簿記3級受けてきた

昨日は簿記検定試験があり千里の道も一歩からの3級を受験してきました。

今回は勉強時間が限られていて時間的余裕にかけていたのもあり、あまり手を広げすぎないで、テキスト一冊だけに絞り、問題集も使わず、演習もテキストの中にある問題だけを完璧にこなす方針で勉強をしてきました。もちろん計画と現実は食い違うもので、それですら完璧と呼ぶには程遠いものでしたが、何とか一通りテキストに目は通し、基本は固めた上で昨日の本番に臨んだわけです。

会場に到着し、テストが始まってから気付いた失敗―「腕時計忘れてた!」。普段時計をする習慣がないと、こういうときに手痛い打撃を被ります。社会人にとって腕時計はマストアイテムだと再認識。

演習不足のせいもあり、ところどころ手がとまりながらゆっくりとやっていたところ、精算表の問題を解いている途中に終了10分前の合図がかかる。それから急いで表を埋めたものの、表を全て埋めて最後総利益と合計金額を計算しようとしたところでタイムオーバー。

試験が終わり駅に向かって歩いていたら、会場外で早くも大原が解答速報を配布していてその素早すぎる反応に脱帽させられました。解答を確認してみたところ、精算表の最後の数字と、仕分けの問題で一箇所「仮払金」と「小口現金」を間違えてしまった以外は運良く全て正答できていたので、精算表の問題で少しでも途中点を貰えれば合格できそうな感じです。

このまま簿記の勉強を続けていって、次の試験では2級の取得を目指そうと思っています。2級でも持っていれば何かと就職にも有利に役立てられる公算もありそうですからね。もっと言えば1級まで持っていればかなりの強みになるでしょうが、そこまでいけばもう税理士の簿記科目なども視野に入ってくるレベルになるのでしょう。状況を見ながらこの先、自分にできそうな範囲で資格取得にも力を入れていきたいところ。

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千里の道も

一歩から。

最近、やたらと企業会計や財務の面白さに気付き、会計・金融系の本を読む機会が増えたので、趣味半分で簿記の勉強を本格的に再開し始めました。

とりあえず来月3級のテスト受けます。

そして今年中に2級は取りたいところ。

2級まででも持っていれば、社会人になってから資格手当てがついたり、財務書類の基礎的な部分が理解できたりと、決して損にはなりませんからね。

仮に、そうした実利的なメリットがそれほど期待できなかったとしても、日経新聞の企業情報で理解できる記事が増え、日々のニュースがより楽しめるようにはなるかもしれません。

別に今から税理士・会計士の資格取ってやろうと野望抱いているわけでもないので、あまり実益にこだわらず、楽しみながら勉強していくのが一番だと思っています。

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メモの効用

ノート術に関する本がベストセラーとなったのは記憶に新しいところです。多くの成功者達は口を揃えて、メモをとる効用について強調しています。過去の偉人の例を見ても、レオナルド・ダ・ヴィンチやピカソを初めとして、常にメモを持ち歩いていて、何か思いついたらその場でメモをとる習慣の持ち主は多いようです。

メモは漢字で表現すれば「備忘録」となる点からも分かるように、何かアイディアを思いついたときに、それを忘れないようにとっておくために用いられるものです。そこには一つの前提があります。人間は本来忘れやすい動物だという前提がそれです。世の中には非常に記憶力が優れた人間がいるもので、複数の用件やアイディアを全て頭の引き出しの中にしまっておけるような方も一部いるのかもしれませんが、普通は新しい情報が入ってきたら古い情報は脳内から捨て去られてしまうものです。ねらーらしい例を挙げれば、日中に「こういうスレを立てたら面白そうだ」というアイディアが浮かんでも、夜家に帰ったときにはその内容を忘れてしまいスレを立てられなかったという経験を持つ方は珍しくはないのではないでしょうか。もっと一般的な例で言うと、夜布団に入っているときに何かアイディアを思いついても、朝起きた時にはそれを全く憶えていないというような経験は誰しも一度は経験しているはずです。

そのように普通の人間は物事を忘れがちなために、何か思いついたらその場でメモをとる習慣をつけるようにした方がよさそうです。私自身もそれほどメモを活用しているわけではないのですが、それでもブログの話題など何かちょっとした内容でメモをとることもあり、その威力の絶大さは痛感しています。別に立派なノートである必要はなく、100円もせずに買えるようなコクヨの小さいノートがあれば十分でしょう。それをカバンの中、もしくは胸ポケットの中に忍ばせておいて、どんな些細な内容でもいいのでアイディアが浮かんだらすぐにメモに残すよう心掛けていきたいところ。

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学び続けることについて

ここで度々紹介している渡部昇一氏の『知的生活の方法』を今やっと読み返し始めたところです。二章で「本を繰り返し読むことの大切さ」で、何回何十回も繰り返しの読書に耐えうる書物こそがその人にとっての古典となるという指摘がありましたが、この本も自分にとっての古典となり、今後も一年に一度は読み返していくのだろうと予想しています。

優れた本は読むたびに新しい発見や感動があるものです。今回読んでいて、大きな衝撃を受けた箇所は、勉強は目先の利益を目指してではなく知的好奇心を満たすのを目的としてなされるべきであるという主張が記されたところでした。

氏は、戦中派世代であって、戦時中は今の中学生ぐらいの年齢でありました。そしてその頃の子供達の夢と言えば士官学校に入り立派な軍人になることであり、氏の周りの秀才達もその道を目指して必死に勉強していたのだそうです。ところが、敗戦によってその道が絶たれてしまった瞬間から、その同級生達は将来の目標を失ってしまい全く勉強しなくなってしまったと言うのです。つまり彼らにとっての勉強とはただ試験を通過して富や名誉を手に入れるための手段にしか過ぎず、何か強い熱意や好奇心があって勉強をしていたわけではなかったということなのでしょう。

これに類する話は、今の日本を見渡しても随所に見出せるのではないでしょうか。例えば、大学受験のために毎日身を削りながら勉強しておきながら、いざ大学に入ってしまえば、これまで頑張った「ご褒美」だと言わんばかりに遊びまわる。これなどは手段として、目先の利益を得るためだけの勉強の典型例だとは言えないでしょうか。本来は大学は学問をしに行く場であるはずなのに、入るまでは一生懸命勉強し入ってからは勉強を止めてしまう、これほどの本末転倒はありません。

大学生の本離れが叫ばれるようになってから久しいですが、比較的暇な学生が本を読まなくなったのが本当であれば、忙しい社会人はそれよりももっと状況は悪いのではないでしょうか(多忙の身である社会人生活を何も知らない私が社会人の生活を批評するのは非常に気が引けますが)。渡部氏が書かれている「昔から日本人は学校を出ると本を読まないが、それに反して外国人はガリ勉はあまりしないが、大人になっても本を読みつづける、といわれてきたものである」という文章は何のために勉強をするのかという根本のところを再考するきっかけを与えてくれます。何かの試験の合格や昇進のための実用的な勉強だって生活の一面として確かに重要であるかもしれません。しかし、そういった目先の利益のためだけに勉強するのではなく、私はソクラテスが学問をする意義について述べたあの不滅の格言―「哲学(学問)とはいかによく生きるかを学ぶためにある」―を胸に一生涯に渡って「役にも立たない勉強」をも続けていきたいと思ってやまないのです。

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先週土曜は大生大規模オフに参加してきました。バーを貸し切ってのパーティーという非リアにとっては一生に一度あるかないかのリア充体験でいい思い出になりました。大生板forever

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洋書をスラスラ読めるようになる日は来るのか…

前回挙げた二つの本は、今現在大学受験英語で最も信頼されていて、また最も売れている受験英語本です。私も高校時代にこれらを使ったおかげで、それほど得意ではなかった英語を一気に偏差値65以上に上げるのに成功しました。特に伊藤和夫氏のビジュアルは自分の中では英語のバイブル本と言ってもよく、この本があったからこそ英文が読めるようになったと言っても言いすぎではありません。余談ですがこの本は、数年前に2ch大学受験板において参考書の利用者によるその劇的効果が口コミで広がり、今では難関大学受験生が選ぶ参考書の定番として不動の地位を築いた感があります。

英語文献を読むにあたって、英文を精密、正確に読むためにも私は再度伊藤氏の名著を手に取って勉強を始めたわけです。そうしてみて分かったのは、やはりこの本は不朽の名著であるという点です。古典や優れた本というのは、読めば読むほど味が出て、数年後に読み返したときにもまた大きな発見があるような本だとよく言われますが、この本はまさにそのような類の本だと言って間違いありません。以前読んだときに漠然としか理解していなかった部分が今回読み返してみてはっきりと理解できるようになったりで、英語の構造に対する理解がさらに進んでいくのを感じています。

その伊藤氏が言われるように英語は「理屈が半分慣れが半分」なのでしょう。理屈だけでとどまっていてはダメで、英文を読むルールをある程度理解したら、次は英語の文章を次々に読み込んでいかなければなりません。そこでどのようなテキストを選ぶかですが、まずは何を置いても聖書を参考書の中の参考書として選び学習を進めていく計画です。なぜ聖書を選んだか。そこには、信仰的な理由だけではなく、実際的な理由もあるのです。それは何かと言えば、キリスト教国アメリカにおいては聖書は最も権威ある書物であり、それゆえ最も模範的な英文で書かれていると考えられるという理由です(ちなみに現在でも多くの欧米人は外国語を学ぶときにその国の聖書をテキストとして用いるのだとか)。そして次に、比較的読みやすくこれまた模範的な文章で書かれているであろう児童文学や、学者が一般人向けに書いたエッセイなどを読み、文章を英語で読むことに対する抵抗を減らしていこうと思います。継続は力なりを信じて、毎日少しずつでも英語に触れていく習慣を作っていきたいところです。

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英語の勉強法は数あれど…

そのような理由もあり、英語を本気で勉強し直さなければならないと思い知らされたわけです。

そこで、英語の勉強をどのように進めていくかが問題になってきます。書店で英語のコーナーに行くと数え切れないほどの英語本が並んでいて、様々な著者が様々な勉強法を主張しています。英語は絶対に勉強するな、というような興味深いタイトルでベストセラーになった本もありました。

そのような中で私が選んだ方法は原点回帰と呼んでもよいようなものでした。つまり大学受験英語に戻って勉強しようと決意したのです。

受験英語と言えば「訳に立たないもの」として軽蔑の対象になりがちです。曰く「英文を読めるようにはなるかもしれないが、会話は全くできるようにならない」と。この批判はかなりの程度当を得てるのは認めざるをえません。

しかし、ここで忘れてはならないのは、明治以来、諸外国の学問を採り入れるためにこそ外国語は学ばれてきたという事実です。諸外国の最先端の知識が盛り込まれた本を翻訳して日本に紹介する点に外国語学習の主眼があったわけで、英会話などはそれこそどうでもよかったのでしょう。数十年前には気軽に海外旅行などできる日本人は少数派だったし、国内でも特定の地域や職種を除けば外国人と接する機会などはほとんどなかったわけですから(まあ大半の日本人にとっては英会話だけでなく読解ですらも無縁だったでしょうが)。

そういうわけで日本の英語教育が読解中心に組み立てられてきたのは本当だと思います。そして、それが時代の要求に合わなくなってきたために「会話重視」の姿勢が推し進められるようになったのでしょう。

しかし、話が脱線してしまいました。ここで私が言いたかったのは、だから古典的な受験英語は読解力を鍛えるためにはよくできたシステムであって、それは現在の私の必要と合致しているということ。

そして、私が選んだテキストは高校時代も使っていた以下のテキストです。

伊藤和夫『ビジュアル英文解釈Ⅰ、Ⅱ』

山口俊治『英文法講義の実況中継(上)、(下)』

(続く)

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近況報告と英語の必要性

大学院での生活はまずまず順調にいっています。

学部時代にゼミに入っていなかったのもあり、ゼミ形式の授業には新鮮なものを感じましたし、少人数で受ける授業は緊張感も学部時代の比ではありません。

担当になって発表するときなどはまさに冷や汗もので最初のときなど酷いものでした。

しかし、回を重ねる度に少しはマシになってきているような気もしまして、こうしたことも慣れの要素が大きいのかもしれないと思いました。

こうしたプレゼンの能力は社会に出てからも直に役立つものであって、今のうちにできるところまで上達させておきたいと思うところですね。

ところで、院で研究生活を送るにあたって私が切実に必要性を感じたものがあります。

それは何かというと「英語力」です。「英語力」と呼ばれる力には数あれど、私が特に強調したいのは英会話分野ではなく(もちろん英会話もできるにこしたことはないし、外国人留学生や講師とコミュニケーションを行うためには有益な能力であるのは言うまでもありません)読解分野でのそれについて、つまり英語論文を英文のまま読める能力についてです。

日本は世界でも有数の翻訳大国であり、日本語だけしか知らなかったとしても、かなり多くの重要な文献を読むことができるでしょう。一例を挙げれば、図書館に行けば、世界中の名の知れた作家の全集がズラッと並んでいます。これほど世界の全集が揃っている国は稀だと誰かが書いていたのを覚えています。

そのようにして確かに日本語だけでも多くの文献が読めるのは事実ですが、しかしそれでもなお研究生活を送る上では次のような理由により、英語の必要性を感じてしまうのです。

①(当然ながら)全ての英語の文献が日本語に訳されているわけではないということ

それなりに名の知られた著者の本や、話題になった本であれば大体日本語訳は用意されているでしょう。しかしながら、マイナーな本などはそうはいきません。論文を書く際に先行研究に極力目を通して書かなければならない点を考えるとどうしても英語文献にも手を伸ばさざるをえないようなのです。それと特に私がやろうと思っている研究テーマは欧米では強い興味を持たれていても日本ではほとんど誰も興味を持たないようなテーマであるため日本語の文献を手に入れるのが大変であるという事情もあります。

②翻訳の問題

翻訳本を読んでいて何が書いてあるのがさっぱり分からなかったり、日本語の意味を理解するのに苦労する訳文に出会った経験があるのは私だけではないでしょう。あまり偉そうなことは言いたくはありませんが、翻訳にはしばしば悪訳誤訳が紛れ込んでいます。一般論で言って、原文と翻訳を比較すれば前者の方が優れているケースがほとんどでしょう(この点は私自身一家言ありますのでいつか暇なときに記事を書いてみるかもしれません)。翻訳がある文章でも、原文が読めるのならそれで読んだ方がよいという考えが私の中にあるために英語を勉強する必要性を強く感じてしまうのです。

(続く)

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翻訳されていないなら…

日本は翻訳大国だと言われます。書店に行くと、日本人が著した本がズラッと並んでいるのはもちろん、海外の作者が著した本も多く並べられています。図書館に行けば、教科書に名前の登場するような有名な作家の作品であれば、たいてい全集が揃っていて、原著の言語に全く疎かったとしても日本語で作品を読むことができます。諸外国ではここまで多くの作品が翻訳されることはめったになく、「全集」の類を読むためには、その外国語をマスターする必要があると聞きました。

こうして多くの優れた作品を日本語で読めるという現状は確かに素晴らしくはあるのですが欠点もあります。それは、翻訳というのは、ある言語を別の言語に移したものであるため概して読みにくく、そして原作の持つ雰囲気が崩されかねないという欠点です。もちろん中には「名訳」と呼ばれる優れた翻訳作品もあり、それらの中には原作を超えているのではないだろうかと思わせてくれるような作品もあるのでしょう。しかし、多くの翻訳本は、原著と比べるとおそらくは読みづらいに違いないと思わされます。原著で読めるならば原著で読むにこしたことはありません。

私は最近英語の勉強を再開しようと決心しました。その理由はいくつかありましたが、そのうちの一つには、英語の優れた小説や著作を、翻訳本ではなく原著のまま読んで理解できるようになりたい、という願望がありました。英語の本が読めるようになれば読める本の幅が格段に広がります。これまで、まだ訳されていないからという理由や、翻訳がいまいちという理由で読まずにきた数多くの本を読めるようになるのです。

この夢の実現は私に多くの希望を与えてくれます。単なる受験のためや英語試験のためという狭い枠を超えて大きな夢を持つと勉強もはかどるというものです。大学を卒業するまでに、英字新聞をスラスラと読めるようになるぐらいのレベルまで英語力をもっていきたいと今は思っています。

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ぼっちとヒキこそ資格を目指せ

以前の同じ内容で記事を書いたかもしれません。

ですが、これは我々のような非リア充にとっては重要なことなので再度ここで繰り返したいと思います。

ぼっちや非リアな大学生は、家庭の事情など何らかの理由がない限りは一般の大学生と比べて自由な時間が多分に与えられているものです。一般大学生はサークル・飲み会などで週のほとんどを費やしているのに対して、非リアは週に何度かバイトをする他は、たまに人と会うことがあったとしても、基本毎日暇な生活を送っているのが現状です。

そのせいで、人によっては一日の大半の時間を2chに費やしてしまったりするのでしょう。

しかし、それは時間の浪費だと言えそうです。もちろん、2chそのものが無駄だと言っているわけではありません。私自身もほぼ毎日2chを訪れていますし、これなしには今の生活が成り立つとはとても思えないというのが本当のところです。2ch自体は無駄ではないのですが、何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、あまりにも過度にはまりすぎると生活に支障が生じてきます。

せっかく自由な時間に溢れているのです。どうせなら、息抜き(それ以上の価値のあるものかもしれませんが)でする2chの他に、何か将来への投資を行ってみるときっと未来は変わってくるのではないでしょうか。それは、本を読んで知識や知恵を身に付けることであってもよいし、スカイプなどで非リア充なりに人との関係を持ったり会話力を磨く努力をしてみるのもよさそうです。

そして、それらと同じく有効な時間の使い方は資格の勉強を始めることではないでしょうか。俗に言って「食える」資格を取得するにはそれなりに時間を費やさなくてはなりません。この点で、自由な時間を多く持っている我々は有利な立場に置かれていると考えてよいはずです。

確かに資格資格は勉強すれば必ず受かるというものでない以上大きなリスクを伴うわけですが、何もしないで人生を空費するぐらいならまだ何かに挑戦してみた方が時間を有効活用できています。合格を夢見て日々勉強してみるのは人生に張りをもたせるのに大きく貢献してくれるかもしれません。

「ぼっちとヒキこそ資格を目指せ」。このスローガンを私はこれからもいたるところで繰り返していこうと考えています。

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アメリカの英語教科書

今日午前中、ゲリラライブならぬゲリララジオ開催してしまいました。これまでのラジオはすべて夜中に放送してきたわけですが、今はちょうど春休みですし、私が暇なのと同じく多くの大学生の方も暇しているのではないかと期待して始めてみました。最初は数人でも聴いてくださる方がいればよいぐらいに考えていたのに、いつもと同じぐらいの方が聴いてくださったようでとても嬉しく思いました。

午前中は家族が出かけていたりで、私にとっても家族にとってもラジオをするにはもってこいな時間帯であるため、春休みの間はまた、たまに午前中ラジオを開催してみるつもりです。

ところで、そのラジオのときにも少し話しましたが、近いうちに英語の勉強のためのテキストを購入しようと考えています。何を買うかと言うと、最近それなりにベストセラーになっている『アメリカの中学教科書で英語を学ぶ』というCD付きの本です。

なぜこの本を数多くある語学本の中から参考書として選ぼうと思ったかと言えば、まずは採用している文章が、アメリカの教科書であり、内容と文章が信用できるという点が挙げられます。教科書を編修しているのはどこの国でもその国を代表するような知的レベル層の人間です。それに教科書はなるべく偏向のないように書かれるものなので論調が極端に偏ってしまう危険性も少ないと言えます。そして文章も、教科書であるため、学生の模範となるような文章で綴られているに違いないという期待があるからです。

それとCD付きという点にも魅力を感じました。「教科書」として何ヶ月も使う以上、一緒にリスニングの勉強もできれば正に一石二鳥だと言えます。

当然ながら、何事も「継続は力なり」であり、それはこの英語の学習においてもその例に漏れません。途中で投げ出さずに最後まで勉強をやり通したいものです。そのための手段として、たまにこのブログで勉強の進み具合などを報告する日もあるかもしれません。その他の手段として、ネット上でこの本を使った「勉強会」を開いたりしてみようかと思ったりもしています。

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