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三田祭に無駄に立ち寄ってみた(後編)

三田祭に行くために、渋谷から田町へ移動。

駅前に出ると、いるわいるわ、リア充の群れ。

もう一目見ただけで、彼らがこれからどこに向かうつもりでいるのか分かろうというもの。

そんな中明らかに場の雰囲気にそぐわないオーラを放つ私も、彼らに混じって大学へと向かったわけです。

途中、早くも学祭関係者がチラシを配っていたりで、学祭の盛り上がりを予感させました。

そうしてようやく、あの大通りに面したやたら立派な門のところに到着。

古本市をやってるかどうか知りたかったので、公式パンフレットを貰おうとしたのですが、何と無料配布でなく100円で売っていて軽いカルチャーショックを受けました。

古本市以外の展示に大して興味もなかったので、当然買うわけもなく、今回は古本市は諦めてキャンパス内を適当に歩き回ることにしました。

土日の都内繁華街のような人出、それも半端ないリア充オーラ溢れる中を歩いていると、そこかしこで屋台の客寄せ合戦が繰り広げられている。

ぼっち「素人が作ったコスパの悪い食いもんなど決して買わないのが俺のジャスティス(キリッ」

そんな空気にうんざりし始めて、来たばっかだけどそろそろ帰るかと思っていたら、ミニステージでバンドの演奏が行われているのを発見する。

そのバンドが、女性メンバーが猫耳つけてたりで、見た目どうもオタっぽい(失礼ながら)のが気になったので、立ち止まってしばらく見ていたら何とハルヒのGod knowsの演奏が始まり内心で狂喜乱舞状態でした。

まさかリア充の象徴とも言える三田祭でアニソンの生演奏が聴けるとは夢にも思っていませんでしたから。

そして続いて、けいおん劇中歌の「ふわふわ時間」が演奏され、私の興奮も最高潮に達し、思わずスレに「ふわふわ時間キター!」と書き込んでしまったほどでした。

流石にリアルでその感激を表に出して踊り狂ったりとかしないぐらいには自制心を働かせましたけど。

この演奏で面白かったのは、ステージ前のごく一部ののりのりの人たちと、その他多くの通行人の冷ややかな反応とのコントラストを見たときでしたねw

ノッテる人たちは正直10人ぐらいしかいなくて、リア充オーラ溢れる三田祭の中にあって、あの空間だけ別の空気が支配していたと言っても言いすぎではないでしょう。

三田祭であえてあの路線で挑戦しようと思った彼らの勇気には感嘆させられました、これは皮肉でも何でもなく文字通りの意味で。

この演奏が聴けただけでも、今年の三田祭に来た意味がありました。

その後、学内をぶらぶらと歩き回り、相変わらずリア充たちが呼び込みをしている姿を横目に見ながら、私はキャンパスを立ち去ったのでした。

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女性メンバーの一人が黒髪ロングでリアル澪っぽかったのはここだけの話。

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昨日はk大の学園祭に行ってみた(前編)

昨日は午前中渋谷に用事があり、青学の近くにまで行ってきました。

青山通りを歩いて行き、国連大学を少し先に行ったところに、昔ながらの古本屋が二軒も並んでいるのを見つけ、嬉しくなって思わず入店し、両方のお店で買ってしまいました。

店主も、もうここで何十年も営業してそうなお爺さんがレジに座っていて、これからも商売が続いていくように内心で祈らずにはいられませんでした。

最近はブックオフとアマゾンの猛攻もあり、ああいう古きよき古本屋は続々と街中から姿を消していってしまっています。

神保町は、日本を代表する古本屋街であることからまだ大丈夫ですが、早稲田の古本屋通りなどは、周辺に三軒もブックオフが進出してきた影響もあってか、ここ十年でかなり店数が減ってきているように思えます。

青山のあのお店も、周辺にブックオフが一軒でもできたら厳しいでしょうね。

いくら専門書中心だからブックオフとは競合しにくいとは行っても、一般書も多数扱っているわけで、売上げの激減は避けられない。

ビジネスの世界は弱肉強食の原理が支配しているとはいえ、出版は国民の文化全般とも関わってくるわけで、一概にビジネスの論理だけでは語れないところがあります。

一般書中心の古本屋が潰れていくのはまだやむをえないにしても、専門書中心の古本屋まで潰れてしまうのは、日本の文化レベルという観点から見ると大きな痛手だと思います。

ブックオフは、専門書学術書の品揃えはお世辞にも充実しているとは言えませんから。

まあ、それは「ぼやき」でしかないので、これ以上は書かないでおきます。

そんなこんなで、せっかく土曜に都内まで来たので、どっか学園祭やってるところないのかと調べてみたら慶大の三田祭が開かれてるのを知って、それじゃ行ってみるかってことになったわけです。

(次回に続く)

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時代が大生に追いついた

今年の流行語大賞の候補が先日発表されました。

こちらがそのニュース記事で、ノミネートされた用語がずらっと並んでいます。

iPadやゲゲゲの~、なうなどお馴染みの言葉が並ぶ中でよく見ると目を疑う言葉が一つ。

28 もしドラ

29 もってる

30 モテキ

31 リア充

32 ルーピー

33 一兵卒

Σ(゚д゚;)

何と大学生活板発祥の「リア充」が候補語に選ばれているではないですか。

確かに、これまで何度も書いてきたように、最早リア充という単語は、2chという狭い場でのスラングにとどまらず、ひろくリアル社会でも使われるようになり、よりによって我々が当初「リア充」と呼んでルサンチマンをぶつける対象としていた真性リア充までもが「リア充爆発しろ」などとリアルで口にする姿が見られるようになってしまいました。

リアルで使われる「リア充」とは主に、「恋人がいて毎日充実した日々を送っている人間」を指して使われることが普通だと言う。

確かに「サークルに入ってそれなりに学内に友達もいる大学生」というもともとの意味では、「一般人」にとってはあまりにも当たり前過ぎる生活であって、それでは周りから区別された特別とはなりえない。

だから、彼らの基準で、そこに新たな意味が与えられてしまった。

これはこと言葉が持つそもそもの相対性を考えればやむをえないところがあるとも言えましょう。

それにしても、恋人の有無によって充実度を判定するとは、昨今の浅薄な恋愛至上主義を反映した非常に嘆かわしい現象であるとしか私には思えません(キリッ

まあそれはともかく、我々としては、2年以上前からネットで普通に使っていた言葉が、今さら流行語大賞候補に選ばれたという事実には違和感を覚えずにはいられないし、当時との意味のずれを思えば多少なりとも冷めた目で眺めてしまうのも人情というものかもしれません。

それに、仮にもしこれが流行語大賞に選ばれでもしようものなら、一体誰が授賞式に出席するのかという新しい問題が生じてきます。

まさかひろゆき氏がその役をつとめるわけにもいかないでしょうし。

その辺どうなるのかは不明ですが、せっかくノミネートされた以上は、トップテンには入って、マスコミの注目をこの言葉に集めさせたいものですね。

そうすれば、流行の起源である大生板も少しはマスコミに報道されるかもしれませんから。

来月の発表が今から楽しみでもあります。

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ちなみに2008年頃は「リア充」でぐぐると私のブログがトップに表示されていたのは今では懐かしい話。

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ニュートンがスタバの店員を務めてもいい仕事はできない

池上彰さんの最近の快進撃は全くもって目を瞠るものがあります。

レギュラー番組を持ち、Mr.ニュースの異名をとるようになり、今や氏の姿をテレビで見ない日はありません。

書店に行っても毎月のように新刊が発売され、出す本全てがベストセラーとなっており、驚くべきことにDVD付きの月刊誌「池上彰」なるものまで出版されておりました(最後のはいくらなんでもやりすぎだろ、jk)。

これだけ目立つようになっては、当然ながら妬みややっかみ、また生理的な好き嫌いなどの理由から叩きや誹謗が増えてくるのは当然の展開。

大生板においても、たまに氏のスレが立ち、多くの批判が書き込まれてきました。

それらの中で私が気になったのは次のような趣旨の指摘です―「池上さんは、ニュースを表面的に解説しているだけで、自分が考えた鋭い意見は何一つ言っていない」。

この指摘は確かに事実ではあると思うのです。

池上さんは、深い考察に基づいた提言や建設的意見はほとんど口にしてはいないでしょう。

と言っても私は、池上さんの評価を貶めようとしてそんな発言をするのでは決してありません。

ただ単に人それぞれの役割の違いというものを弁える必要があると私は思うだけなのです。

昔読んだ池上さんの本(今ほど有名になる前に読んだ本です)の中で、氏は次のようなエピソードを書かれていました。

ある日テレビに出演してニュースの意味を自分なりに分かりやすく解説した後に、キャスターから自分の意見を求められたところ、あまりいい意見を言うことができなかった。そのときに私は思った。私の強みは、複雑なニュースを子供でも分かるように簡単に解説するところにあるのであって、自分の意見をいうところにはない。それは評論家の人に任せておけばいい。もちろん自分の意見を持つのは大切なことだが、それ以上に自分の強みがどこにあるのかを自覚するのが重要だ。

池上さんが自身でも言っているように、氏の強みはニュースを分かりやすく解説するところにあります。

我々視聴者も氏にそれを求めているのであって、この先日本が進むべき進路がどこにあるかという疑問に対する答えなどははなから求めてはいないはずです。

ですから、上の批判者が言うような「意見が弱い」というのは当然の話であって、それは池上さんの評価を傷つける特長には決してなりえないでしょう。

自分の強みを十分に自覚し、そこに資源を集中的に投入していくという視点は日常生活においても仕事においても非常に重要になってきますね。

真理の追究を役割とする学者が、分かりやすく噛み砕いて解説するのが役割の予備校講師になっても必ずしも成功するとは限らないし、その逆もまたしかりです。

だからこそ、就職するにあたっては、自分の強みを自己分析によって自覚し、適性の合った職に就いていかなければならない。

私は未だに自分の適性や強みが掴みかねている現状であったりもしますが(適性だけで言えば、協調性やチームプレーがダメなので、わが道をいく芸術家や学者、フリーランスなどが向いているとは分かっているのですが、能力その他の面で色々と壁が立ちはだかっています)、数少ない選択肢の中で最大限自分に合った職を見つけていきたいものですね。

↑院生部門5位。美少女フィギアの人に抜かれてしまった。よろしくなのです。

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ネットのなかったころの非リア大学生って…

普段何してたんでしょうね。

ネットがある現代だからこそ、大学デビュー失敗してぼっちになって陰鬱な日々を送る羽目に陥ったとしても、ネットの中に自分の居場所を見つけることができる。

リアルがダメならせめてネットで充実した日々を送ろう、そう思えば、ネットであれば自分の居場所は割合簡単に見つけられるような気がします。

2chは少々癖が強いし、半分はネタだとはいえ、煽りやら叩きも横行しているので、ネット初心者には厳しいかもしれませんが、mixi・ついったー・モバゲー・グリーなど大手コミュニティサイトに行けば、どこかしら自分に合った場所に落ち着けるものでしょう。

それに失敗してしまったのが、あの秋葉の彼で、彼が無差別殺人に走った動機のひとつに、ネット掲示板ですら誰からも相手にされなかったというのを挙げていたのは記憶に新しいところです。

しかし、その掲示板というのは、2chやらミルクカフェやらといった有名所ではなく、私もよく知らないような無名の場所。

そんな場所で呟いていたのでは、誰からも相手にされなくなったって無理はありません。

利用者がごく少数では、変わった性格や人格の持ち主はすぐに排除されてしまうものですから。

そんな場所ではなく、もっと多様性に富み、あらゆる人種を受け入れてくれるような場所にこそ彼は自己顕示の場を求めるべきであったのに、そうしなかったのは彼にとっては不幸だったとしかいいようがありません。

話はずれましたが、ネットだと、リアルでは誰からも相手にされていないような人間や、周りに話せる人がまずいないような変わった趣味の持ち主であっても、自分の居場所を見つけられる可能性は高い。

そういう意味で、非リアにとっては、ネットの発達はまさに天恵ですらあり、大きな希望をもたらしてくれたと言ってよいでしょう。

かつてなら、社会からほぼ隔絶し、自己表現とは無縁の生活を送らざるをえなかった非リアやコミュ障も、現代では家にいながらにして、事実上全世界に向けて自己発信ができるようになった。

これは当たり前ではあるけれど、何度強調してもしすぎることはない画期的な変革であると思います。

私もネットがあれば、現実世界でどれだけ不遇な境遇であろうが、この先もそれなりに充実した生活を送れそうな気がします。

(もちろん、それはネットが充実していればリアルはどうでもいいという意味でないのは言うまでもありません。リアルはリアルで最大限充実したものにしていく義務が我々にはありますからね。)

そのためにも、最低限ホームレスなどにならず、普通に食べて普通にネットを使える生活を維持していく程度の暮らしはしたいものだと強く思うわけです。

私はあまり出世欲や金銭欲の強い人間ではありませんが、流石に無一文になって野垂れ死ぬのは避けたい。

そうならないためにも、何としても定職に就き、少なくとも首にならないぐらいの働きは示さなければなりません。

千里の道も一歩から。

将来どれだけ大きな仕事をしてやろうという意気込みがあっても、まずは、目の前の小さな一歩を積み重ねていくのが重要ですね。

↑院生部門4位。と言ってもトップ3が大きく引き離してる展開。よろしくなのです。

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