

現状では自分にとって特別な、世間一般の当たり前を自分にとっても当たり前にしていきたい。

それが今現在の私の「喫緊の課題」といったところです。

就活での最終目標はもちろん内定を取ることですが、それだけにとどまらず、就活を通して多くの人と知り合い、社会適合を果たすという目標もあわせて達成していければいいなと思っています。

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ほうじ茶ラテ作ってみた

スタバの新メニューで「ほうじ茶ラテ」なるものがあります。

日本人に馴染みのあるお茶を用いたこの飲み物、私自身はまだ試してはいないのですが、ネットで評判を調べた限りではなかなか好評なようでした。

そこで、スタバで飲む前に、自分でまずは作って飲んでみようと思い、昨日自家製ほうじ茶ラテを作って飲んでみました。

作り方はいたってシンプル。

紅茶と同じ要領で、まずはほうじ茶を普通に作り、そこに黒糖と牛乳を少々加えて完成。

で、早速飲んでみたところ…正直微妙な味わいに。

期待していたのとは全く別物の飲み物ができあがり落胆してしまったのでした。

それで、さっきネットでほうじ茶のレシピ調べてみたら、どうもお湯ではなく牛乳メインで作るのがよいらしく、その新情報に接してまたほうじ茶ラテに対する新たな期待が高まってきました。

今夜寝る前にでも、再度挑戦して、味を見てみようと思います。

そして、少しでも気に入ったものができれば、例のスタバのほうじ茶ラテの方も飲んでみる予定。

スタバは、就活で時間潰すときに入ろうと思えば入れるわけですが、値段が値段だけにどうしても気軽に入る気にはなれず、もっと安いカフェの方を選んでしまうのです。(ただでさえ交通費やら何やらでお金がかかりますからね)

スタバ行くときは最低1時間は居座らないと勿体無い気がしてしまう貧乏性。

将来的には、ちょっとした隙間時間でも躊躇なくスタバに入れるような身分になりたいものです。

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就活筆記で落ちました

しょうがねぇなぁ。

体がぶっこわれても死ぬよかいいや、界王拳を3倍にまで上げるしかねえ!

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義理チョコを貰えない状況、それが問題だ

今年ももう一月経ってしまいました。

時の過ぎるのは相変わらず早いもので、この先ぼやぼやと生きていてはいけないという思いを改めてかみ締めているところです。

それはそうと、再来週にはバレンタインが控えているのもあって、お店に行くとどこも多種多様なチョコレートが置いてあって、どんな商品が置いてあるのか見ているだけでも楽しくなってきます。

(去年散々失敗した逆チョコが今年もまだ置いてあってのには苦笑せざるをえませんでした。誰かあげる方がいるのでしょうか。ちなみに昨年は、バレンタインが終わった後に、お菓子のまちおかに行ったところ、パッケージの文字が逆さまに印刷された逆チョコ用の明治板チョコが大量に置いてあったのを覚えています。)

今では、もう私にとってはほとんど関係のないイベントとなってしまったし、それが当たり前だと思っていたけれど、よく考えてみると、母親以外の誰からも貰うあてがないというのは、社会性の面から言って大いに問題がある場合が多いのかもしれません。

つまり、義理チョコ一個も貰えないということは、女性がいるコミュニティに属していないか(理系の研究室など)、属していてもまともにコミュニケーションがとれていないために義理チョコを貰うレベルの対人関係に至っていないということなのですから。

私の場合、将来社会人になって、普通に一般職の女性もいるオフィスの中で働いていたとしても、普段まともに同僚と交流ができず、バレンタインも義理チョコですら完全スルーされるようになる悪寒。

別に私はプレゼントのチョコに期待しているわけではないし、お返しなど考えると貰えない方が色々と都合がよいとすら考えているくちではありますが、社交性のバロメータという点で、義理チョコが一個も貰えない状況はまずいのかもしれないという自己反省を迫られるのもまた事実なのです。

まともに他人と関わりながら、「義理」が存在する中で人並みの生活を送れるようにはなっていきたいところ。

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