短期決戦は必勝の秘訣
あまりにデート回数を重ねすぎるとお互い仲がよすぎるようになってしまい、異性の友達のような感覚になってしまい、その居心地のいい関係を崩したくないという心理が働くために、恋人関係に発展させるのが難しくなります。
3回目のデートで告白するのが世間一般の慣わしのように言われるのもそれなりの理由があるものなのです。
孫子が戦争について述べているのと同じように恋愛においても「短期決戦」は勝敗を分ける重要な要素だと考えられます。
「出会いがない」という嘆きをしばしば耳にします。普段異性があまりいない環境のコミュニティの中で生活している人々、例えば男子校やら女子高、理系学科に通う大学生などからそうした声が聞こえてくるのが普通です。
ネットの書き込みをみている限りでは、それなりの人々がどこかに出会いを求めているようで、それを目的として様々な活動―バイト、サークル、ボランティア―に参加しているケースすら多々あるようでした。そして、彼らはその中で気のあう異性を見つけ、恋愛するなり、その後結婚に発展していったりするに違いありません。
そういう場で恋人を見つける人もいれば、その他ありがちな出会い方として「友達の紹介」というものもあり、友達からいい異性を紹介してもらって何回かのデートを経た後に付き合いを始めるのだと聞いています。
しかし、私がいつもながら気になってしまうのは、恋愛におけるこの最初の「出会い」というものが、そのように、ほとんどの場合あまりにも限られたコミュニティの中で起こっているという点なのです。確かに、世の中星の数ほどの異性がいるとはいえ、その中で実際知り合える人の数は極めて限られてはいます。ですが、たまたま何かの偶然で会った一人の異性と、「恋人」という深い人間関係が要求される間柄になれるものなのかという疑問がどうしてもわいてきてしまうのです。特に友達の紹介などとなると、それまで自分が一度も話したことがない異性と、一応は交際を前提としてデートをするわけで、よくそのような狭い人間関係の中で恋愛関係を構築していけるものだと感心してしまいます。
私などは、世間一般から見て趣味も生活スタイルも偏っているいるわけで、まず素の自分を出して引かれない相手を探すだけで至難の業だと考えていますので、そういう一般的な形での出会いにはあまり期待できなそうです。そもそも、2chの話題を受け入れてくれるほどに寛容な女性がどれだけの割合でいるでしょうか。
まあ私のことはともかくとして、限られた狭いコミュニティの中でたまたま一緒になった異性と円満な関係を築いていけるというのはコミュ力のなせる業であり、それはまさにリア充的な恋愛技術であるのかもしれません。お互いの趣味や価値観の違いに理解を示しあいながら、もっと根本的な部分で恋愛関係を深めていく、それが大人の恋愛観というものなのでしょうか。今の私にはどうにも理解しがたいところです。
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ここ数年、「格差社会」という言葉が流行し、様々な書き手が様々な観点からそのキーワードを用いて社会を説明しようと努めてきました。それらの多くは主に経済格差に関するものでしたが、中には恋愛における格差を採り上げ興味深い論考を発表された評論家も何人かいたようでした。
恋愛格差とは簡単に言えば、主に男性の側に表れている傾向とされ、一方では恋愛経験の極めて少ない男性がいるかと思えば、他方では異性をとっかえひっかえし異性に全く不自由しない男性がいて、その二極化が著しく進行しているのではないかという意見のことです。この見解がどこまで正しいのか私には分かりません。これは一種の「モデル」でしかなく、現実を見れば、ある程度の年齢になれば多くの男性が恋愛の一つか二つは経験しているものなのかもしれません。
それでも私は、街中で見かけるカップル(手を繋ぎながら歩いていたりと明らかにお互いの「パーソナルスペース」を侵入し合っているように思える男女)を見る限りでは、「恋愛格差」という言葉を信じないではいられなくなってしまうのです。男性側の容姿を見ているとその大半が上位フツメン以上のレベルを保っているように私には思われたからです。あまり冴えないような下位フツメンや、ましてや2chでお馴染みのキモヲタAAのような男性が女性と親密に歩いている姿はめったにお目にかけないような気がするのです。
しかし、これは2chなどでもよく指摘されている内容であって、今更感を拭えないのかもしれません。ですが、重要な事実は誰が何度強調しても強調しすぎるということはないもの。ここで再度周知の事実を確認しただけであっても何らかの意味はあるだろうと私は考えます。
それとも、これは私があらかじめ知っていた上のような仮説が頭の中にあったために、その仮説を裏付けるのに都合のよい事例ばかりを無意識のうちに取捨選択してしまったのでしょうか、あるいは、その街を歩いていたカップルがたまたま容姿レベルが高かったという可能性もあります。私の意見は、何も街中のカップルを何時間にも渡ってじっくりと観察した結果得られたわけではなく、たまたま目に入ったカップルの事例をいくつか見ただけで得られたものなので、根拠が薄弱なのは否めません。それでも、私が最後に一つだけ言いたいのは、特に学生のような若いカップルで下位フツメン(この概念は髪型や服装なども含みます。次回はこのテーマについて書いてみるかもしれません)以下の男性が恋人らしき女性と歩いている姿はめったに見かけない、この点についてです。
失恋の痛みは相当なものだと経験者は語っています。それこそ、人生を狂わすほどにつらいものなのだとか。
こうした話はネット上でもリアルでもしばしば聞かされてきました。しかし、経験のない私には全くもってその「痛み」とやらが理解できないのです。なぜ、人々があれほどに失恋から大きな傷を受けるのか、そこから立ち直るのに長い時間を要するのか、それは私にとっては大きな謎であって、純粋に興味の持てるテーマでもあります。
恋愛経験や失恋経験の乏しい人間であればきっと同意してくださると思いますが、我々のような人間から見ると、世にある恋愛にまつわる悩み事は滑稽なものにしか映りません。それは別に恋愛で悩む人間を侮辱しているわけではなく、単に経験が乏しいために理解が不能だと言っているだけなのです。
私は今ちょうどドストエフスキーの『死の家の記録』を読んでいます。その中に次のような一節がありました。精神的な喪失の苦しみの大きさは肉体的な苦痛にまさる、と。失恋の痛みというものもちょうどそれにあたるのかもしれません。
人間に関する理解を深めるためにも、私も早く失恋の痛みを味わってみたいところです。
一般的な傾向として、カップルが別れたとき、男性と女性では反応の仕方が異なると聞きます。
女性は割合すぐに相手を忘れて次の相手を探し始め、男性は長い間相手のことが頭から離れずに悩み続けるのだとか。
もちろん、恋愛経験が皆無な私にはさっぱり実感がわきませんし、それが本当かどうか分かるほど多くの男女が私の周りにいるわけでもありません。
ですが、ネットでの書き込みを見る限りでは、どうもそんな傾向があるらしいのは確かなようです。
そして、仮にそれが正しいとすれば、女性の方が恋愛面では有利な反応を示すと言えそうです。
過去の恋愛にあまり拘らずに、スムーズに次の恋愛へと移れるのですから。
考えてみれば、女性は一つの恋愛の終わりから別の恋愛の始まりへと移る期間が非常に短いという特徴があるような気がします。
我々と同世代ぐらいの女性はいない歴が数ヵ月も続けば焦りが出てきて、それが半年も続けば「モテナイ女」を自称してしまうと聞かされては、彼女いない歴=年齢がデフォの大生板住人(?)にとっては穏やかな話ではありません。
話を戻すと、そのように終わった恋愛に悩まされることがなければ無駄なエネルギーを使わなくてすむし、次の恋愛もしやすくなるはずです。
ですから、私がもし将来恋愛をして別れるような事態になったとしても、選べるならば、そのようなサッパリとした別れ方をしたいものだとつくづくと思います。
今は、それが極めて簡単なように思えても、実際に恋愛をしたらそうもいかないのが恋愛の魔力なのでしょうか…。
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私はもちろんこれまで一度も合コンというものに参加した経験がありませんし、たぶんこれからも参加しないだろうと思います。
合コンというものに、何となくあまりいいイメージを持っていないというのがその理由なわけですが、いわゆるリア充な大学生にとっては日常的に開催されるイヴェントであるらしく、少なからず好奇心だけは感じてしまいます。
一般的な合コンではどのようにして会が進んでいくのでしょうか?
テレビなどを見ていると(何せ経験がないためにテレビやネットから仕入れた情報で判断するしかないわけです)、やれ「王様ゲーム」だのやれ「一発芸(これはない?でも他に思いつかない)」だので、これは自分にはついていけない感が満ち満ちています。
ああいう場では、きっと2chの話題は厳禁なのでしょう。2chどころかネットの話題ですら軽々とは口にできない雰囲気であるのかもしれません。唯一ネットの話題で盛り上がれるものといったら流行りのミクシィぐらいでしょうか。
何か、あの会の中に試しに私も参加してみたかったりします。あの雰囲気の中で、2chやぼっち生活の何たるかを熱弁したら、果たしてどのような空気になるのか考えてみると結構面白いものです。しかし、もし仮にリアルで実行してしまうと、面白いどころのレベルの話では済まなくなるでしょうから、想像の中だけにとどめておくのが賢明だと言えそうです。
ああいう会を見ていると、あらためて世の中には自分とは無縁の世界がいくつもあるものだという当然の事実を再確認させられます。それらの世界を想像するのは私には非常に難しいことです。そして、合コンに参加して盛り上がっている方々にとっては、私とは逆に、私のようにネットの世界で活発に動き回る生活を想像できないのでしょう。
彼らは彼らの道を歩み、私は私の道を歩むだけです。
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気になっている女性に恋人がいるのかどうかを確かめるための手段には色々あります。そのうち最も頻繁に用いられているのは「指輪の有無」ではないでしょうか?
どんな指輪をどの指にはめているかを見るだけである程度の予想はつくようだというのがネットでの意見です(あくまである程度ですが)。
まず、ほぼ100%恋人持ちのサインは「左手薬指の指輪」です。恋人持ち云々以前に、この指にする指輪は昔から結婚指輪とされてきていて、未婚者はこの指への指輪を避ける方も多いのですが、人によっては未婚者でも恋人とのおそろいの指輪をはめてたりもしているようです。
そして、次に可能性が高いのは「右手薬指の指輪」だと言います。左手薬指の指輪は結婚指輪という考えを強く持っている方はこの指ではなく右手の薬指に恋人から貰った指輪をするのだとか。
このどちらかの指に指輪をはめていると、かなり高い確率で恋人持ちであると言います。例外を言えば、接客バイトなどをしていて、客から誘いを受けるのを防止するために「虫除け」の意味で指輪をしたりということもあるそうです。あと、派手な指輪の場合は、ファッションでしている可能性もあるのだとか。
それ以外の指にする指輪は色々な意味があるようで、一概には言えないという感じを受けました。例えば、人によっては、単なるファッションでしていたり、また他の人は恋人がいても薬指にするのは恥ずかしいから違う指にという理由で薬指以外の指にはめている方もいるという話です。
指と並んで重要なのは、指輪の種類であります。派手めなゴツゴツした指輪などはファッションリングである可能性が高い。そして、シンプルなシルバーリングは恋人とのおそろいの指輪である可能性が高い。そんな意見が一般的でした。
以上を簡単にまとめると、薬指の指輪とシルバーリングは恋人がいる可能性が高いということになります。ですが、女性は男性が思っている以上に色々な種類の指輪をファッション感覚で身につけるようですので、指輪だけでははっきりしたことを知るのはほぼ不可能であるようです。これらは、参考程度に考えておけば間違いはないのでしょう…。
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恋の悩みはとても辛いものだと聞かされます。
と言われても、恋愛経験に乏しい人間にとっては、このことはなかなか理解できないことでもあります。
自分とは縁のない出来事であるこの「恋愛」というものですが、頭の中にあるイメージでは辛いというよりも楽しいものである気がしてならないのです。
ですが、実際はそうではなく、辛いものなんだとか。
恋の辛さとは何なのでしょうか?
私にはさっぱり分かりません。好きな人がいて、その人と付き合えるかどうか分からないというときに辛さを感じるのでしょうか。それとも、好きな人と付き合えたとしても、そこからも何か「辛さ」を生じさせる何かがあるのでしょうか。
しかし、こればかりは、自分で経験してみるまでは本当に理解することはできないのでしょう…。
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人は見た目が9割、なるタイトルの本が出版されて話題になりました。
容姿が重要視されるのは恋愛の場でもまた然りであります。
ここでは容姿を「顔」だけに絞って書いていきますが、恋愛において顔はどのような役割を果たしているのでしょうか?そして、どれぐらいの範囲で重要になってくるのでしょうか?
よく言われるのは「センター試験理論」です。
つまり、一次試験だと。
とりあえず付き合えるか付き合えないかを決める「足きり」としての役割を顔が果たしているのだとか。
これは見方によっては少々残酷な意見だとも言えると思います。
どれだけ人間的な魅力に優れていたとしても、顔で見切られてしまっていたら、すべてが徒労に終わっていまうのですから…。
しかし、考えようによっては、いい点もないわけではないでしょう。
一次試験に過ぎないということは、相手の美的基準で、一定以上の容姿だと判断されれば、絶世のイケメンや美女でなかったとしても、その後の努力次第でいくらでも付き合える望みがあるわけですから。
しかし、この理論はあくまでも「ものの例え」のようなもので、それほど厳密なものではないような気もします。
最初は何とも思っていなかった、あるいはあまりよい顔ではない、と思っていたとしても、付き合って相手の内面を知るうちに、顔の方も徐々によく見えてきた、などというパターンも世の中にはありがちです。
あまり自分の顔に一喜一憂せずに、自然に人と接するようにするのが一番よいのかもしれません。
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いない暦=年齢の私だからこそ一つ気がついたことがあります。それは、おそらくネットでも誰かが言っているでしょうが、恋愛には厳然とした二重基準が存在するということです。
それはつまり、男女関係なくイケメンと不細工に対する評価があらゆる側面において真っ二つに分かれるという意味です。
たとえば、「性格が暗い」というどちからと言えば、マイナスイメージを伴う人間の性質で考えてみたいと思います。もし、ブサメンな男性がいつもふさぎこんでいて、誰とも会話をしなかったとしたらどうでしょう。おそらく彼は、「根暗だ」「不気味だ」と罵倒され、到底恋愛対象とはされないでしょう。ところが、イケメンであれば違います。ブサメンの時には「根暗」と呼ばれていた物静かさが、容姿が整っているというだけの理由で信じられないことに「クール」などというプラスイメージに転じてしまうのです。
他にいくらでも例は挙げられます。
イケメン金持ち→高貴
ブサメン金持ち→金の亡者
など。
では、タイトルの答えはどうでしょうか?
もう言うまでもありません。キモい男性の童貞はキモく、イケメンな男性の童貞は歓迎すべきことなのです。決して、童貞という属性がキモいわけではありません。二十歳を超えた童貞がキモがられるのは、おそらくは一般的に、その歳まで童貞であり続けた男性は容姿などがキモいケースが多いからでしょう。
ですが、それはあくまで本人が「キモい」だけであって、別に童貞だからキモいというわけではないと思います。それが証拠に、女性に、男性の童貞について質問すれば、おそらく「好きな男性が童貞であれば嬉しい」という回答が返ってくるはずです。
恋愛関係に厳然と存在する二重基準、これに気付いた時、私たちはまた一歩恋愛マスターへと近づくことができるのだと思います。
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私は彼女いない歴=年齢だ。女友達ですら一人もいないために、携帯メモリーに登録されている同年代の異性のメールアドレスはゼロ。
このことを私は2ch内でも何度も言い続けてきました。別に自分の非モテ度を自虐的に自慢したい意図があったわけではないのですが、過去に自分が異性から逃げ続けてきた現実に対して真剣に向き合う努力を放棄していたのは事実です。
このまま、5年10年と同じことを繰り返して、2ch上でネタにし続けるのも一案かもしれません。しかし、少し考えてみると、一度しかない人生を、そんな人の笑いを取るためだけに犠牲にするのはくだらないのではないかという点に思い至りました。
私も、就職して社会に出て、いい年齢になればおそらくは結婚する日もくるのです。その時にまだ恋愛経験ゼロでは相手からの信用も得られないし、下手をすれば、騙されてしまう可能性もありそうです。
ですから、結婚する前に、一度か二度の恋愛(もしくは理想としては初恋の相手と結婚するのがいいのでしょうが)をして、恋愛のテニヲハを習得したいものです。
とは言っても、自分は、好きでもない相手と付き合いたいとは思わない(私は趣味や嗜好がかなり偏っているので、それを受け入れてくれる女性が少ないと思うのです)。好きでもない相手と付き合うぐらいなら、いない暦を更新し続けていったって構わないとも考えています。こういう考えの人間は、一番恋愛に向いていないタイプなのかもしれません。
まあ、恋愛以前に早く、普通に話せる異性の友達を一人でも作る努力をした方がいいかもね。
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