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最後のご奉公

最後のご奉公という言葉は今ではもう時代遅れとなってきている感もあります。

国家主義的な記憶がまだ色濃く残っていた一昔前ならいざ知らず、今では、仕事はあくまでも自分個人の豊かな生活のために為し、老後は、貯蓄と生活の保障さえあれば、あとは安穏と好きなことだけやって日々を送るという人生設計の方が魅力的に映るものであるのかもしれません。

また、そうでないとしても、70や80にもなって、あまりにでしゃばりすぎると今度は「老害」という批判を受けるもとになってしまうわけで、その辺のバランスの取り方は難しいところです。

しかし、仮に「老害」と言われようが、本人に実力があり、私的な利益を貪るためでなければ、老後社会活動に関わるのは大いに歓迎すべきであり、老人の知恵に若者は謙虚に学ぶべきであると私は考えます。

真の意味で、最後のご奉公と呼べるのは、周りから「この難儀な仕事を成し遂げられるのはあなたしかいない」と持ち上げられて、しぶしぶその地位に就任することであり、JALの稲盛さんなどがそのいい例であると言えそうです。

そして、そのように「ご奉公」をせまられるような老後は、その人の過去の充実したキャリアを如実に示しているわけで、少なくとも仕事の面では尊敬すべき人生を送ってきた証拠でもあります。

私も、「生涯現役」を理想としており、人生を終える直前まで仕事を続けていきたいと思っています。

その場合、自分の意思で続けるのとは別に、上に書いたように、周りの強い要望を受けて、重要な地位に就くという道もあるわけで、できれば、そうした老後を迎えたいところです。

自分はそろそろ隠棲しようと思っても、社会がそれをなかなか許してくれない、そんな人生こそ、私が思う最も理想的な人生の送り方でもあります。

もちろん、そこまで偉大な人生に到達するのは非常に困難ではあるでしょうが、目標だけは高く持ち、少しでもそれに近づけるように日々懸命に自己鍛錬を続けていきたいですね。

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東大卒タレントという存在について

最近たまに見る高学歴タレント、中でも東大京大卒タレントの活躍が目立っています。

お笑いタレントの世界は大学中退が高学歴と呼ばれた時代は今は昔、現在は大学卒業どころか、超難関大学出身者がお笑いタレント・アイドルになる時代になりました。

10年ほど前は、国立大学出身のグラビアアイドルが世間を賑わしていて、まあ私自身も、彼女とは全く無関係の所属ではなかっただけに、テレビでわざわざ「国立大学」を冠して紹介される彼女の姿を見るたびに苦々しい思いにとらわれていたものでした。

ネットの普及によって、従来は隠されていた情報がいとも容易く暴露されるようになったのもあってか、最近は、東大生av女優という文字ですら目にするようになり、そうした世相にあっては、東大生お笑いタレント程度で驚いていては人に笑われてしまうかもしれません。

ところで、2chで口の悪い人などは、東大まで出ておきながらタレントになるのは勿体無い、という意見を述べたりしているのを見かけますが、これなどはどう考えるべきでしょうか。

もちろん、常識的な結論を言えば、誰がどんな職業を選ぼうが自由であって、東大を出たからと言って、必ずしも弁護士・官僚・一流企業勤務・起業家にならなければならないという決まりはないわけで、彼らの好きにさせればいいというのが当然の結論だとは思います。

人生の何に重きを置くかは千差万別なわけで、卒業後の社会的地位よりも、自分の好きなお笑いに人生を捧げ、高い知名度や経済的成功を得たいと思う人がいてもおかしくはありません。

各人が思い思いの道に進んで、自分の人生を納得のいくように送るのが一番だと思いますよ。

思いもかけないところで、それまで学んだ知識が役に立たないとも限りません。

そもそも「東大卒芸人」というレッテルを貼られて、少なくとも最初だけはテレビに出演させてもらえるというところからして、東大卒の特権が存分に発揮されているとも言える。

そういう意味では、彼らもまた東大のアドバンテージを十分活かして就職しているわけで、それはそれで賢明な選択なんじゃないでしょうか。

まあ、どんな道に進むにせよ、一番大切なのは、そこで成功できるかどうかである点は疑いないですね。

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なぜ男は突然女に振られるのか!?(mixiニュース風に)

男性であれば、付き合ってる女性からある日突然別れを言い渡されて、理由が思い当たらないばかりに呆然として、冗談か何かではないかと思った経験をお持ちの方も多いのではないだろうか。

筆者の周りでも、そうした別れを経験し、心に深い傷をおった知り合いは数知れない。

このケースで振られた時は、その後男性が「猛省」をし、関係の修復を迫ったとしても往々にして受け入れられないのが普通である。

我々男性にとっては、このような形での別れは非常に辛いものであるが、女性の側にはまた違った言い分があるようだ。

例えばIT企業に勤務する26歳の女性は次のように語る。

「男の子にとっては突然振られたように思えるかもしれないけど、私たち女の子にとっては、別れを切り出すに至るまでには複雑な葛藤や悩みが一杯あって、よく考えた上で結論を下してるんです。

デートしてても、相手の愛を感じられなかったり、大切にしてくれてないと感じると不安になってきて、色々とそれとなく相手を試してみる。

それでも改善されないようなら仕方なく別れを選ぶというだけであって、と突然別れるというのはちょっと違うと思うな。」

こうした声を聞いて分かるのは、確かに男性の側から見れば、別れは突然であるように見えるかもしれないが、女性の側から見ると、それは決して唐突なものではなく、溜まりに溜まった苛立ちポイントが臨界点に達し、別れを選択せざるをえなくなった、ということらしいのだ。

普段のデートの際に、おそらく再三にわたって女性は相方に向かって、暗黙の「警告」を発しているのである。

ただ、多くの場合、それは非常に微妙な形で行われるので、見過ごしてしまうことが珍しくない。

そして、「突然の別れ」という悲劇に繋がってしまう。

そうならないためにも、女性と付き合うとき男性は普段からよくよく相手の些細な言動に注意を怠らないでおきたいもの。

あなたが今付き合ってる女性も、デートの時に何か警告を発してるかもしれませんよ?

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ブックオフの目玉100円コーナーに変化が…

ブックオフの醍醐味といえば何と言っても、100円コーナーで掘り出し物を探すことであって、前々から目をつけていた本を100円コーナーで発見したときの感動は経験した人ならきっと共感してもらえるに違いありません。

しかし近年、ブックオフの戦略に変化が生じてきており、単行本コーナーが100円ではなく200円の値段設定で売られているのをしばしば目にするようになってきました。

私の経験だと、新店舗で、大きな駅の近くにある好立地で集客力のある店舗は200円で展開している傾向がある。(200円というのは実に上手い価格設定で、というのも、アマゾンマケプレでも本の送料は一律250円かかるため、仮に1円で古本を購入したとしても、251円かかってしまう。200円なら事実上最安値水準での販売が可能になるわけです。)

ただ、それもこれまでは、200円に引き上げたのは都内の店舗だけで、横浜だと、私の知ってる範囲では、横浜ビブレ店が初めての200円店舗であって、大型店舗の伊勢佐木モール店はそうではなかったのです。

それが昨日行ってみたら、驚くべきことに、単行本コーナーが200円以下に切り替えられており、大半の商品が200円に「改悪」されてしまっていました。

伊勢佐木店は、私の最も行きつけの店舗であっただけに、最初見たときは激しいショックを隠しきれませんでしたが、確かに単行本100円はあまりにもバーゲン価格が過ぎていたし、せどりの行動が苦情に繋がっていたりもしたようなので、やむを得ない改訂だったのかもしれません。

物は考えようで、価格が倍になったおかげで、せどりや実需の消費が減り、これまでよりもよい本が売れずに残るという点は期待できます。

私自身、この価格改定を受けて、単行本の購入にはより慎重になるでしょう。

まあ私の場合は、単行本で高いものは図書館で借りて、買うのは新書文庫が中心でもあったので、そこまで大きな影響は受けないかもしれません。

今後文庫新書の値段まで引き上げないように、ブックオフさんには期待したいところです。

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早寝早起きは社会人なるにあたってのネック

社会人になるにあたって越えなければならない障害は多々あるものの、そのうち特に厳しく感じるもの、それは早寝早起きの習慣を見につけなければならない点です。

早寝でなくとも早起きでありさえすれば問題はないわけですが、私の場合は、最低6時間は寝ないとなかなか目が覚めないのもあり、週5で出勤するためには実質早寝を強いられるのが実情となってきます。

朝7時に起床となると、平均夜の12時過ぎには就寝しなければならない、その事実を思うと、いかに社会人になるのが難業であるかを思い知らされます。

それも、学生とは違って、1回でも遅刻をすればイエローカード、数回重なれば規約違反で首になってもおかしくはありません。

私の生活スタイルは、深夜3~4時頃に就寝し昼前に起床というのが基本で、何か用事でもなければ朝8時前に起きる日は非常に稀。

無理やり朝からバイト入れて生活パターンを改善しようと試みたこともありましたが、夜なかなか寝付けず、結局毎日寝不足のまま、かろうじて遅れずに出勤するのが関の山でした。

社会人になっても、そのように一杯一杯の日々を送るようになるかもしれません。

今は、深夜以外は原則立ち上げないようにしているPCも、社会人になったら、勉強や読書との両立を考えるなら、時間を前倒しかつ短縮し、夜11時以降は寝る準備にまわさなければならなくなるでしょう。

出勤時間の無意味さを考えると、可能であれば、繁忙期の高級官僚のように、週3日ぐらい会社に寝泊りできれば時間に大分余裕が生まれるのに、と思ったりもします。

しかし、現実問題、自分の仕事終わったからと言って社内で深夜まで本読んだり勉強してる同僚がいては周りの士気にも関わってくるでしょうし、それが許されるとは思えません。

歳取れば取るほど、睡眠時間が短くなっていくとも聞きますから、私も体質がそのように変化していくのを祈りたいところです。

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高井山ならぬ高尾山に登ってきました

高井山と聞いてピンと来る人とは親友になれそうな気がします。

そう、ドラえもんの中に登場する高井山とは、東京都に残るオアシス高尾山の、作中でのパロディ地名であって、鉄人兵団を鏡面世界へと誘い込むために高井山にある湖を用いたエピソードはファンの間では有名です。

私が昔高尾山の存在を知ったのも、ドラえもんを通してであったように思えます。

ドラえもんを知らなければ、おそらく高尾山の存在は、その後ミシュランガイドブックで取り上げられたとは言っても記憶に残りはしなかったであろうし、今回友人とGWの行き先を相談したときに、真っ先にその単語が思い浮かびはしなかったでしょう。

実際私は、行き先の希望地に「高尾山」と答えたときに、ドラえもんとのび太が山で楽しそうにピクニックしている姿が思い浮かんでいたのでした。

そんなドラえもん効果もあって、本日は高校時代の友人(社会人、と但し書きするのも最早野暮というものかもしれません)と高尾山にピクニックに行ってきました。

京王線で高尾山麓の高尾山口駅に到着し、ちょうどお昼時となったので、雰囲気のいいいかにも日本の古民家といった外観のそば屋でとろろそばを食べ、登山に備え腹ごしらえを済ませました。

その後早速登山に取りかかる。

ケーブルカーが通ってはいましたが、往復900円という運賃納得できなかったからでは決してなく、単に情緒が無いと思ったのと、歩いても1時間強しかかからないという点を考えしっかりと歩いて上まで登ることに決めました。

定番の表参道を通る1号路を通り頂上を目指しました。

GWなのもあり相当な人手を覚悟していたけれど、実際はそれほどでもなく、他の登山客のために通行が妨げられるような場所はほぼ皆無でした。

途中都心から電車で1時間とは思えないほどの豊かな自然を満喫しながら1時間ほどで早くもケーブルカーの駅が見えてくる。

そこから頂上までは15分もかからない程度で思ったよりも気楽に頂上に達してしまいました。

途中多少傾斜の急な場所もありますが、それほどキツさは感じずに上まで歩き通せました。

内輪話で恐縮ですが、うちの大学に毎日、相鉄最寄り駅から急峻な傾斜に耐え通学している方であれば、高尾山の登山は割合困難を感じずにやり遂げられるのではないでしょうか。

それはともかく、今回残念だったのは、天気が曇りで、頂上からあまり遠方まで見渡せなかったことですね。

快晴であれば、富士山なども綺麗に見えていたに違いありません。

それはまた、次の機会の楽しみに取っておこうと思います。

それにしても、都心から1時間で行ける場所にこれほど自然豊かで長閑な場所が残っているとは。

ここは国民の、いえ世界の財産として後世まで美しい姿を残していかなければなりません。

Long live Mt.Takao!

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