『1Q84』と本家『1984』

とある人気作家の『1Q84』というタイトルの新刊本がバカ売れしています。一体何部売れているのかは私の知るところではありませんが、ちょっと本屋に立ち寄るだけでも、いかにこの本が売れに売れているかは一目瞭然です。どの本屋でも、上巻は売り切れ入荷待ちで、予約を受け付けている状況でした(少なくとも10日ほど前までは)。出版不況が叫ばれる中で、現代小説がこれほどの活況を呈するとはまさに異常事態で、さすがは海外でも注目されている人気作家だと脱帽させられます。

私は氏の作品は読んだことがないし、今のところはそれほど読みたいとも思ったことはないのですが、私は今回のこの作品の出版を最初に知ったときに、そのタイトルに強く惹かれるところがあり、ずっと作品名が脳裏から離れないでいました。と言うのも、知っている方はすぐに気付いたでしょうが、このタイトルには明らかな「元ネタ」が存在するのです。―ジョージ・オーウェル『1984』。この作品は、ビッグブラザーなる決して人前に姿を現さない気味の悪い独裁者が支配する全体主義国家を描いたもので、執筆当時(1948年)から見た最悪の未来予想図を想定してみせた一種の社会風刺作品であったと言えるでしょう。当時はまだソ連国が健在で、世界がいつか全体主義体制によって分割支配される悪夢の日がやってくるかもしれないという恐怖心は西側諸国の多くの人々が共有していたわけです。

この作品、角川かどこかから翻訳本が出てはいて、私も持ってはいますが、あまり読みやすいものではなかったような記憶があります(もしかしたら今読み返せばすらすら読めるかもしれませんが)。それはそもそも、扱っている内容が思想的政治的なために、原典自体が読みにくいものである可能性は大いにあります。そこのところは私にはよく分かりませんが、何れにしても、嬉しいニュースを2ch読書スレを読んでいて発見してしまいました。この本家『1984』の新訳本がそろそろ出版されるというのです。カラマーゾフのヒット以来、世は名作古典の新訳ラッシュ。その中で、数多くの達意の名訳が生み出され、古典好きの私としてはまさに欣喜雀躍の日々が続いてきました。

『1984』の新訳が今から楽しみなのと、この社会現象とも言える大ヒットに乗っかって、こちらの本家本元を2chなどで大々的に宣伝していきたいと思う今日この頃です。カラマーゾフほど注目されなくてもよいので、海外作品のトップテンに入るぐらいには本家本の方も注目されてほしいところ。

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江戸川乱歩少年探偵シリーズが文庫版に

江戸川乱歩の少年探偵シリーズと言えば、昔小学生の頃に図書館で貪るように読み漁ったという大学生も少なくはないと思います。シリーズ第一作は戦前に出版され、その人気ぶりから戦後も新刊が出版され続け、少年少女を中心に大ベストセラーとなり、現在までに累計一億冊以上の売上げがあったと聞きます。

この前本屋に行ってみると、このシリーズの何冊かが普通の文庫版サイズで置かれているのを目にして思わず私は手にとって眺めてしまいました。昨年末に怪人二十面相の映画が公開されたので、それに合わせて新たにポプラ社から文庫版少年探偵シリーズを刊行する運びとなったようなのです。それも嬉しいことに、ファンの間でも評価の高いかつての表紙と挿絵で。

今でも児童文学のコーナーに行くと新書より少し大きいサイズで少年探偵シリーズ全26冊(同じくポプラ社)が置いてあるのを目にしますが、そちらは一目見て分かるように、新しい表紙と挿絵が採用されています。そちらも決して悪いものではないかもしれませんが、絵のタッチが現代風なのもあり、昔のやつの方がより作品が書かれた当時の雰囲気を上手く伝えているように私には思えます。

そして、現代版では少年少女に配慮してかいわゆる「差別用語」が排除されていたりと原文に手が加えられていたのですが、新しい文庫版ではそれがなくなり、当時発表されたそのままの形での文章を読むことができるようになりました。表紙・挿絵・文章と全てを原点回帰させたと言ってよいでしょう。

今後も引き続き全26冊全て刊行されるようですので、興味のある方は是非チェックしてみてください。

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中でも『青銅の魔人』は特におすすめ。

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発想の勝利―直筆本シリーズ

『直筆で読む「坊ちゃん」』という集英社新書の本をご存知でしょうか。これは夏目漱石の直筆原稿を直しなども含めてそのまま写真版で収録したものです。私が最初に本屋でこの本を見つけたときは、非常にユニークな着想に興味を惹かれたものの、直筆原稿とあっては決して読みやすいものでもなく、現状ではまだ漱石文学を理解できていないと自認していたので購入するまでには至りませんでした。

そのときは「これを買うのは余程の漱石マニアぐらいなものだろう」と考え、あまり一般受けはしないのではないかと思っていたのですが、世相を読むのが下手な私はこの件でもまた誤ってしまったようです。というのも、今日本屋に行ってみたら新刊コーナーにその第二弾(?)として太宰治の『人間失格』だか何だかの直筆本が平積みされていたのです。初めから続編を出版するのを決めていたのだとしても、あまりに採算がとれないようであれば、視聴率の取れないドラマと同じく、途中でその企画は打ち切られてしまうもの。今回の企画は最低でも出版社の予想していた程度には、そしておそらくはそれ以上に大きな成功を収められたのでしょう。

このシリーズが今後も続いていくとしたら、どんな作家が登場するでしょうか。私の予想では、初めは古典中の古典、鴎外や志賀直哉や三島由紀夫、また時流から言って蟹工船などが採り上げられ、それらが当たれば、現代文学へと移行していくような気がします。しかし、出版社としては残念なことに、最近の原稿は全てワードで提出されるものなので、出せば必ず売れそうな東野圭吾さんの直筆本などは出版できそうにありません。

こういった本は純粋に読むためというよりも、資料的な価値を置いたり、作者のファンであったりといった理由で購入するのが大半なんでしょう。その意味では、直筆原稿が日本語である必要すらないように思えてきます。英語が全く読めなくても、シェイクスピアの直筆原稿本を欲しがる方は沢山いることでしょう(そられのうちどれだけが現存しているのか知りませんが)。このシリーズが今後も続いていくなら、是非日本語の本だけでなく一冊ぐらいは、海外作品の直筆本も出版して欲しいと思いますね。

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愛読書は夏目漱石?

「趣味は何か?」と聞かれたときに読書・音楽鑑賞と答えるのはあまりにも定番になりすぎてしまい、「それは事実上無趣味だと宣言しているようなものだ」と皮肉られたりもします。大学受験の面接などでは特にその傾向が強く、おそらく半数以上の受験者がこういった無難な回答をするのかもしれません。そして、読書に関してさらに突っ込んだ質問で「愛読書は?」と聞かれたら「夏目漱石です」と答えるやり取りも面接官はもう耳が腐るほど経験しているに違いありません。

さて正直に言いますが、私は夏目漱石の作品はこれまでほとんど読んだことがありません。学校で読むよう推奨されたのを含め数作品は読んでいるかもしれませんが、印象にはあまり残っていません。20歳を超えて夏目漱石の作品をあまり読んでいないというと、教養主義的な立場の方々からは白い目で見られてしまうかもしれません。ですが、それでも私はこれまで、かの大文豪の作品を完読しようとは思わずにきました。その理由は単純で、漱石の作品を読んでも全く面白いと思えなかったからです。面白くないという自分の偽らざる素直な感情に従って読まずにきました。

曲がりなりにも「読書好き」を自称するのであれば漱石ぐらいは常識として読んでおくべきではないか、そうした声に私が抵抗してこれたのは、以前も紹介した渡部昇一氏の『知的生活の方法』を読み、氏の読書感に強く共感を抱いていたからでした。氏の読書感は一言で要約すると「勉強のために読む論文や文献はともかく、楽しみのために読む小説は面白いと思えなければならない」というもので、読んでも全く面白いと思えない小説は途中で読むのを放棄していたのだそうです。夏目漱石の作品については、中高時代はもちろん大学時代に読んでも全く面白さが分からなかったためにほとんど読まなかった、しかし、30を過ぎた頃になってやっとその面白さが分かるようになり、そうなってからは漱石の作品の大半は読破してしまったのだとか。

渡部氏曰く、夏目漱石はじめ文豪が残した作品というものは、過去の時代における最も偉大な精神を持った人達が精魂を込めて作り上げたものである。そうした作品を、人生経験が少なく人情の機微を理解する能力の乏しい学生が読んで本当に分かるはずがない。分からないのに無理して読んで「つまらなかった」という記憶だけが下手に残って、本当に作品のよさが分かる時期に読まずに終わってしまうほど大きな損失はない。背伸びもよいがそれはほどほどにしておくべきである。―もう何年も前に読んだ文章なので記憶違いもあるかもしれませんが、上記のような内容が書かれていて、それは今でも強く印象に残っています。氏はそうした読書経歴を持っているからこそ、大学入試(渡部氏は上智大学の元教授現名誉教授)の面接官を担当したときに「愛読書は夏目漱石です」と答える高校生に対して苦笑を禁じえなかったと言います。

この本の影響もあって私は無理に文豪と呼ばれる作家の作品を読破するような「修行」は避けてきたわけですが、しかし、もう年齢的にもよい年頃で以前よりは人生経験や、社会や人間に対する理解も増しているはずなので、漱石の作品のいくつかは楽しんで読めるようになっているかもしれません。『文鳥』を立ち読みしてみたときには、相変わらずその世界観が全く理解できませんでした。しかし、『坊ちゃん』や『我輩は猫である』のように、児童文学の出版社からも出されているような作品であれば、楽しみながら最後まで読み通せるような気もします。こうした作品を中心にして、漱石の作品のいくつかを読んでいきたいところです。

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名著とは繰り返し読み返されるだけの価値があるもの。そのときの人生経験のレベルによって作品から何を読み取るかは変わってきます。くれぐれも過去に一度読んだからという理由で手に取るのを拒絶しないようにしたいですね。

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古代への情熱

先週『文字の歴史』というタイトルの本を読みました。楔形文字やヒエログリフ、漢字や後にローマ字アルファベットへと引き継がれていくフェニキア文字など紀元前1000年以上前より人類は話し言葉とは別に書き言葉を発明し、自らの精神遺産を後代へと伝えるための基礎を形作ってきました。この本は、そうした文字がどの地域でどのように使われるようになったか、どのような媒体に書かれていたのか(パピルス、石版、粘土、羊皮紙、紙…)、そしてそうした文字のうち長い間謎のまま残されていたものがどのようにして解読されるに至ったのかを簡潔にまとめたものです。

私が中でも特に興味を惹かれたのは、古代文字解読劇の中でも最もドラマチックであったと言っても過言ではないシャンポリオンによるヒエログリフ解読に関する記述でした。この解読が齎された背景に、ナポレオンによるエジプト遠征によって、ロゼッタストーンをはじめとしてエジプトの古代遺産がフランスに大量に持ち込まれた出来事があった点は最早あまりにも有名です。

天才シャンポリオンは少年時代、ヒエログリフが未だに解読されずに謎のまま残されていると聞かされたとき「それならば必ず自分がその謎を解いてやろう」と堅く決意したと伝えられています。文字通りの語学の天才であった彼は10代後半にして10ヶ国語以上をマスターし18歳にしてグルノーブル大学の歴史学教授の地位に就きました。余談ですが、ヒエログリフ解読のために彼が最も重視した言語の一つが4世紀頃よりエジプトで使われていたコプト語であったのだそうです。コプト語といえばあのナグ=ハマディ文書が書かれた言語としても有名です。

シャンポリオンの少年時代から続く情熱は後に実を結び、見事にヒエログリフ解読に成功しその名を永久に歴史上に残すことになりました。文字が一度失われてしまってから2000年も経ってからの解読だというのですから感想としてはただただ脱帽の一文字しかありません。私など、現代もまだ現役バリバリに残っている言語(英語をはじめとして)を何とかマスターしようと必死になっていてなかなか上手くいかないのですから、その才能の一部でもいいからわけてほしいと思ってしまいます。

それはそうと、偶然のめぐり合わせとは面白いもので、誰かの噂をしているときにその当人が表れるなどというのはしばしば起こるものです。それと同じように、ちょうど興味を持ち始めたテーマに関する本に本屋でばったり出会うという経験もあるもので、先日本屋に行って新潮文庫の棚を見ていたら何と『ロゼッタストーン解読』(アドキンズ夫妻著)という本が置いてあるではないですか。古い本であれば古本屋で探してみようかとも思いましたが、出版日を見ると二ヶ月ほど前に出たばかりの新刊のようです。そこでしばらく立ち読みをして内容を確かめてみたところ非常に興味深かったので買ってしまいました。

私は元々非常に物事にのめり込みやすいタイプなので、一度何かの話題に熱中するとそれに関する文献を色々と読み漁ってみたくなってしまいます。就職や出世には何の役にも立たないかもしれないけれど、自分の趣味は趣味として純粋に追及しながら生きていきたいと思う今日この頃です。

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この前ブックオフのセールでファーブルの『科学物語』を発見しました。これは昆虫記と合わせて一生の宝になりそうな予感。

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ブームの影響を受けて

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を買ってきました。『カラマーゾフの兄弟』と言えば、亀山氏の分かりやすい新訳によって昨今のドストエフスキーブームに火をつけたきっかけとなった作品として今やすっかり有名になりました。(数年前まではドストエフスキーの作品と言えば『罪と罰』が挙げられることが多かったというのに)

亀山氏の新訳も読みやすいのかもしれませんが、ロシア文学は元々名訳家の多いジャンルでもあり、昔の訳も捨てたものではありません。米川氏や江川氏、工藤氏といったそうそうたる顔ぶれがロシア文学翻訳者の名前として並んでいます。用語や言い回しの古臭さを除けば、これらの旧訳でも十分スラスラと読み進められるでしょう。

文章の古臭さについては出版年数を考えても仕方のないところがあります。例えば、名訳家として知られる米川氏の翻訳本は1920年代に出版されていたりします。これでは、今の人が読んでも違和感を覚える表現が数多く登場するのも当然です。

しかし一方で、その古臭さを評価する人も中にはいるようです。ドストエフスキーはロシア人にとっても既に古典作品であり、日本人にとって夏目漱石や芥川龍之介の文章が古臭く感じるように、海外の作品も少しぐらい古臭い方がよいのだ。それにただ古臭いだけではなく、戦前にはありがちなように文章に重厚さが備わっている。そうした利点が新訳では失われてしまった、のだと。

こうした批判にはもちろん一理あるのかもしれません。しかしながら、ドストエフスキーを日本人に普及させたという事実は、どのようなデメリットをも補って余りあるほどの偉大な業績だと言えないでしょうか。

ですがそれは余談です。亀山氏の訳にも興味は持ったわけですが、私は本は基本古本で買うタイプなので、人気の亀山訳は古本では手に入りそうもなく、かつ5分冊だというのもあり諦めて、新潮版で読むことにしました。新潮版は岩波版の米川訳ほどは古くもなく、パッと読んだ感じでもこなれた文章で訳されているようで読みやすそうです。理想を言えばそれぞれの訳者の翻訳を読み通してみたいという気持ちもありますが、ここまでの長編だとそれも難しいのがつらいところ。

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以前はよくブックオフ100円コーナーにドストエフスキーが並んでいたのに、今では普通の値段の棚でもあまり見かけなくなってしまった…。

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あの古本屋の値札について

私がよく話題に出す例の古本屋についてまた。

あの古本屋に関して不満を漏らすとすればあの剥がしにくい値札についてです。ほとんどの本は買ってきてもそのまんま値札つけたままにしておくわけですが、たまに気が向いたときなどは剥がしたい気分になり、いざ剥がそうとしてみるとどうにもうまく剥がれなくてシールの糊が残ってしまいます。

昔からずっと利用している方なら分かると思いますがあの値札シール以前と比べてかなり強力になっています。前は、シール跡を残すことなく実に綺麗に剥がせたもので、暇なときなどあのシールを綺麗に剥がしてちょっとした満足感を抱いていたりしたものでした。それも企業側のサービスだったのかもしれません。

しかし、世の中は一部のモラルの欠けた人間によって他のそうでない多くの人間が迷惑を被るようになっていて、それは、この企業にとっても例外ではありえなかったのでした。つまり、簡単にシールが剥がせるようになっていたため、店頭に並んでいる商品のシールを105円のやつに付け替える事件が相次いでしまったのだそうです。そのせいで、そうした不正行為に対処するために最近のシールは剥がしにくい素材を用いるようになり、不評を買ってしまっています。

それでもドライヤーや専用のシールはがし用のスプレーを使ったりすれば綺麗に剥がすことも可能ではあるようですが、購入する本の冊数が増えれば増えるほどあまり手間をかけずに剥がしたいと思うのが人情。何とか早く対処したほしいと利用客の一人として切に願っています。

店舗によっては、値段と一緒に本のタイトルも表示された大き目のシールを使っているところもあって、あれなどは代案としては非常に有効なものだと思います。将来的には全ての本にああいった、タイトルを併記したシールが貼られるようになるのかもしれません。

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古本の線引きや書き込みについて

古本屋で本を手にとってパラパラとめくっているとたまに目に飛び込んでくるものに傍線や書き込みなどがあります。こうしたものを見つけたときの反応は人によって違ってくると思います。全く気にしない人もいれば、一行でも線が引いてあったらもう絶対に購入を控えるという神経質なタイプの人もいるでしょう。私はそこまで気にしない方ではありますが、それでもやはり書き込みがあると、それがないときと比べて、少しその本にかける費用の上限が引き下げられてしまうのが一般的です。

しかし、これには例外もあって、書き込みがあることで非常に得をした気持ちになってしまったことがありました。それは何かというと、試験の参考書への書き込みです。その参考書は(タッ○のVテキスト)予備校の授業でも使われているようで、おそらくその時に使っていたのでしょう、テキストには最初から最後まで大事な箇所に悉くマーカーが引いてあって、どこを重点的に読めばよいのか一目瞭然だったのです。これは正直言って重宝しました。

そうしたわけで、この状態にある本は定価の倍、あるいはそれ以上の価値があると私は信じていますが、この本何とブックオ○の100円コーナーに置いてあったんです。あのお店は、主に本の保存状態だけで値段をつけるところがあるので、大量に書き込みがしてあったりする本は問答無用で100円コーナーに飛ばされてしまうケースが多々あるわけです。これも例外に漏れず、最初から100円に廻されてきたに違いありません。

多くの場合、書き込みだらけの本はそのような扱いが妥当なのかもしれませんが、参考書のように、書き込みがあってくれた方が理解の助けになりありがたいこともあるので、そのような本を古本屋で安く見つけられれば、安くてかつ有用という二重の幸運にめぐり合えたようなものですね。大学の教科書なども、場合によっては線が引いてある方が一夜漬けの勉強には効果を発揮するかもしれません。

何にしても、一概に線や書き込みがあるから駄目だ、とは言えないようで・・・。

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恋愛要素の薄い小説

前回の記事で、自分が好んで聴く音楽は恋愛要素がほとんど含まれていない傾向にあると書きました。人間は自分の経験のない事柄に対してはどうしても理解するのが難しくなるわけで、そういう意味では、それもさもありなんと言ったところなのかもしれません。

さて、前回は音楽について書いたわけですが、それから考えてみると、小説についてもその傾向がかなり当てはまるように思えてなりませんでした。つまり、私が読む小説の多くは、恋愛要素が皆無かあるいは含まれていてもほんの少しオマケ程度に含まれているに過ぎないという傾向にあると気付いたのです。

私が好きな小説の一例―『ドン・キホーテ』『宝島』『地底旅行』『黄金仮面』『陰陽師』『ロビンソン漂流記』『シャーロック・ホームズ』…。いずれも恋愛要素の非常に薄い作品ばかりです。少なくとも二回以上繰り返して読む作品はその手の作品が多いような気がしますね。別に恋愛小説などを毛嫌いしているわけではないし(たまには少女マンガ含めて読みますし)避けているわけでもないのですが、気が付いたら上記のような作品ばかり読み漁っている自分がいます。

それに反して、現代作家の学園物小説なんかはほとんど全く読まずにきました。しかし、考えてみれば、そうした選り好みが、自らの非リア充ライフに拍車をかけてきたと見ることもできます。話題を広げるためにも、そうした作品にも興味の幅を広めていくべきなのかもしれません。残り半年も大学生活は残されていませんが、せめて空想の世界だけでも、リアル充実系大学生のキャンパスライフを擬似経験してみるのは悪くはありません。そういうわけで、現代作家の学園小説でも探してみましょうか・・・。

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歴史の奇跡ジャンヌ・ダルク

今日図書館で中公新書から出版されている『ジャンヌ・ダルク』読みました。

ジャンヌについての歴史は恥ずかしながら「少女が兵士を導いてフランスを救った」という簡単なこと以外はほとんど何も知らなかったため読んでいて驚きの連続でした。

フランスの小さな町に生まれ育ったジャンヌは幼少の頃から宗教心の強い子であり、ある年齢に達した頃から「神のお告げ」を聞くようになったという。そのお告げの内容は「あなたは将来王太子を戴冠させ、フランスをイギリスによる圧迫から救うことになる」というものだった。その託宣を聞きながら育った彼女は18,9歳になると遂に親に黙って町を飛び出し神によって教えられた街に行き、役人に会い事情を説明する。当然最初は相手にされなかったが、少女の熱意やカリスマ性に心を動かされ多くの人が彼女を神からの使いとして信用するようになる。やがて王の戴冠も済ませ、軍を率いてイギリス軍と戦いその卓越した指揮と判断力により各地で奇跡的な勝利をもたらす。そして最後はイギリス軍にとらえられ、火刑に処される。

この本によればジャンヌは初めから「自分が活躍できる期間は一年ほどしかない」という神の声を聞いていたという。その預言は後に実現することになる。

彼女の生涯はこのように多くの謎と神秘に満ちています。そこにはもちろん、キリスト教的な伝説・神話として幾分誇張されたエピソードも含まれているのだと思います。しかし、ジャンヌという女性が突然現れ、フランスを奇跡的な勝利へと導いたという事実自体は疑いようのないもので、それ自体が正に歴史の奇跡としか言いようがありません。

キリスト教的聖者としてもまた歴史的な人物としても私はこの謎の多い一人の女性にすっかり魅せられてしまいました。これを機に色々と彼女に関する文献を漁ってみようと思っています。

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