簿記3級受けてきた

昨日は簿記検定試験があり千里の道も一歩からの3級を受験してきました。

今回は勉強時間が限られていて時間的余裕にかけていたのもあり、あまり手を広げすぎないで、テキスト一冊だけに絞り、問題集も使わず、演習もテキストの中にある問題だけを完璧にこなす方針で勉強をしてきました。もちろん計画と現実は食い違うもので、それですら完璧と呼ぶには程遠いものでしたが、何とか一通りテキストに目は通し、基本は固めた上で昨日の本番に臨んだわけです。

会場に到着し、テストが始まってから気付いた失敗―「腕時計忘れてた!」。普段時計をする習慣がないと、こういうときに手痛い打撃を被ります。社会人にとって腕時計はマストアイテムだと再認識。

演習不足のせいもあり、ところどころ手がとまりながらゆっくりとやっていたところ、精算表の問題を解いている途中に終了10分前の合図がかかる。それから急いで表を埋めたものの、表を全て埋めて最後総利益と合計金額を計算しようとしたところでタイムオーバー。

試験が終わり駅に向かって歩いていたら、会場外で早くも大原が解答速報を配布していてその素早すぎる反応に脱帽させられました。解答を確認してみたところ、精算表の最後の数字と、仕分けの問題で一箇所「仮払金」と「小口現金」を間違えてしまった以外は運良く全て正答できていたので、精算表の問題で少しでも途中点を貰えれば合格できそうな感じです。

このまま簿記の勉強を続けていって、次の試験では2級の取得を目指そうと思っています。2級でも持っていれば何かと就職にも有利に役立てられる公算もありそうですからね。もっと言えば1級まで持っていればかなりの強みになるでしょうが、そこまでいけばもう税理士の簿記科目なども視野に入ってくるレベルになるのでしょう。状況を見ながらこの先、自分にできそうな範囲で資格取得にも力を入れていきたいところ。

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千里の道も

一歩から。

最近、やたらと企業会計や財務の面白さに気付き、会計・金融系の本を読む機会が増えたので、趣味半分で簿記の勉強を本格的に再開し始めました。

とりあえず来月3級のテスト受けます。

そして今年中に2級は取りたいところ。

2級まででも持っていれば、社会人になってから資格手当てがついたり、財務書類の基礎的な部分が理解できたりと、決して損にはなりませんからね。

仮に、そうした実利的なメリットがそれほど期待できなかったとしても、日経新聞の企業情報で理解できる記事が増え、日々のニュースがより楽しめるようにはなるかもしれません。

別に今から税理士・会計士の資格取ってやろうと野望抱いているわけでもないので、あまり実益にこだわらず、楽しみながら勉強していくのが一番だと思っています。

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メモの効用

ノート術に関する本がベストセラーとなったのは記憶に新しいところです。多くの成功者達は口を揃えて、メモをとる効用について強調しています。過去の偉人の例を見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソを初めとして、常にメモを持ち歩いていて、何か思いついたらその場でメモをとる習慣の持ち主は多いようです。

メモは漢字で表現すれば「備忘録」となる点からも分かるように、何かアイディアを思いついたときに、それを忘れないようにとっておくために用いられるものです。そこには一つの前提があります。人間は本来忘れやすい動物だという前提がそれです。世の中には非常に記憶力が優れた人間がいるもので、複数の用件やアイディアを全て頭の引き出しの中にしまっておけるような方も一部いるのかもしれませんが、普通は新しい情報が入ってきたら古い情報は脳内から捨て去られてしまうものです。ねらーらしい例を挙げれば、日中に「こういうスレを立てたら面白そうだ」というアイディアが浮かんでも、夜家に帰ったときにはその内容を忘れてしまいスレを立てられなかったという経験を持つ方は珍しくはないのではないでしょうか。もっと一般的な例で言うと、夜布団に入っているときに何かアイディアを思いついても、朝起きた時にはそれを全く憶えていないというような経験は誰しも一度は経験しているはずです。

そのように普通の人間は物事を忘れがちなために、何か思いついたらその場でメモをとる習慣をつけるようにした方がよさそうです。私自身もそれほどメモを活用しているわけではないのですが、それでもブログの話題など何かちょっとした内容でメモをとることもあり、その威力の絶大さは痛感しています。別に立派なノートである必要はなく、100円もせずに買えるようなコクヨの小さいノートがあれば十分でしょう。それをカバンの中、もしくは胸ポケットの中に忍ばせておいて、どんな些細な内容でもいいのでアイディアが浮かんだらすぐにメモに残すよう心掛けていきたいところ。

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学び続けることについて

ここで度々紹介している渡部昇一氏の『知的生活の方法』を今やっと読み返し始めたところです。二章で「本を繰り返し読むことの大切さ」で、何回何十回も繰り返しの読書に耐えうる書物こそがその人にとっての古典となるという指摘がありましたが、この本も自分にとっての古典となり、今後も一年に一度は読み返していくのだろうと予想しています。

優れた本は読むたびに新しい発見や感動があるものです。今回読んでいて、大きな衝撃を受けた箇所は、勉強は目先の利益を目指してではなく知的好奇心を満たすのを目的としてなされるべきであるという主張が記されたところでした。

氏は、戦中派世代であって、戦時中は今の中学生ぐらいの年齢でありました。そしてその頃の子供達の夢と言えば士官学校に入り立派な軍人になることであり、氏の周りの秀才達もその道を目指して必死に勉強していたのだそうです。ところが、敗戦によってその道が絶たれてしまった瞬間から、その同級生達は将来の目標を失ってしまい全く勉強しなくなってしまったと言うのです。つまり彼らにとっての勉強とはただ試験を通過して富や名誉を手に入れるための手段にしか過ぎず、何か強い熱意や好奇心があって勉強をしていたわけではなかったということなのでしょう。

これに類する話は、今の日本を見渡しても随所に見出せるのではないでしょうか。例えば、大学受験のために毎日身を削りながら勉強しておきながら、いざ大学に入ってしまえば、これまで頑張った「ご褒美」だと言わんばかりに遊びまわる。これなどは手段として、目先の利益を得るためだけの勉強の典型例だとは言えないでしょうか。本来は大学は学問をしに行く場であるはずなのに、入るまでは一生懸命勉強し入ってからは勉強を止めてしまう、これほどの本末転倒はありません。

大学生の本離れが叫ばれるようになってから久しいですが、比較的暇な学生が本を読まなくなったのが本当であれば、忙しい社会人はそれよりももっと状況は悪いのではないでしょうか(多忙の身である社会人生活を何も知らない私が社会人の生活を批評するのは非常に気が引けますが)。渡部氏が書かれている「昔から日本人は学校を出ると本を読まないが、それに反して外国人はガリ勉はあまりしないが、大人になっても本を読みつづける、といわれてきたものである」という文章は何のために勉強をするのかという根本のところを再考するきっかけを与えてくれます。何かの試験の合格や昇進のための実用的な勉強だって生活の一面として確かに重要であるかもしれません。しかし、そういった目先の利益のためだけに勉強するのではなく、私はソクラテスが学問をする意義について述べたあの不滅の格言―「哲学(学問)とはいかによく生きるかを学ぶためにある」―を胸に一生涯に渡って「役にも立たない勉強」をも続けていきたいと思ってやまないのです。

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先週土曜は大生大規模オフに参加してきました。バーを貸し切ってのパーティーという非リアにとっては一生に一度あるかないかのリア充体験でいい思い出になりました。大生板forever

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洋書をスラスラ読めるようになる日は来るのか…

前回挙げた二つの本は、今現在大学受験英語で最も信頼されていて、また最も売れている受験英語本です。私も高校時代にこれらを使ったおかげで、それほど得意ではなかった英語を一気に偏差値65以上に上げるのに成功しました。特に伊藤和夫氏のビジュアルは自分の中では英語のバイブル本と言ってもよく、この本があったからこそ英文が読めるようになったと言っても言いすぎではありません。余談ですがこの本は、数年前に2ch大学受験板において参考書の利用者によるその劇的効果が口コミで広がり、今では難関大学受験生が選ぶ参考書の定番として不動の地位を築いた感があります。

英語文献を読むにあたって、英文を精密、正確に読むためにも私は再度伊藤氏の名著を手に取って勉強を始めたわけです。そうしてみて分かったのは、やはりこの本は不朽の名著であるという点です。古典や優れた本というのは、読めば読むほど味が出て、数年後に読み返したときにもまた大きな発見があるような本だとよく言われますが、この本はまさにそのような類の本だと言って間違いありません。以前読んだときに漠然としか理解していなかった部分が今回読み返してみてはっきりと理解できるようになったりで、英語の構造に対する理解がさらに進んでいくのを感じています。

その伊藤氏が言われるように英語は「理屈が半分慣れが半分」なのでしょう。理屈だけでとどまっていてはダメで、英文を読むルールをある程度理解したら、次は英語の文章を次々に読み込んでいかなければなりません。そこでどのようなテキストを選ぶかですが、まずは何を置いても聖書を参考書の中の参考書として選び学習を進めていく計画です。なぜ聖書を選んだか。そこには、信仰的な理由だけではなく、実際的な理由もあるのです。それは何かと言えば、キリスト教国アメリカにおいては聖書は最も権威ある書物であり、それゆえ最も模範的な英文で書かれていると考えられるという理由です(ちなみに現在でも多くの欧米人は外国語を学ぶときにその国の聖書をテキストとして用いるのだとか)。そして次に、比較的読みやすくこれまた模範的な文章で書かれているであろう児童文学や、学者が一般人向けに書いたエッセイなどを読み、文章を英語で読むことに対する抵抗を減らしていこうと思います。継続は力なりを信じて、毎日少しずつでも英語に触れていく習慣を作っていきたいところです。

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英語の勉強法は数あれど…

そのような理由もあり、英語を本気で勉強し直さなければならないと思い知らされたわけです。

そこで、英語の勉強をどのように進めていくかが問題になってきます。書店で英語のコーナーに行くと数え切れないほどの英語本が並んでいて、様々な著者が様々な勉強法を主張しています。英語は絶対に勉強するな、というような興味深いタイトルでベストセラーになった本もありました。

そのような中で私が選んだ方法は原点回帰と呼んでもよいようなものでした。つまり大学受験英語に戻って勉強しようと決意したのです。

受験英語と言えば「訳に立たないもの」として軽蔑の対象になりがちです。曰く「英文を読めるようにはなるかもしれないが、会話は全くできるようにならない」と。この批判はかなりの程度当を得てるのは認めざるをえません。

しかし、ここで忘れてはならないのは、明治以来、諸外国の学問を採り入れるためにこそ外国語は学ばれてきたという事実です。諸外国の最先端の知識が盛り込まれた本を翻訳して日本に紹介する点に外国語学習の主眼があったわけで、英会話などはそれこそどうでもよかったのでしょう。数十年前には気軽に海外旅行などできる日本人は少数派だったし、国内でも特定の地域や職種を除けば外国人と接する機会などはほとんどなかったわけですから(まあ大半の日本人にとっては英会話だけでなく読解ですらも無縁だったでしょうが)。

そういうわけで日本の英語教育が読解中心に組み立てられてきたのは本当だと思います。そして、それが時代の要求に合わなくなってきたために「会話重視」の姿勢が推し進められるようになったのでしょう。

しかし、話が脱線してしまいました。ここで私が言いたかったのは、だから古典的な受験英語は読解力を鍛えるためにはよくできたシステムであって、それは現在の私の必要と合致しているということ。

そして、私が選んだテキストは高校時代も使っていた以下のテキストです。

伊藤和夫『ビジュアル英文解釈Ⅰ、Ⅱ』

山口俊治『英文法講義の実況中継(上)、(下)』

(続く)

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近況報告と英語の必要性

大学院での生活はまずまず順調にいっています。

学部時代にゼミに入っていなかったのもあり、ゼミ形式の授業には新鮮なものを感じましたし、少人数で受ける授業は緊張感も学部時代の比ではありません。

担当になって発表するときなどはまさに冷や汗もので最初のときなど酷いものでした。

しかし、回を重ねる度に少しはマシになってきているような気もしまして、こうしたことも慣れの要素が大きいのかもしれないと思いました。

こうしたプレゼンの能力は社会に出てからも直に役立つものであって、今のうちにできるところまで上達させておきたいと思うところですね。

ところで、院で研究生活を送るにあたって私が切実に必要性を感じたものがあります。

それは何かというと「英語力」です。「英語力」と呼ばれる力には数あれど、私が特に強調したいのは英会話分野ではなく(もちろん英会話もできるにこしたことはないし、外国人留学生や講師とコミュニケーションを行うためには有益な能力であるのは言うまでもありません)読解分野でのそれについて、つまり英語論文を英文のまま読める能力についてです。

日本は世界でも有数の翻訳大国であり、日本語だけしか知らなかったとしても、かなり多くの重要な文献を読むことができるでしょう。一例を挙げれば、図書館に行けば、世界中の名の知れた作家の全集がズラッと並んでいます。これほど世界の全集が揃っている国は稀だと誰かが書いていたのを覚えています。

そのようにして確かに日本語だけでも多くの文献が読めるのは事実ですが、しかしそれでもなお研究生活を送る上では次のような理由により、英語の必要性を感じてしまうのです。

①(当然ながら)全ての英語の文献が日本語に訳されているわけではないということ

それなりに名の知られた著者の本や、話題になった本であれば大体日本語訳は用意されているでしょう。しかしながら、マイナーな本などはそうはいきません。論文を書く際に先行研究に極力目を通して書かなければならない点を考えるとどうしても英語文献にも手を伸ばさざるをえないようなのです。それと特に私がやろうと思っている研究テーマは欧米では強い興味を持たれていても日本ではほとんど誰も興味を持たないようなテーマであるため日本語の文献を手に入れるのが大変であるという事情もあります。

②翻訳の問題

翻訳本を読んでいて何が書いてあるのがさっぱり分からなかったり、日本語の意味を理解するのに苦労する訳文に出会った経験があるのは私だけではないでしょう。あまり偉そうなことは言いたくはありませんが、翻訳にはしばしば悪訳誤訳が紛れ込んでいます。一般論で言って、原文と翻訳を比較すれば前者の方が優れているケースがほとんどでしょう(この点は私自身一家言ありますのでいつか暇なときに記事を書いてみるかもしれません)。翻訳がある文章でも、原文が読めるのならそれで読んだ方がよいという考えが私の中にあるために英語を勉強する必要性を強く感じてしまうのです。

(続く)

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翻訳されていないなら…

日本は翻訳大国だと言われます。書店に行くと、日本人が著した本がズラッと並んでいるのはもちろん、海外の作者が著した本も多く並べられています。図書館に行けば、教科書に名前の登場するような有名な作家の作品であれば、たいてい全集が揃っていて、原著の言語に全く疎かったとしても日本語で作品を読むことができます。諸外国ではここまで多くの作品が翻訳されることはめったになく、「全集」の類を読むためには、その外国語をマスターする必要があると聞きました。

こうして多くの優れた作品を日本語で読めるという現状は確かに素晴らしくはあるのですが欠点もあります。それは、翻訳というのは、ある言語を別の言語に移したものであるため概して読みにくく、そして原作の持つ雰囲気が崩されかねないという欠点です。もちろん中には「名訳」と呼ばれる優れた翻訳作品もあり、それらの中には原作を超えているのではないだろうかと思わせてくれるような作品もあるのでしょう。しかし、多くの翻訳本は、原著と比べるとおそらくは読みづらいに違いないと思わされます。原著で読めるならば原著で読むにこしたことはありません。

私は最近英語の勉強を再開しようと決心しました。その理由はいくつかありましたが、そのうちの一つには、英語の優れた小説や著作を、翻訳本ではなく原著のまま読んで理解できるようになりたい、という願望がありました。英語の本が読めるようになれば読める本の幅が格段に広がります。これまで、まだ訳されていないからという理由や、翻訳がいまいちという理由で読まずにきた数多くの本を読めるようになるのです。

この夢の実現は私に多くの希望を与えてくれます。単なる受験のためや英語試験のためという狭い枠を超えて大きな夢を持つと勉強もはかどるというものです。大学を卒業するまでに、英字新聞をスラスラと読めるようになるぐらいのレベルまで英語力をもっていきたいと今は思っています。

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ぼっちとヒキこそ資格を目指せ

以前の同じ内容で記事を書いたかもしれません。

ですが、これは我々のような非リア充にとっては重要なことなので再度ここで繰り返したいと思います。

ぼっちや非リアな大学生は、家庭の事情など何らかの理由がない限りは一般の大学生と比べて自由な時間が多分に与えられているものです。一般大学生はサークル・飲み会などで週のほとんどを費やしているのに対して、非リアは週に何度かバイトをする他は、たまに人と会うことがあったとしても、基本毎日暇な生活を送っているのが現状です。

そのせいで、人によっては一日の大半の時間を2chに費やしてしまったりするのでしょう。

しかし、それは時間の浪費だと言えそうです。もちろん、2chそのものが無駄だと言っているわけではありません。私自身もほぼ毎日2chを訪れていますし、これなしには今の生活が成り立つとはとても思えないというのが本当のところです。2ch自体は無駄ではないのですが、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、あまりにも過度にはまりすぎると生活に支障が生じてきます。

せっかく自由な時間に溢れているのです。どうせなら、息抜き(それ以上の価値のあるものかもしれませんが)でする2chの他に、何か将来への投資を行ってみるときっと未来は変わってくるのではないでしょうか。それは、本を読んで知識や知恵を身に付けることであってもよいし、スカイプなどで非リア充なりに人との関係を持ったり会話力を磨く努力をしてみるのもよさそうです。

そして、それらと同じく有効な時間の使い方は資格の勉強を始めることではないでしょうか。俗に言って「食える」資格を取得するにはそれなりに時間を費やさなくてはなりません。この点で、自由な時間を多く持っている我々は有利な立場に置かれていると考えてよいはずです。

確かに資格資格は勉強すれば必ず受かるというものでない以上大きなリスクを伴うわけですが、何もしないで人生を空費するぐらいならまだ何かに挑戦してみた方が時間を有効活用できています。合格を夢見て日々勉強してみるのは人生に張りをもたせるのに大きく貢献してくれるかもしれません。

「ぼっちとヒキこそ資格を目指せ」。このスローガンを私はこれからもいたるところで繰り返していこうと考えています。

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アメリカの英語教科書

今日午前中、ゲリラライブならぬゲリララジオ開催してしまいました。これまでのラジオはすべて夜中に放送してきたわけですが、今はちょうど春休みですし、私が暇なのと同じく多くの大学生の方も暇しているのではないかと期待して始めてみました。最初は数人でも聴いてくださる方がいればよいぐらいに考えていたのに、いつもと同じぐらいの方が聴いてくださったようでとても嬉しく思いました。

午前中は家族が出かけていたりで、私にとっても家族にとってもラジオをするにはもってこいな時間帯であるため、春休みの間はまた、たまに午前中ラジオを開催してみるつもりです。

ところで、そのラジオのときにも少し話しましたが、近いうちに英語の勉強のためのテキストを購入しようと考えています。何を買うかと言うと、最近それなりにベストセラーになっている『アメリカの中学教科書で英語を学ぶ』というCD付きの本です。

なぜこの本を数多くある語学本の中から参考書として選ぼうと思ったかと言えば、まずは採用している文章が、アメリカの教科書であり、内容と文章が信用できるという点が挙げられます。教科書を編修しているのはどこの国でもその国を代表するような知的レベル層の人間です。それに教科書はなるべく偏向のないように書かれるものなので論調が極端に偏ってしまう危険性も少ないと言えます。そして文章も、教科書であるため、学生の模範となるような文章で綴られているに違いないという期待があるからです。

それとCD付きという点にも魅力を感じました。「教科書」として何ヶ月も使う以上、一緒にリスニングの勉強もできれば正に一石二鳥だと言えます。

当然ながら、何事も「継続は力なり」であり、それはこの英語の学習においてもその例に漏れません。途中で投げ出さずに最後まで勉強をやり通したいものです。そのための手段として、たまにこのブログで勉強の進み具合などを報告する日もあるかもしれません。その他の手段として、ネット上でこの本を使った「勉強会」を開いたりしてみようかと思ったりもしています。

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流行の合格グッズ

本日はセンター試験初日でした。私が受験したのはもう○年前、あの時は大学に対して夢を抱いていたかというとそうでもなく、ある程度は、入学後の無気力を予想していました。半ば人生が終わりかけた私でしたが、その後何とか精神状態を持ち直すのに成功し、今に至っている次第です。

センター試験と関連して、今日はここ数年爆発的にヒットしているという「合格祈願グッズ」を紹介してみたいと思います。

昔ながらの合格祈願グッズと言えば、定番は言うまでもなく、湯島天神を初めとする神社が販売するお守りなど。

私が中学受験をした頃は、合格グッズと言えばこれぐらいしかなかったような気がします(私が知らなかっただけであったのかもしれませんが)。

しかし、最近はコンビニやスーパーなどでも様々な合格祈願グッズが売られています。ここでは、主にお菓子を中心にいくつか紹介します。

最も有名なのは、チョコレート菓子のキットカットです。キットカットという響きは「きっと勝つ」に通じるため縁起がよいと誰かが言い始め、合格祈願グッズとしてすっかり定着してしまいました。ですが最近では、これまた誰が言い始めたのかは知りませんが、キットカットはきっとカット→きっと足きり、などというキットカットの販売業者にとってはありがたくないネガティブな言葉遊びも登場してきているようです。販売業者にとっての唯一の救いは、「足きり」がセンターなどの一部の限られた試験でしか使われていない現実だと言えるでしょう。

「♪それにつけても」のCMで知られたカールも合格グッズを出しています。その名も「ウカール」だそうです。思わず内心で「( ´,_ゝ`)プッ」ときてしまいそうなネーミングですが、有名どころの合格グッズは多くがこの言葉遊びから成っています。「キャラメルコーン」→「カナエルコーン」だとか「ハイレモン」→「ハイレルモン」だとか。「オーザック」→「ゴーカック」なんてのもありました。

こんな感じで、中身は全く変わらないのに、ネーミングだけを受験生向けにした商品が今の時期にコンビニなどに行くと数多く並んでいます。そして、それらが通常の商品以上に売れているわけです。

ほんの小さなアイディアがいかに重要であるかという事実の好例だと言えそうです。

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電卓を打つ手は…

以前電卓を打つ手について書いたとき、左手派と右手派がいて私は利き手の右手で打つ、と書きました。

そして、あの後、ずっと右手で打ちながら勉強を続けていたわけですが、簿記の勉強をするときは、ほぼすべての問題で電卓を使用するわけで、いちいちペンを置いて電卓を打つ作業にだんだん面倒くささを感じるようになってきました。

右手でペンを持ちながら右手で打つという方法もあるらしいですが、それは何かぎこちないような気がしたので、ある日思い切って左手打ちに変えてみました。

そしたら、初めは慣れなかったものの、三日もすると、自然とキーが叩けるようになり、右手のときよりもはるかに負担を感じずに答えをかけるようになりました。

左手ならば、右手にペンを持ったままで問題を見ながら左手でキーを叩けるので、ペンを置く分だけ時間をかせげます。

その程度はたいした時間ではないと思われるかもしれませんが、チリもつもれば何とやらで、ほぼすべての問題で電卓の出番とあっては、試験中、一時間で100回近くは電卓を叩くことになるかもしれません。

そうなれば、ペンを置く作業がないだけで、試験時間のうち数分ぐらいは時間を稼げるのではないでしょうか。

私が受ける試験は時間との戦いでもあると聞きます。

試験本番までに、出来る限り左手でのキー叩きに慣れておきたいものです。

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予備校大学追記

前回の某大学について、2chの他板(資格板など)で調べてみたところ、あまりいい噂ばかりではないようでした。

もちろんどんな物事でもよい面もあれば悪い面もあるものです。

2chでは、どちらかと言えば、悪い面ばかりが強調されて伝えられる傾向にあるため、自分で情報を取捨選択していく必要があります。

ですが、真剣に某大学に進学したいと考えている受験生であれば、そうした悪い面もしっかりと把握してから入学するのが賢明だと言えるでしょう。

私個人の意見を言わせてもらえば、その大学内の様子や実態を知って、やはり今の大学でよかったのかな、と思うようになりました。

理由は色々ありますが、一つだけ挙げるならば、出席がかなり厳しいらしく、あまり自分だけの勉強時間を取りづらいのだとか。

今の大学でも十分に暇な時間は満ち満ちているわけですから、普通にダブルスクールをする現在の生活の方が、下手をすれば勉強時間が取れているのではないかと思いました。

「隣の庭の花は赤い」とよく言われます。

あまり自分の置かれた境遇に不満を抱かず、その中でのベストを尽くすように考えるのが一番よいのかもしれません…。

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電卓を打つ手は?

会計系受験生が打つ電卓の早さと勢いには一般人は圧倒されてしまいます。

私も、いつかはあのようにキーを打てるようになるのでしょうか…。

ところで、電卓を打つ手は左手と右手のどちらがよいと思いますか?

2chの会計板でもスレが立っていましたが、結論としては、これはどうも「どちらでもよい」としか言えないところがあるような気がしました。

右利きの人で話を進めると、左で打つと、ペンを持ちながら打てる利点はあるが、利き手ではない、右で打つと、利き手ではあるものの、電卓を打つときに一々ペンを置かなければならないという不利益がある。

こんな感じで、どちらの手にも一長一短があるようで、絶対にこうしなければならない、というような決まりはないようです。

ただ、どちらかと言えば、ペンを持ったまま打てる左手の方が多数派であるような印象は受けました。

私はといえば、「右手」の方でいこうと思っています。

利き手の方が使いやすいですからね。

あと、普通の電卓は「右手打ち」を前提に作られているような気がするのですが(「5」のところに中指を持ってきて)実際はどうなのでしょうか?

しかし、電卓をどれだけ速く打てるかは、試験の合否にはそれほど大きく影響しないとも聞きますし、最低限スムーズに計算できるようになればそれでいいのかな、とも思います。

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自習室は苦手

自習室はどこに行っても大盛況だそうです。

予備校、図書館などで自習室を覗くといつでもほとんど席が埋まっています。

最近では「有料自習室」などというものまで登場してきているのですから、自習室がいかに需要が高まってきているかが分かります。

そんなわけですが、私はあまり自習室が好きではありません。

その理由はいくつかあります。

まず第一に、あの混雑具合です。

席はほとんど埋まってしまっているので、たとえ座れたとしても、非常に狭いスペースしか机を使えません。

広々とした開放感の中で勉強したいと思うのに、あの狭さの中では気分が落ち着かないのです。

そして第二に、あの究極の静けさです。

当然ながら自習室の中は私語をしている方もおらず、し~んと静まり返っています。

あまりに静かすぎて、誰かが僅かな音(ペンを落としたり、セキをしたりと)をたてただけで周りから睨まれてしまいそうな雰囲気です。

人間があれだけ集まっているのに誰も喋らないというのは一種不気味でもあるような気がします(図書館の館内などは空調の音がしたりで自習室ほど静かではないのでそんな感じは受けないのですが)

他にも理由はいくつかありますが、主な理由はこんなところです。

では私はどんな場所で勉強しているかというと、もちろん自分の部屋もそうですが、一番のお気に入りは「喫茶店」です。

喫茶店のあの広々とした空間、そして店内を流れるクラシック系の音楽などは勉強するには最適な環境だとも言えます。

大学が終わり、気が向いたときは、すぐに街にまで行き、すいてる喫茶店で勉強したりしています。

大学生にしては少々贅沢が過ぎるのではないか、という批判の言葉もあるかもしれませんが、私は普段あまりお金を使わない(特に「飲み会」などの交際費がほとんどかからない)ため、こういうところでお金を使っても悪くはないかな、と思います。

将来、働き出してからも、気が向いたら喫茶店に赴き、ココアなどを飲みながら仕事をしたりするのが夢で、そのためにも自分の事務所を持ちたいものだと思うわけですが、この望みはあまりにも子供っぽいものであるかもしれませんw。

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将来の夢は・・・

できれば私は働かずに自分の好きなことだけをやって生きていきたい。

しかし、アダムとイヴが禁断の果実を食べてしまい、楽園を追放されてしまったがために、人間は生きるために「労働」という苦役を負わなければならなくなってしまいました。

そういうわけで私もいつかは働かなければならないわけです。

では、どのような仕事に就くべきでしょうか?

多くの学生は、社会的地位の高い仕事に就きたがる傾向にあります。

ある人は一流企業を、またある人は高級官僚を夢見たり、と。

しかし、私はそれらには全く魅力を感じないし、自分の生きる道でもないと思っています。

私が仕事を選ぶ際に最も重要視するのは「自由」です。

社会や組織のペースに乱されずに、自分なりのペースで仕事をしていきたい。人から命令されたくないし、人に命令もしたくない。勉強・読書など自分のための時間が欲しい。

こういう条件を満たしてくれそうな職種は何かと考えていったときに、私はプロフィールでも書いた自分で事務所を構える、という選択肢を思いつきました。

もちろん、どんな事務所を構えるにせよ、初めは他人の事務所に入って修行をする必要があるでしょう。それは当然ですし、私もその程度の束縛まで嫌うつもりはありません。

しかし、それが数十年間続くとなると、ちょっと耐えられないかもしれない、と思うわけです。

数年間修行をし終わったら、自分で事務所を開き、そこでのんびりと(実際はそう上手くばかりもいかないでしょうが)仕事をしていくのが私の夢です。

それを達成させるためにも、そのために必要な資格の勉強を頑張らなければ・・・。

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学問間の交流について

言語学版進化論は到底受け入れることのできない暴論の類ではあります。

しかし、我々は、ここから1つだけ学ぶべき点があり、それは、学問の自由な交際、つまり「学際」とでも呼ぶものでしょうか、これがヨーロッパでは古くから伝統として行われてきていた、という点です。

ダーウィン以外にも、例えば、マルクスが、ヘーゲルの弁証法を政治・経済に適用し、弁証法的唯物論なる学説を提唱したのはあまりにも有名です。

日本では、あまりこういう発想には馴染みがありません。学校の授業でも、理科は理科、社会は社会、理科の中で見ても、地学は地学、物理は物理というように科目ごとに細かく学習し、それらの関連について習う機会はほとんどありません。

科目に分けて教えるのは、教務の便宜上やむをえないことではありますが、日本ではそれがゆきすぎてしまい、科目間の連絡がなおざりにされてしまっている点が問題だといえます。

あまり型にはまった思考ばかりに偏らないで、柔軟な自由な発想で物を考えることが、学問だけではなく実生活を送る上でもとても有益なのだと思います。私も、色々な分野の本を読み、多角的な視点で物事を考えられる人間になりたいと考えています。

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日本語は遅れた言語!?

今日は「言語」について書いてみたいと思います。

と言うのも、なぜか今、ずっと前に読んだある本の内容をふと思い出したからです。

それは、「言語の進歩」に関するもので、20世紀初め頃の言語学会で「進んだ言語」「遅れた言語」というのが話題になったことがあったそうです。そして、それを論じ合っていたのはもちろんヨーロッパ人なので、彼らの語族が最も進んでいる、と判定されたのは言うまでもありません。

その理由として、例えばこんな例が挙げられたんだとか。

ヨーロッパの言語は「I have a pen.」というように単語と単語の間に間隔がある。それに対して、日本語や中国語などは「私はペンを持っている」や「我有~」のように単語はすべて膠着している。前者のタイプはより進んだ言語で、後者のタイプは遅れた言語である。

つまり、言語が進歩すると、ヨーロッパのような言語の構造になっていくということです。

今となっては馬鹿馬鹿しい論法のような気もしますが、当時はなぜこのような議論がされていたのでしょうか?おそらくはダーウィンの進化論が学会を騒がせていたからだと思います。ダーウィンが提唱した進化論は、当時の世界に衝撃を与え、その影響は生物界にとどまらず、社会学、経済学、政治学など様々な分野に渡りました。言語学もその影響からは逃れられなかったのでしょう。言語学の中に無理やりダーウィンの思想を輸入した結果、言語学版進化説のような学説が生まれてしまったのだと私は見ています。

(次回に続きます)

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大学は単なる研究機関?

578 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2006/07/23(日) 00:00:02
実際、自分の研究ばかりに力を入れているせいか、学生の教育の方にはほとんど関心を持っていないように見える教官が多数おられるのは事実だと思います。
ある人は、大学は研究機関の場であり予備校とは違うのだから教授の授業の質などは関係ない、というような意見を口にします。
しかし、それは間違っていると私は考えます。
大学は、研究機関であると同時に、教育機関でもあるべきで、教授は学生の精神的成長を、全身全霊を持ってサポートするぐらいの情熱を持って教育にあたるのが理想だと言えるのではないでしょうか?
 
 
学問を研究する能力と教える能力とは必ずしも比例しないとよく言われます。実際それは、大学で教授が教える「憲法」「経済学」などの科目と、資格予備校で教えるそれらを比較してみると一目瞭然です。学問的な深さは置いておき、どちらが分かりやすいかと言えば、ほとんどの方が後者だと答えるのではないかと思います。
大学は研究機関であるので、教官の教え方は下手でも構わない、という意見もたまに聞きますが私はそうは思いません。
大学は、研究を行うだけでなく、高尚な知識をできるだけ分かりやすく学生に伝える教育機関としての役割も果たすべきであると私は考えています。
初めは学問に対する情熱を持って入学した学生のほとんどが、入学後しばらくしてそれを失ってしまう理由の一つに、「授業のつまらなさ」が挙げられるような気がしてなりません。

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基礎学力を身に付けるために

プロフィールにある通り、私は某資格試験の取得を目指しています。

そのために、もちろん専門の勉強もしているわけですが、それとは別にもっと基本的な、ある勉強もしています。それは・・・

「漢字」です。

実は私は漢字があまり得意ではないのです。

中高時代からそうで、大学に入ってからは、ほとんどの文章をパソコンで書くようになり、ますます漢字を忘れている感があります。

大学でテストを受けるとき、授業中にレポートを書かされるときなどに、文章を作成している途中で漢字を忘れてしまい、仕方なくひらがなで誤魔化したりしたことは何度もあります。

大学のテストならそれでも軽い減点ですみ、単位だけはくるものなので問題はないのですが、資格試験では一点の減点が大きく合否を左右するものです。

答案内容が駄目で合格できないのであれば納得できても、漢字のような、試験問題の本質とは関係がないところで点数を落としてしまうのは勿体無さ過ぎます。

そう考え、一月ほど前からほぼ毎日、10分ほど漢字練習をしています。

教材は中学の常用漢字をマスターするための漢字練習帳。

理由は常用漢字を覚えておけば、試験本番でも、まあ困ることはないだろうと思われるからです。

勉強は何事も基礎が大事だとよく言われます。

今は私のこの究極の基礎勉強が後々役に立つように祈るしかありません。

たまにはこちら↓もよろしくお願いします。

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