『1Q84』と本家『1984』

とある人気作家の『1Q84』というタイトルの新刊本がバカ売れしています。一体何部売れているのかは私の知るところではありませんが、ちょっと本屋に立ち寄るだけでも、いかにこの本が売れに売れているかは一目瞭然です。どの本屋でも、上巻は売り切れ入荷待ちで、予約を受け付けている状況でした(少なくとも10日ほど前までは)。出版不況が叫ばれる中で、現代小説がこれほどの活況を呈するとはまさに異常事態で、さすがは海外でも注目されている人気作家だと脱帽させられます。

私は氏の作品は読んだことがないし、今のところはそれほど読みたいとも思ったことはないのですが、私は今回のこの作品の出版を最初に知ったときに、そのタイトルに強く惹かれるところがあり、ずっと作品名が脳裏から離れないでいました。と言うのも、知っている方はすぐに気付いたでしょうが、このタイトルには明らかな「元ネタ」が存在するのです。―ジョージ・オーウェル『1984』。この作品は、ビッグブラザーなる決して人前に姿を現さない気味の悪い独裁者が支配する全体主義国家を描いたもので、執筆当時(1948年)から見た最悪の未来予想図を想定してみせた一種の社会風刺作品であったと言えるでしょう。当時はまだソ連国が健在で、世界がいつか全体主義体制によって分割支配される悪夢の日がやってくるかもしれないという恐怖心は西側諸国の多くの人々が共有していたわけです。

この作品、角川かどこかから翻訳本が出てはいて、私も持ってはいますが、あまり読みやすいものではなかったような記憶があります(もしかしたら今読み返せばすらすら読めるかもしれませんが)。それはそもそも、扱っている内容が思想的政治的なために、原典自体が読みにくいものである可能性は大いにあります。そこのところは私にはよく分かりませんが、何れにしても、嬉しいニュースを2ch読書スレを読んでいて発見してしまいました。この本家『1984』の新訳本がそろそろ出版されるというのです。カラマーゾフのヒット以来、世は名作古典の新訳ラッシュ。その中で、数多くの達意の名訳が生み出され、古典好きの私としてはまさに欣喜雀躍の日々が続いてきました。

『1984』の新訳が今から楽しみなのと、この社会現象とも言える大ヒットに乗っかって、こちらの本家本元を2chなどで大々的に宣伝していきたいと思う今日この頃です。カラマーゾフほど注目されなくてもよいので、海外作品のトップテンに入るぐらいには本家本の方も注目されてほしいところ。

↑ランキング参加しています。宜しくお願いします。

| | コメント (0)

江戸川乱歩少年探偵シリーズが文庫版に

江戸川乱歩の少年探偵シリーズと言えば、昔小学生の頃に図書館で貪るように読み漁ったという大学生も少なくはないと思います。シリーズ第一作は戦前に出版され、その人気ぶりから戦後も新刊が出版され続け、少年少女を中心に大ベストセラーとなり、現在までに累計一億冊以上の売上げがあったと聞きます。

この前本屋に行ってみると、このシリーズの何冊かが普通の文庫版サイズで置かれているのを目にして思わず私は手にとって眺めてしまいました。昨年末に怪人二十面相の映画が公開されたので、それに合わせて新たにポプラ社から文庫版少年探偵シリーズを刊行する運びとなったようなのです。それも嬉しいことに、ファンの間でも評価の高いかつての表紙と挿絵で。

今でも児童文学のコーナーに行くと新書より少し大きいサイズで少年探偵シリーズ全26冊(同じくポプラ社)が置いてあるのを目にしますが、そちらは一目見て分かるように、新しい表紙と挿絵が採用されています。そちらも決して悪いものではないかもしれませんが、絵のタッチが現代風なのもあり、昔のやつの方がより作品が書かれた当時の雰囲気を上手く伝えているように私には思えます。

そして、現代版では少年少女に配慮してかいわゆる「差別用語」が排除されていたりと原文に手が加えられていたのですが、新しい文庫版ではそれがなくなり、当時発表されたそのままの形での文章を読むことができるようになりました。表紙・挿絵・文章と全てを原点回帰させたと言ってよいでしょう。

今後も引き続き全26冊全て刊行されるようですので、興味のある方は是非チェックしてみてください。

↑ランキング参加しています。宜しくお願いします。

中でも『青銅の魔人』は特におすすめ。

| | コメント (0)

発想の勝利―直筆本シリーズ

『直筆で読む「坊ちゃん」』という集英社新書の本をご存知でしょうか。これは夏目漱石の直筆原稿を直しなども含めてそのまま写真版で収録したものです。私が最初に本屋でこの本を見つけたときは、非常にユニークな着想に興味を惹かれたものの、直筆原稿とあっては決して読みやすいものでもなく、現状ではまだ漱石文学を理解できていないと自認していたので購入するまでには至りませんでした。

そのときは「これを買うのは余程の漱石マニアぐらいなものだろう」と考え、あまり一般受けはしないのではないかと思っていたのですが、世相を読むのが下手な私はこの件でもまた誤ってしまったようです。というのも、今日本屋に行ってみたら新刊コーナーにその第二弾(?)として太宰治の『人間失格』だか何だかの直筆本が平積みされていたのです。初めから続編を出版するのを決めていたのだとしても、あまりに採算がとれないようであれば、視聴率の取れないドラマと同じく、途中でその企画は打ち切られてしまうもの。今回の企画は最低でも出版社の予想していた程度には、そしておそらくはそれ以上に大きな成功を収められたのでしょう。

このシリーズが今後も続いていくとしたら、どんな作家が登場するでしょうか。私の予想では、初めは古典中の古典、鴎外や志賀直哉や三島由紀夫、また時流から言って蟹工船などが採り上げられ、それらが当たれば、現代文学へと移行していくような気がします。しかし、出版社としては残念なことに、最近の原稿は全てワードで提出されるものなので、出せば必ず売れそうな東野圭吾さんの直筆本などは出版できそうにありません。

こういった本は純粋に読むためというよりも、資料的な価値を置いたり、作者のファンであったりといった理由で購入するのが大半なんでしょう。その意味では、直筆原稿が日本語である必要すらないように思えてきます。英語が全く読めなくても、シェイクスピアの直筆原稿本を欲しがる方は沢山いることでしょう(そられのうちどれだけが現存しているのか知りませんが)。このシリーズが今後も続いていくなら、是非日本語の本だけでなく一冊ぐらいは、海外作品の直筆本も出版して欲しいと思いますね。

↑いつもありがとうございます。応援して下さると嬉しいです。

| | コメント (4)

愛読書は夏目漱石?

「趣味は何か?」と聞かれたときに読書・音楽鑑賞と答えるのはあまりにも定番になりすぎてしまい、「それは事実上無趣味だと宣言しているようなものだ」と皮肉られたりもします。大学受験の面接などでは特にその傾向が強く、おそらく半数以上の受験者がこういった無難な回答をするのかもしれません。そして、読書に関してさらに突っ込んだ質問で「愛読書は?」と聞かれたら「夏目漱石です」と答えるやり取りも面接官はもう耳が腐るほど経験しているに違いありません。

さて正直に言いますが、私は夏目漱石の作品はこれまでほとんど読んだことがありません。学校で読むよう推奨されたのを含め数作品は読んでいるかもしれませんが、印象にはあまり残っていません。20歳を超えて夏目漱石の作品をあまり読んでいないというと、教養主義的な立場の方々からは白い目で見られてしまうかもしれません。ですが、それでも私はこれまで、かの大文豪の作品を完読しようとは思わずにきました。その理由は単純で、漱石の作品を読んでも全く面白いと思えなかったからです。面白くないという自分の偽らざる素直な感情に従って読まずにきました。

曲がりなりにも「読書好き」を自称するのであれば漱石ぐらいは常識として読んでおくべきではないか、そうした声に私が抵抗してこれたのは、以前も紹介した渡部昇一氏の『知的生活の方法』を読み、氏の読書感に強く共感を抱いていたからでした。氏の読書感は一言で要約すると「勉強のために読む論文や文献はともかく、楽しみのために読む小説は面白いと思えなければならない」というもので、読んでも全く面白いと思えない小説は途中で読むのを放棄していたのだそうです。夏目漱石の作品については、中高時代はもちろん大学時代に読んでも全く面白さが分からなかったためにほとんど読まなかった、しかし、30を過ぎた頃になってやっとその面白さが分かるようになり、そうなってからは漱石の作品の大半は読破してしまったのだとか。

渡部氏曰く、夏目漱石はじめ文豪が残した作品というものは、過去の時代における最も偉大な精神を持った人達が精魂を込めて作り上げたものである。そうした作品を、人生経験が少なく人情の機微を理解する能力の乏しい学生が読んで本当に分かるはずがない。分からないのに無理して読んで「つまらなかった」という記憶だけが下手に残って、本当に作品のよさが分かる時期に読まずに終わってしまうほど大きな損失はない。背伸びもよいがそれはほどほどにしておくべきである。―もう何年も前に読んだ文章なので記憶違いもあるかもしれませんが、上記のような内容が書かれていて、それは今でも強く印象に残っています。氏はそうした読書経歴を持っているからこそ、大学入試(渡部氏は上智大学の元教授現名誉教授)の面接官を担当したときに「愛読書は夏目漱石です」と答える高校生に対して苦笑を禁じえなかったと言います。

この本の影響もあって私は無理に文豪と呼ばれる作家の作品を読破するような「修行」は避けてきたわけですが、しかし、もう年齢的にもよい年頃で以前よりは人生経験や、社会や人間に対する理解も増しているはずなので、漱石の作品のいくつかは楽しんで読めるようになっているかもしれません。『文鳥』を立ち読みしてみたときには、相変わらずその世界観が全く理解できませんでした。しかし、『坊ちゃん』や『我輩は猫である』のように、児童文学の出版社からも出されているような作品であれば、楽しみながら最後まで読み通せるような気もします。こうした作品を中心にして、漱石の作品のいくつかを読んでいきたいところです。

↑いつもありがとうございます。応援してくださると嬉しく思います。

名著とは繰り返し読み返されるだけの価値があるもの。そのときの人生経験のレベルによって作品から何を読み取るかは変わってきます。くれぐれも過去に一度読んだからという理由で手に取るのを拒絶しないようにしたいですね。

| | コメント (4)

古代への情熱

先週『文字の歴史』というタイトルの本を読みました。楔形文字やヒエログリフ、漢字や後にローマ字アルファベットへと引き継がれていくフェニキア文字など紀元前1000年以上前より人類は話し言葉とは別に書き言葉を発明し、自らの精神遺産を後代へと伝えるための基礎を形作ってきました。この本は、そうした文字がどの地域でどのように使われるようになったか、どのような媒体に書かれていたのか(パピルス、石版、粘土、羊皮紙、紙…)、そしてそうした文字のうち長い間謎のまま残されていたものがどのようにして解読されるに至ったのかを簡潔にまとめたものです。

私が中でも特に興味を惹かれたのは、古代文字解読劇の中でも最もドラマチックであったと言っても過言ではないシャンポリオンによるヒエログリフ解読に関する記述でした。この解読が齎された背景に、ナポレオンによるエジプト遠征によって、ロゼッタストーンをはじめとしてエジプトの古代遺産がフランスに大量に持ち込まれた出来事があった点は最早あまりにも有名です。

天才シャンポリオンは少年時代、ヒエログリフが未だに解読されずに謎のまま残されていると聞かされたとき「それならば必ず自分がその謎を解いてやろう」と堅く決意したと伝えられています。文字通りの語学の天才であった彼は10代後半にして10ヶ国語以上をマスターし18歳にしてグルノーブル大学の歴史学教授の地位に就きました。余談ですが、ヒエログリフ解読のために彼が最も重視した言語の一つが4世紀頃よりエジプトで使われていたコプト語であったのだそうです。コプト語といえばあのナグ=ハマディ文書が書かれた言語としても有名です。

シャンポリオンの少年時代から続く情熱は後に実を結び、見事にヒエログリフ解読に成功しその名を永久に歴史上に残すことになりました。文字が一度失われてしまってから2000年も経ってからの解読だというのですから感想としてはただただ脱帽の一文字しかありません。私など、現代もまだ現役バリバリに残っている言語(英語をはじめとして)を何とかマスターしようと必死になっていてなかなか上手くいかないのですから、その才能の一部でもいいからわけてほしいと思ってしまいます。

それはそうと、偶然のめぐり合わせとは面白いもので、誰かの噂をしているときにその当人が表れるなどというのはしばしば起こるものです。それと同じように、ちょうど興味を持ち始めたテーマに関する本に本屋でばったり出会うという経験もあるもので、先日本屋に行って新潮文庫の棚を見ていたら何と『ロゼッタストーン解読』(アドキンズ夫妻著)という本が置いてあるではないですか。古い本であれば古本屋で探してみようかとも思いましたが、出版日を見ると二ヶ月ほど前に出たばかりの新刊のようです。そこでしばらく立ち読みをして内容を確かめてみたところ非常に興味深かったので買ってしまいました。

私は元々非常に物事にのめり込みやすいタイプなので、一度何かの話題に熱中するとそれに関する文献を色々と読み漁ってみたくなってしまいます。就職や出世には何の役にも立たないかもしれないけれど、自分の趣味は趣味として純粋に追及しながら生きていきたいと思う今日この頃です。

↑いつもありがとうございます。応援してくださると嬉しく思います。

この前ブックオフのセールでファーブルの『科学物語』を発見しました。これは昆虫記と合わせて一生の宝になりそうな予感。

| | コメント (3)

ブームの影響を受けて

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を買ってきました。『カラマーゾフの兄弟』と言えば、亀山氏の分かりやすい新訳によって昨今のドストエフスキーブームに火をつけたきっかけとなった作品として今やすっかり有名になりました。(数年前まではドストエフスキーの作品と言えば『罪と罰』が挙げられることが多かったというのに)

亀山氏の新訳も読みやすいのかもしれませんが、ロシア文学は元々名訳家の多いジャンルでもあり、昔の訳も捨てたものではありません。米川氏や江川氏、工藤氏といったそうそうたる顔ぶれがロシア文学翻訳者の名前として並んでいます。用語や言い回しの古臭さを除けば、これらの旧訳でも十分スラスラと読み進められるでしょう。

文章の古臭さについては出版年数を考えても仕方のないところがあります。例えば、名訳家として知られる米川氏の翻訳本は1920年代に出版されていたりします。これでは、今の人が読んでも違和感を覚える表現が数多く登場するのも当然です。

しかし一方で、その古臭さを評価する人も中にはいるようです。ドストエフスキーはロシア人にとっても既に古典作品であり、日本人にとって夏目漱石や芥川龍之介の文章が古臭く感じるように、海外の作品も少しぐらい古臭い方がよいのだ。それにただ古臭いだけではなく、戦前にはありがちなように文章に重厚さが備わっている。そうした利点が新訳では失われてしまった、のだと。

こうした批判にはもちろん一理あるのかもしれません。しかしながら、ドストエフスキーを日本人に普及させたという事実は、どのようなデメリットをも補って余りあるほどの偉大な業績だと言えないでしょうか。

ですがそれは余談です。亀山氏の訳にも興味は持ったわけですが、私は本は基本古本で買うタイプなので、人気の亀山訳は古本では手に入りそうもなく、かつ5分冊だというのもあり諦めて、新潮版で読むことにしました。新潮版は岩波版の米川訳ほどは古くもなく、パッと読んだ感じでもこなれた文章で訳されているようで読みやすそうです。理想を言えばそれぞれの訳者の翻訳を読み通してみたいという気持ちもありますが、ここまでの長編だとそれも難しいのがつらいところ。

↑ありがとうございます。投票してくださると嬉しいです。

以前はよくブックオフ100円コーナーにドストエフスキーが並んでいたのに、今では普通の値段の棚でもあまり見かけなくなってしまった…。

| | コメント (3)

あの古本屋の値札について

私がよく話題に出す例の古本屋についてまた。

あの古本屋に関して不満を漏らすとすればあの剥がしにくい値札についてです。ほとんどの本は買ってきてもそのまんま値札つけたままにしておくわけですが、たまに気が向いたときなどは剥がしたい気分になり、いざ剥がそうとしてみるとどうにもうまく剥がれなくてシールの糊が残ってしまいます。

昔からずっと利用している方なら分かると思いますがあの値札シール以前と比べてかなり強力になっています。前は、シール跡を残すことなく実に綺麗に剥がせたもので、暇なときなどあのシールを綺麗に剥がしてちょっとした満足感を抱いていたりしたものでした。それも企業側のサービスだったのかもしれません。

しかし、世の中は一部のモラルの欠けた人間によって他のそうでない多くの人間が迷惑を被るようになっていて、それは、この企業にとっても例外ではありえなかったのでした。つまり、簡単にシールが剥がせるようになっていたため、店頭に並んでいる商品のシールを105円のやつに付け替える事件が相次いでしまったのだそうです。そのせいで、そうした不正行為に対処するために最近のシールは剥がしにくい素材を用いるようになり、不評を買ってしまっています。

それでもドライヤーや専用のシールはがし用のスプレーを使ったりすれば綺麗に剥がすことも可能ではあるようですが、購入する本の冊数が増えれば増えるほどあまり手間をかけずに剥がしたいと思うのが人情。何とか早く対処したほしいと利用客の一人として切に願っています。

店舗によっては、値段と一緒に本のタイトルも表示された大き目のシールを使っているところもあって、あれなどは代案としては非常に有効なものだと思います。将来的には全ての本にああいった、タイトルを併記したシールが貼られるようになるのかもしれません。

| | コメント (2)

古本の線引きや書き込みについて

古本屋で本を手にとってパラパラとめくっているとたまに目に飛び込んでくるものに傍線や書き込みなどがあります。こうしたものを見つけたときの反応は人によって違ってくると思います。全く気にしない人もいれば、一行でも線が引いてあったらもう絶対に購入を控えるという神経質なタイプの人もいるでしょう。私はそこまで気にしない方ではありますが、それでもやはり書き込みがあると、それがないときと比べて、少しその本にかける費用の上限が引き下げられてしまうのが一般的です。

しかし、これには例外もあって、書き込みがあることで非常に得をした気持ちになってしまったことがありました。それは何かというと、試験の参考書への書き込みです。その参考書は(タッ○のVテキスト)予備校の授業でも使われているようで、おそらくその時に使っていたのでしょう、テキストには最初から最後まで大事な箇所に悉くマーカーが引いてあって、どこを重点的に読めばよいのか一目瞭然だったのです。これは正直言って重宝しました。

そうしたわけで、この状態にある本は定価の倍、あるいはそれ以上の価値があると私は信じていますが、この本何とブックオ○の100円コーナーに置いてあったんです。あのお店は、主に本の保存状態だけで値段をつけるところがあるので、大量に書き込みがしてあったりする本は問答無用で100円コーナーに飛ばされてしまうケースが多々あるわけです。これも例外に漏れず、最初から100円に廻されてきたに違いありません。

多くの場合、書き込みだらけの本はそのような扱いが妥当なのかもしれませんが、参考書のように、書き込みがあってくれた方が理解の助けになりありがたいこともあるので、そのような本を古本屋で安く見つけられれば、安くてかつ有用という二重の幸運にめぐり合えたようなものですね。大学の教科書なども、場合によっては線が引いてある方が一夜漬けの勉強には効果を発揮するかもしれません。

何にしても、一概に線や書き込みがあるから駄目だ、とは言えないようで・・・。

| | コメント (5)

恋愛要素の薄い小説

前回の記事で、自分が好んで聴く音楽は恋愛要素がほとんど含まれていない傾向にあると書きました。人間は自分の経験のない事柄に対してはどうしても理解するのが難しくなるわけで、そういう意味では、それもさもありなんと言ったところなのかもしれません。

さて、前回は音楽について書いたわけですが、それから考えてみると、小説についてもその傾向がかなり当てはまるように思えてなりませんでした。つまり、私が読む小説の多くは、恋愛要素が皆無かあるいは含まれていてもほんの少しオマケ程度に含まれているに過ぎないという傾向にあると気付いたのです。

私が好きな小説の一例―『ドン・キホーテ』『宝島』『地底旅行』『黄金仮面』『陰陽師』『ロビンソン漂流記』『シャーロック・ホームズ』…。いずれも恋愛要素の非常に薄い作品ばかりです。少なくとも二回以上繰り返して読む作品はその手の作品が多いような気がしますね。別に恋愛小説などを毛嫌いしているわけではないし(たまには少女マンガ含めて読みますし)避けているわけでもないのですが、気が付いたら上記のような作品ばかり読み漁っている自分がいます。

それに反して、現代作家の学園物小説なんかはほとんど全く読まずにきました。しかし、考えてみれば、そうした選り好みが、自らの非リア充ライフに拍車をかけてきたと見ることもできます。話題を広げるためにも、そうした作品にも興味の幅を広めていくべきなのかもしれません。残り半年も大学生活は残されていませんが、せめて空想の世界だけでも、リアル充実系大学生のキャンパスライフを擬似経験してみるのは悪くはありません。そういうわけで、現代作家の学園小説でも探してみましょうか・・・。

| | コメント (4)

歴史の奇跡ジャンヌ・ダルク

今日図書館で中公新書から出版されている『ジャンヌ・ダルク』読みました。

ジャンヌについての歴史は恥ずかしながら「少女が兵士を導いてフランスを救った」という簡単なこと以外はほとんど何も知らなかったため読んでいて驚きの連続でした。

フランスの小さな町に生まれ育ったジャンヌは幼少の頃から宗教心の強い子であり、ある年齢に達した頃から「神のお告げ」を聞くようになったという。そのお告げの内容は「あなたは将来王太子を戴冠させ、フランスをイギリスによる圧迫から救うことになる」というものだった。その託宣を聞きながら育った彼女は18,9歳になると遂に親に黙って町を飛び出し神によって教えられた街に行き、役人に会い事情を説明する。当然最初は相手にされなかったが、少女の熱意やカリスマ性に心を動かされ多くの人が彼女を神からの使いとして信用するようになる。やがて王の戴冠も済ませ、軍を率いてイギリス軍と戦いその卓越した指揮と判断力により各地で奇跡的な勝利をもたらす。そして最後はイギリス軍にとらえられ、火刑に処される。

この本によればジャンヌは初めから「自分が活躍できる期間は一年ほどしかない」という神の声を聞いていたという。その預言は後に実現することになる。

彼女の生涯はこのように多くの謎と神秘に満ちています。そこにはもちろん、キリスト教的な伝説・神話として幾分誇張されたエピソードも含まれているのだと思います。しかし、ジャンヌという女性が突然現れ、フランスを奇跡的な勝利へと導いたという事実自体は疑いようのないもので、それ自体が正に歴史の奇跡としか言いようがありません。

キリスト教的聖者としてもまた歴史的な人物としても私はこの謎の多い一人の女性にすっかり魅せられてしまいました。これを機に色々と彼女に関する文献を漁ってみようと思っています。

| | コメント (2)

『ファーブル―昆虫と暮らして』(林達夫編訳・岩波少年文庫)

この本は昆虫研究で有名なファーブル先生の自伝である。とは言っても、ファーブル自身がそのために著した本ではなく、その主著『昆虫記』の中からファーブルが自らの生涯について語っているところを訳者がピックアップして編訳したものとなっている。

『昆虫記』と言えば原典は10冊にも及ぶ大著である。それは知らない人にとっては学者向けにかかれた堅苦しい専門書のように思われるかもしれない。しかし、実際はそうではなく、彼自身述べているように、これらの本は大人よりもむしろ子供に向けて書かれている。それは内容が幼いという意味では無論ない。子供でも分かるほど大変分かりやすい流麗な文体でその文章が綴られているということである。ファーブル自身、学者特有の堅苦しい表現こそ高級だといった一種の権威主義に対して反発を感じていたし、彼は子供を愛する人間でもあったので、将来を担う子供たちに自然の神秘について興味を持ってもらいたいと考え、そのような形で、この不朽の名著を残したという。学者ぶったところのない文章であるというのは、彼の素晴らしい生涯に興味を持つ者にとって大変幸運なことであったと思えてならない。なぜならば、論文とは違い随筆風の自由なスタイルで書かれているため、ところどころ思い出話などが散りばめられていて、それが彼の思想や生活習慣を知るための助けとなっているからである。

彼は今でこそ世界的に有名な昆虫学者として知られている。そして、当時も名の知られた学者であった。それでは、その名声に応じた人並み以上の豊かな生活を送っていたのかというとこれはとんでもない。人並みどころか、生涯にわたって貧乏神にとりつかれ、その日のパンを稼ぐのがやっとな状態の中ですごしていたのがこの偉大な学者の一生なのであった。

私は、これから何回かに分けて、この尊敬すべき昆虫学者の生涯について、編訳者の章立てに従いながらその思うところを話していこうと思う。

(続く)

| | コメント (6)

格差社会と恋愛(2)

『下流社会』の著者やその他何人かの研究者の調査によると、既婚率と所得には明らかな正の相関が見られるのだそうです。

今日本では晩婚化が進んでいて、20代で結婚にいたるカップルの方が珍しくなりつつあるところがありますが、高収入者だけで見るとそうでもなく、年収700万以上稼いでいる層は20代でも6~7割、そして30代にもなると9割ほどが既婚者(離婚者も含む)なのだとか。

そういう傾向が生じつつあるとしたらこれは大変です。結婚ですらほんの一握りの人間しか経験できない社会になってしまうかもしれないからです。

ここで恋愛についておおまかに二つの種類に分けて考えてみます。一つ目の恋愛が純粋なそれ、つまり何の打算もない恋愛感情だけで付き合いを決めるような恋愛らしい恋愛。これは一般的に言って10代~20代前半までの恋愛だと言えるかもしれません。そして二つ目が、結婚まで視野に入れて付き合うため、相手の社会的地位や収入などといった、恋愛感情以外の打算がからんでくるような「大人の」恋愛。(もちろんこれはおおまかなもので、10代の恋愛にだって打算はあるでしょうし、30代の恋愛に愛情は皆無だと言いたいわけではもちろんありません)

この二種類の恋愛のどちらにも現在格差が生じてきているように思えてなりません。

まず前者について考えると、打算のない状態での恋愛市場は、女性はどうか知りませんが、男性について言えば主に容姿やコミュ力という基準で大きな格差が生じています。それらの優れた男性は多くの女性と付き合っている傾向にありますし、そうでない場合は、大学を卒業するまでいない歴=年齢のままで終わってしまうこともまれではありません。

この格差は以前から存在していたものなのかもしれません。しかし、後者はどうでしょうか。昔はよほど性格や社会的状態に問題がなければ、誰でもある程度の年齢になれば見合いという形で無事に結婚相手を見つけられていたのではないでしょうか。

ですが、見合い結婚に替わり恋愛結婚が主流になってきた今となってはそうとも言えないようです。相手にとって納得のできる男性でなければ結婚できないとなると、低収入の男性が恋愛結婚をすることは非常に難しくなってきます。そして、よく言われているように、収入面でも格差がこの先広がっていくのであれば、恋愛市場(結婚)からあぶれてしまう男性はどんどん増えていくでしょう。そして結果ますます少子化が進んでいく…。

日本の将来はどうなってしまうのか不安でなりません。

| | コメント (10)

読書感想文はアマゾンで…

小島 寛之 / ダイヤモンド社(2006/09/29)
Amazonランキング:2420位
Amazonおすすめ度:
独学用入門書に最適
本当に
丸暗記統計学からの脱却のために

         

          

  

 

  

アマゾンデビューを果たし、今少しずつではありますがレビューを増やしていっています。以前、本を読むたびに簡単な読書日記をつけていた時期がありましたが、いつしか飽きてやめてしまいました。せっかく書いた文章も誰も読んでくれないとなるとやる気も失せてしまうもの。その点アマゾンでは、感想を書けばいつか誰かが読んでくれる。そう思うと、色々とレビューしたくなってきます。上に挙げた本は、統計学の本としてお薦めする本です。難しい数式を一切排除して、できるだけ分かりやすく統計学の基礎を説明してくれています。大学で統計学の授業があり手を焼いている方は是非一読してみてください。

| | コメント (3)

電車の中は図書館

電車の中で本を読むためには、いくつか条件があります。

まず一番大きな要因は乗車率でしょう。極端な話、朝の通勤ラッシュの車内ではとても本など読めたものではありません(それでも世の中にはあの過酷な状況の中で新聞を読むサラリーマンもいるわけですから驚いてしまいます)。ある程度車内に余裕がなければ本を読む気にはなかなかなれないものです。理想的な状況は、ドアのところのコーナーに寄りかかって読むことです。ここだと電車の揺れをそれほど気にせずに読書に熱中できます。

第二の要因は今言った電車の揺れです。揺れが激しいと、字を追うのに疲れてしまうし、集中力も途切れてしまうものです。コーナー以外の場所だとバランスを取るのにも苦労させられます。

そんな条件さえ満たされれば、電車の中は読書には最適な空間だと私は思います。私は運よく上のような条件に恵まれましたので、毎日通学時の電車内は読書に時間をあてています。

しかし、幸か不幸か通学時間が短いため、片道で読書できる時間はホームでの待ち時間を含めると30分、往復で1時間程度。本を読みながら目的駅に着いた瞬間だけは、もっと電車での通学時間が長ければよかったのに、という贅沢な思いにとらわれてしまいます。

通学時間が長く、しかも上の条件を満たしているような方も世の中にはいて、大生板で以前見た書き込みでは、片道で2時間電車に乗っているという方もいました。そして、その方は、毎日車内で読書をしていて、往復4時間も時間をとれるわけですから、一日一冊ぐらいはゆうに読める、と言っていました。朝早く起きなければならない、などの様々な不便はあるでしょうが、これだけの読書量を半強制的に確保できるという点だけで言えば、このような生活も不幸だけではないように思えてなりません。

電車内で本を読む習慣のある方なら分かるように、電車内の読書は図書館での読書以上にはかどるものです。長時間通学にせよ短時間通学にせよ、電車内で本を読めるような状況にあるのでしたら、車内では本を読んで時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。チリもつもれば山となるという喩えにもあるように、仮に短い空き時間であっても毎回本を読むことにあてれば年間でみればかなりの読書量になるはずです。最近流行りのライトな新書や小説など特に、こういう合間の時間に読むのに最適かもしれません。

| | コメント (3)

amazonレビューに挑戦

アマゾンデビュー果たしてきました。

大学生活板でアマゾンと言えば、何と言ってもホットカルピスさんです。何年か前にアマゾンデビューを果たし、それから今まで、当初誰もが予想した以上の「成果」を上げてきました。数々の名レビュー(そして時には迷レビュー)を残し、そのいくつかは、板でも繰り返しコピペされ住人の話題を集めています。

彼の書くレビューはあまりにも過激なため、しばしばアマゾン側によって削除されてしまっているようですが、それにも関わらず、今現在、実に1000以上ものレビュー数を誇っていてその勢いは他の追随を許しません。アマゾンを利用した方ならおそらく一度はホッカルさんのレビューを見たことがあるのではないでしょうか。

そんなホッカルさんの活躍を見ているうちに、私もいつしかアマゾンデビューをしてみたいと思うようになりました。もちろんホッカルさんのように大々的に活動するわけではなく(二番煎じはつまらないものですし、ホッカルさんのペースには追いつけません)、せいぜい数日に一つレビューできればよいぐらいの平均的なレビュアーの一人としてです。

レビューを始める理由は、一つにはまた新しいことに挑戦してみたいという好奇心もありますし、それ以上に、魅力を感じるのは、それが文章修行としても最適だからです。

レビューを始めれば、普段めったに書かない読書感想文をなかば強制的に書くきっかけにもなり、自分のためにも役に立ちそうです。これから読む本だけではなく、これまで読んだ本も思い出したりアマゾンで見かけたりしたら次々とレビューしていくつもりです。「レビューを書こう」という貪欲な気持ちでアマゾンを見れば、これまでとはまた違った楽しみも湧いてきそうというものです。

| | コメント (2)

粗にして野だが卑ではない

作家の城山三郎氏が今週亡くなられました。

城山三郎氏と言えば、言うまでもなく伝記や経済小説を多数残した文筆界の巨匠の一人です。恥ずかしながら私はこれまで一冊も氏の作品を読んだことがなく、今回の訃報に接し、色々と調べてみて初めて代表作や経歴などについて知ることができました。

上の言葉も今回の件で知ったのですが、氏の作品のタイトル(『粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯』)となった言葉だということです。気になったので調べてみると、これは元国鉄総裁であった石田氏が自身の生涯を語るときに実際に口にした言葉なのだそうです。

「粗にして野だが卑ではない」この言葉を見たとき、思わず私はハッとさせられてしまいました。私が前々から漠然とながら思い抱いていた理想的な姿の一面がそこにあると思ったからです。

この逆の行き方をする人間も世の中には数多くいます。つまり一見すると上品で洗練されているようだが実際は卑怯な人間…。どれだけ見栄えがよかったとしても、そんな人間は本物とは言えないでしょう。

例えば、相手によって態度を変えるような人間―強い人間に媚びへつらい、弱い人間に高圧的になる―などは卑な人間の典型だと言えるでしょう。しかし、これは見ようによっては、動物の本能的な姿だとも言え、加えて人間の精神的な弱さを考えれば、このような動物的な態度に陥ってしまう危険性は万人にあると言えそうです。彼らの卑しい態度は、自分にそのような傾向がないかを見るための、まさに他山の石であります。

反対に、たとえ少しばかり「粗いして野」であっても、卑怯な振る舞いがない人間は本物だと言えるのではないでしょうか。

アメリカ人は卑怯な振る舞いを最も嫌うと聞きます。そして、我が日本国でもかつてはそのような美徳が通用しておりました。それが最近では、失われつつあるように感じるのは気のせいでしょうか。人間としての美しく正しい生き方を考えるためにも、この機会に城山三郎氏の作品をいくつか読んでみようと思っています。

氏の冥福を心からお祈りします。

| | コメント (2)

『硫黄島からの手紙』

そんなタイトルの映画が公開されたのは記憶に新しいところです。

先日書店に行くと同名の書籍が新刊コーナーに並んでいるのを目にしました。最初、あの映画のノベライズ本なのかと思って著者名を見てみたら何とそこには「栗林忠道」とあります。この名前を聞けば戦史に詳しい方や例の映画を観た方なら誰でもこの方がどのような人物か思い浮かぶと思います。そうです、栗林忠道とは硫黄島で総指揮を執り名将と呼ばれた「栗林中将」のことです。

中将は、硫黄島で司令を下しながらも、折に触れて家族に愛情溢れる手紙を送り続けていて、それらのうち現存している手紙をまとめたのがこの本の内容であるようでした。数ページ立ち読みしてみて、これは買って読まなくてはならない本だと判断し、即買いしました。

帰宅してから内容に目を通してみて、まず最初に驚かされたのが著者(を含む当時硫黄島に派遣された日本軍兵士の)精神力の強さです。映画を観られた方ならご存知の通り、まさにあの戦場は地獄と呼ぶにふさわしいほどの凄惨極まるものでした。それにも関わらず、中将は決して弱音を吐きません、それだけでなく、家族の先行きを心配するほどの気遣いを示しています。自身はもう、まず生還は無理だろうという絶望的な状況下にありながら、自分よりも家族を優先させる姿勢に父としてのあるべき姿を見せられたような気がしました。

この本では収録された手紙が時系列順に並んでいるため、後半にいけばいくほど、事態は絶望的になっていきます。初めは数日に一度だけだった爆撃も徐々に回数を増し、いつしか連日、それも一日に何度も爆撃を受けるようになっていきます。そうなると、当然当事者の方々も追い込まれていくわけで、それに伴い精神状態もいよいよ悲愴感を増していくものです。

こうして本で読んだだけでは、自身死がひしひしと迫ってくる恐怖を本当に理解することはできませんが、想像力をできるだけ働かしてみて自分をそのような状況下に置いてみると、少なからず恐怖は感じます。戦争自体非常に恐ろしいものであるのに、硫黄島の戦いは生還の可能性がほぼ皆無であったわけですから、恐怖心の大きさは通常の戦闘の比ではなかったと思います。我々と同年代の若者が当時、そうした大きな恐怖を乗り越えたのだと想えば、自然と頭が下がります。

今はただ、硫黄島で斃れた多くの日本兵そしてアメリカ兵に黙祷を捧げることぐらいしかできそうにありません。

| | コメント (0)

『日本の星之助』

『日本の星之助』という本を読まれた方はいらっしゃるでしょうか。

この作品はあの著名な作家大仏次郎さんの子供向けに書かれた作品で、発表されたのは戦前のはずです。戦後は昭和60年頃に「国書刊行会」という出版社から復刊されたようで、私はそれを古本屋で見つけ、昔の作品が好きな私は迷うことなく購入しました。

購入したのはもう数年前で、その時にも一度読んだわけですが、一昨日本棚に並んでいるのを見ているとなぜかその本が気になってしまい、何となく手にとって本を開いてみると、数ページ読んだらまた本棚にしまうつもりがすっかり作品にひきこまれてしまい、結局気付いたら最後まで読み通していました。

話の筋は、勇敢な少年星之助が、海賊によって囚われの身となってしまった父親を、仲間と協力しながら助け出しにいくという冒険小説です。

ストーリー自体はありがちな冒険小説かもしれませんが、それなのになぜ私がこの作品に魅せられてしまったのかというと、ここでは以下の二点を挙げたいと思います。

①模範的文章

著名な作家が書かれただけあって、その文章は非常に秀逸です。俗な表現や汚い言葉などはほぼ皆無で、国語の教科書に載っていてもおかしくないような模範的な文章で綴られています。評価のまだ定まっていないような最近の作品を国語教科書に載せるぐらいなら、こういう作品をこそ教科書に載せるべきだと私は固く信じます。

②随所に散りばめられた警句・金言

読んでいると所々にハッとさせられるような言葉に出会えます。例えば、今も覚えているのが、途中立花先生という頼もしい侍が仲間になるのですが、その立花先生の言葉でこんなのがありました。「男はどんなときでもうろたえてはいけない。うろたえると普段持っている力の半分も発揮できない。どんな状況でも冷静でいられるように常日頃から鍛えておくべきだ。」これは戦前の教育のプラスの部分が反映された発言であるように感じます。別の表現で言えば、武士道的精神(という名のキリスト教的精神)に基づいて作品が書かれており、そこに私は大きな共感を覚えずにはいられないのです。

 

戦前生まれの人間の作家による子供向けの作品は傑作揃いです。ここで挙げた大仏次郎さんはもちろん他にも江戸川乱歩さん横溝正史さん南洋一郎さんなどが『少年倶楽部』などに多くの傑作を発表され、それらの多くが後に復刊され今も読むことができます(時代が時代だけにほとんど絶版となっていますが)。古本屋でもたまに見かけますし、図書館に行けば置いてあるでしょうから、興味のある方は是非読んでみてほしいと思います。

| | コメント (0)

日帰り東京探索

先週、ブック○フの新しい店舗が大森駅近くにオープンしました。今日は、一体どんな感じなのかを視察しに、その大森店に行って参りました。

ブック○フの新店舗で期待できるのは、所謂「貴重本」です。プレミアがついた本や昔の隠れた名著などが明らかに市場価値よりも低い値段で(場合によっては100円で)大量に置かれているのです。この古本屋には「プレミア」という概念がなく、基本本の状態だけで値段をつけてしまうので、少しでも汚れた本は即100円コーナーに置かれますが、絶版本系はたいていどれも古くそして汚れが付着しているために100円コーナーに置かれやすくなります。そのためオープン初日の店舗では、そこ彼処で携帯を片手に熱心にプレミア本を探す「せどり屋」さんの姿を見かけると聞きます。

もうオープンから一週間経っていてはそういったプレミア本はあまり期待できそうにありません。しかし、私が欲しいのはプレミア本ではなく、普通の古典本なので、そういう心配は無用です。古典系の本も、版が古かったりすると状態が悪く100円コーナーに回してくれます。今日はそれを求めて大森店舗に足を運びました。

大森店に着き店内に入ってみると、流石大型店舗だけあってかなりの広さで、なかなかの品揃えでした。全ての棚を見て廻りたかったのですが、そんな時間があるはずもなく、今回は100円コーナーを中心に探すことにしました。読みたいなと思う本は数あれど、短期間にそんなに沢山の本が読めるはずもないので、これだっと思った本を5冊ほどピックアップして購入しました。

何十冊も本を買って結局その半分もまともに読み通せなかったなどという苦い経験も過去に何度もあります。お金はもちろん、部屋の本を置けるスペースも限られているわけですから、最近はあまり無駄に本を買わないようにしています。数ページ立ち読みしてみて、最低でも最後まで読み通せそうな本、できれば何度も読み返したくなるような本を選んで買っています。立ち読みで一ページ読んだだけで飽きてしまうような本を最後まで読み通すことなんてまず無理でしょうからね…。

| | コメント (2)

「健全な」作品を読む

大生板でスレが立っていてのに触発されて、久しぶりに江戸川乱歩の話をします。

江戸川乱歩と言えば、小中学生の頃、少年探偵シリーズに熱中した過去をお持ちな方も数多くおられるのではないでしょうか。

乱歩が残した作品のジャンルは多岐にわたっていて、正統的な探偵小説から変態的な性癖を綴った小説まで実に様々です(実はそんなに沢山の作品を読んだわけではないのですが)。

私は乱歩作品のファンですが、読む(好きな)作品はなかなか偏っています。作品名で言えば『黄金仮面』や『地獄の道化師』『心理試験』など、少年探偵と同じくより大衆的で「健全」な作品ばかり好んで読んでいます。

変態的な小説を書くのを好んだという乱歩が健全な作品を書いたのには色々と理由があるようです。もちろん、そうした小説も書いてみたかったからという純粋な理由もあるのでしょうが、ある種の作品を書くときにはだいぶ自分の性癖を抑えなければならなかったといいます。

そこまでして「健全な」作品を書いた理由は、子供向け小説であったり、大衆的な雑誌に掲載されていたために表現が規制されていたり、戦争中は軍部の圧力を受けたりしたから、なんだとか。

最後の例は、作中にその影響をうかがわせるような文章や表現が盛り込まれていたりで今読むと違和感を覚えてしまいますが、そのおかげで所謂「エログロ」が減じているのは確かです。

あまり倒錯した内容が好きではない私は、そうした健全な作品に強く惹きつけられてしまいます。

変態的な作品の方に乱歩の真骨頂が秘められているというような指摘をされる方もいますが、私にはまだそういった世界を理解するだけの能力は備わっていないような気がしてなりません。

| | コメント (0)

プレミア概念のない古本屋

838 名前: 読書くん ◆syB2oUkKNs 投稿日: 2007/02/06(火) 21:03:47
ブック○フは本の状態で値段をつけるので、少し昔のボロボロになった名著・古典などはほとんど100円コーナーに置いてあります。
その手の本が好きな人間にとってはブック○フは激安宝石店のような古本屋です。
市場価値が数万するプレミア本も100円で売られたりしているみたいです。
 
 
 
昔も少し書きましたが、今流行のブック○フは本の状態で商品価値を判断しているらしく、古い本や汚れた本などはほぼ例外なく初めから100円コーナーに並ぶことになります。そして、古い本の中には数多くの貴重な本が紛れ込んでいて、100円コーナーを探していると、まれに嬉しい発見があるものです。
専門書などは、神保町で購入すれば数千円もするような本が100円コーナーに並んでいたりします。神保町では基本的に専門書は古ければ古いほど値段が上がっていくものですが、ブックオフではその逆で新しくて綺麗な本が(学問的な評価は高くなくても)高い値段で売られています。
一般書でも基本プレミアの概念はないため、ネットオークションで売ると数万円するような本を100円コーナーで見つけることもないとは言えません。聞いたところでは、そのような取引に勤しみ小遣いを稼ぐ「転売屋」が各地にいるのだとか。将来ニートなどになってしまい、生活が苦しくなりそうなときにはこのような手段も考えてみるべきではないでしょうか。
ただ、ここで本やDVDを売るのはあまりお勧めできません。以前2chで、コナン全巻をブック○フに売りに行き、10円玉一枚を手にそそくさと帰宅するという皮肉に満ちたAAがありましたが、確かにあの店の査定はかなり低めです。文庫本や新書本なら10円20円は当たり前。状態が悪いと買取り拒否となります(と言ってもたいていはその場で処分してもらうもので実質タダでの買取り)。いらない本を処分したいとき以外は何か別の手段で売ったほうがお金にはなりそうです。

| | コメント (3)

活字離れとは言うけれど…

『バカの壁』『他人を見下す若者達』『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』。これらは皆ここ数年で爆発的に売れた新書のタイトルです。

若者、というよりも日本人全体の活字離れが進む中で、新書とライトノベルだけは売り上げを伸ばしていると聞きます。

特に新書はここ数年一種の流行ともなっていて、これまで新書をもっていなかった出版社がこぞって新書を立ち上げるなどという現象も見られました。

新書ブームに火をつけたのは私の記憶する限りでは上に書いた『バカの壁』であったと思います。

この本を含め、最近売れている新書の特徴を挙げてみると

①文章量が非常に少ない

②タイトルにインパクトがある

といった共通点があります。

①これまでの伝統的な新書―岩波新書、中公新書―と比べると、文章量がはるかに少なく、かつ、文章もブログのような軽い文章で書かれているためそれほど気張らずにスラスラと読み進められます。一ページも飛ばさずに読んでも4時間もあれば最初から最後まで読み通せるのではないでしょうか。

②最近の新書は人目を引かずにおかないような変わったタイトルをつけるのが流行っています。上に挙げた新書の他にも『頭のいい人の話し方~』『99、9%は仮説』など思わず手にとってしまいそうな好奇心を刺激するタイトルが書店には並んでいます。どれだけ中身が優れていても、誰も読んでくれなければ無意味なことを思えば、出版社がタイトルを工夫するようになったのは賢い戦略だと思いました。

以上をまとめると、そのとっつきやすさと好奇心を刺激するようなタイトルが合わさって、今あるような新書ブームが生み出されたのでしょう。

次はどんな新書がベストセラーになるのか楽しみなところでもあります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

読書の際のBGM

今日もまた、夕方からファーストフード店に立ち寄り、バーガーを一個だけ頼んで二時間ほど本を読んでいました。

喫茶店やファーストフード店での読書は私の趣味のようなものですが、その際に重要なのは店内にかかっているBGMです。

その種類によって、読書がし易かったり、反対に妨げられたりしてしまうのです。

では、どのような音楽が前者で、どのような音楽が後者に属するのでしょうか?

まず、前者の代表例はクラシック音楽やジャズなどです。こういう音楽がかかっているお店は大体少し高級目のところが多く、読書に最適とは言っても気軽に入店できない欠点はあります。私がこれまで入った最も高級な喫茶店は、コーヒー一杯で600円もとられました。その分、店内の雰囲気はよく、客層も「高級感」はありましたが、学生には少々身分不相応の感はあり、それ以来一度もこの喫茶店は利用していません。

後者の代表例はJポップ、と言うよりも、日本語の歌付きの音楽です。英語であれば、意識しなければ意味も分からないので大して読書の邪魔にもならないのですが、母語の日本語ですと、意識せずとも意味が理解できてしまうので、どうしても音楽の方に意識の一部が傾けられてしまうのです。Jポップが流れている喫茶店などは、読書目的のときにはあまり利用しないようにしています。

喫茶店やファーストフードで一番多いのは、クラシックでもJポップでもなく、洋楽であるような気がします。洋楽は、読書のためには最適なBGMでも最悪なBGMでもありませんが、それほど気にせず読書に集中できると思います。私が普段利用する店はほとんどが洋楽を流しているお店です。

皆さんも一人で読書のためなどで店を選ぶ際はBGMなども参考にしてみるとよいのではないでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ガリバー旅行記

今日(正確にいえば明日)の深夜3時頃からテレビ東京で『ガリバー旅行記』の映画があるようですね。

深夜の時間帯はこのように、たまに名作映画を放送してくれるので侮れません。

もちろん私も観るつもりですし、余裕があれば2chで実況していきたいと思っています。

ガリバー旅行記といえば今ではもう古典的作品として名前を知らない人はいないでしょうし、ガリバーが小人に張り付けにされるシーンなどはあまりにも有名で誰でもが知っているでしょう。

しかし、原作を最初から最後まで読み通したことのある方は案外少ないのではないでしょうか。

私も以前興味を持ったときに本屋で手にとって読んでみたのですが「旅行記」というだけあって、本当に日記的な文章でかかれていて、はっきり言って退屈極まりなく、とても最後まで一気に読み通せそうではありませんでした。

何かで読んだことがありますが、このガリバー旅行記は読み始めても途中で挫折する人の多さで有名な作品なんだそうです(確か)。

読むのであれば、子供向けにリライトされた作品で読んだ方が、作品の面白さという点だけで見れば優っているかもしれません。

ただ、原作の方は社会・政治などへの激しい風刺を含んでいるようなので、娯楽としてだけではなく勉強のためにも近いうちに一度は読んでおきたいとは思いますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プレミア本が稀に・・・

今急速な勢いで店舗を拡大する某古本チェーン店。

2chでは色々根拠のあやふやな疑いをかけられていますが、私はよく利用します。

このお店は、販売に関して画期的とも呼べる方法をとっていて、それは、本を買い取るときにはその本の市場価値などはとりあえず置いておいて、本の保存状態だけで値段をつけ、売るときには、原則低下の半値、そしてしばらく棚に置いて売れ残った本や、買い取ったときに状態が悪かった本などはすべて100円で販売するという形をとっています。

これまでのやり方では、本の査定は素人には非常に難しいものでした。

しかし、この方式であれば、本の状態のみを見ればよいので、誰でも査定ができます。

そして、これこそがこの古本屋が発展した大きな理由の一つなのでしょう。

この方法はメリットもあると同時に大きなデメリットもあると思います。

その一つは本のプレミアを度外視してしまっていることです。

ボロボロの本などは問答無用で100円コーナーに回されるわけですが、それらの本の中には絶版になっていて今では書店では手に入らない貴重本もたまに含まれています。

私が見つけて即購入した本は、例えば横溝正史の少年探偵小説の文庫本があります。

100円で買ったこの本は、他の古本屋で見ると800~1000円が相場であるようです。

聞いた話によると、数千円クラスの貴重本が100円コーナーで粗末に眠っている場合もあるとのことです。

本でも何でも、市場価値をはるかに下回る値段で品物を購入できたときは嬉しいものですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『知的生活の方法』(講談社現代新書)

昨日、渡部昇一氏の名前を出したので、氏の本をここで一冊お薦めしておきます。

私がこの本を読んだのは、高校生時代であったと記憶しています。

示唆に富んだ数多くの指摘のうちで、特に私が感銘を受けたのは、どのような本を読めばよいか、という点に関してでした。

氏は、まず本(小説)を選ぶ際のポイントとして「自分を偽らないこと」を挙げています。

これはどういうことかと言えば、自分が分からないのに分かったようなふりをしない、ということで、つまり、読んで分からない本は自分の知的レベル・人生経験を超えているのだから無理にそうした小説を読む必要はない、ということです。

氏は、かつて上智大学の教授を務めておられ、多くの受験生の面接に立ち会ってこられました。面接で、必ずと言ってよいほど聞かれるのは趣味に関してです。そして、こういう場合の定番の趣味として「読書」が挙げられるものです。それに対して、氏が、「では愛読書は?」という質問をぶつけると、これまた優等生的に「夏目漱石です」という答えが返ってきたそうです。

こういう応答を聞いていて、氏は苦笑を禁じえなかったと書いておられます。たかだか18年ほどしか人生経験のない人間で、漱石を理解できる人間などはめったにいるものではないし、氏自身も、漱石を読み面白いと思えたのは30も過ぎたころだったそうですから。

そのかわり、一度面白いと思えるようになってからは、漱石の作品はほぼすべて読破した、とも書かれています。

これは、読む小説を選ぶ際に、非常に大事な視点であると思います。

小説とは、本来人を楽しませる目的で書かれたことを思えば、面白くもない小説を無理に読み進めることは、それほど益があるとは思えません。

例えば、小学生の頃に、古典作品を無理やり読まされて、それがために読書嫌いになってしまった、というような本末転倒な例も多くあるのではないでしょうか?

子供の頃は特に、子供が読んで面白いと思える本(とは言っても、批判力のない子供である以上、俗悪本の類を避けなければならないのは言うまでもありませんが)を読ませることが、真に読書の好きな人間を育てるためには必要不可欠であるのだと私は思います。

若者の読書離れは深刻です。若者を再び読書へと向かわせるには、読書が義務・勉強ではなく、楽しみであるという意識を植え付ける以外にはありません。

そのためにも、この書が、これからも多くの方に読み継がれていくことを私は願ってやみません。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

図書館で借りればタダだけれど・・・

今日また古本屋に行き、本を買ってきました。

よく周りの方から「買ってばかりいないで図書館で借りでもしたらどうか?」と提案されることがしばしばあります。

確かに、本を全く買わずに、すべての本を図書館で借りたならば、私の今現在の貯金は、莫大な額になっているのは間違いありません。

しかし、あくまで私は本は「買って読む派」の立場を貫き通したいと思っています。

その理由はいくつかあります。

まず第一に、お金を払って買うのと、無料で図書館から借りるのとでは、本に対する「ありがたみ」が違います。ただで借りたのであれば、読まないまま返しても何も感じませんが、買った本であれば、読まないで放置しておくのは勿体無い気持ちになります。

そして次に、借りた本は、自分の好きなときに読み返せない、という点です。これは場合によっては致命的な欠点となりうると思います。その日の気分により、ある時突然、以前読んだある本が読みたくなったりする瞬間が来るのは誰でも一度か二度は経験があるのではないでしょうか。もしもこの時に、本棚にその本がなければ不幸です。なぜなら、きっと次の日にはもう、その本を読みたいという情熱は冷めてしまっているでしょうから。(このことは、渡辺昇一氏が『知的生活の方法』の中で語っていました)

第三に、本で埋め尽くされている部屋を見ると、なぜだか満足感を感じてしまうという理由があります。私の部屋は、タンスや勉強机、テレビなど最低限必要なものの他は、基本本ぐらいしかありません。本棚にギッシリと本が揃っているだけではなく、床にも綺麗に整理して本を積み重ねてあります。私は、本に囲まれた場所に安心感得る一種の活字中毒者です。

このような理由で、私は原則として本は借りずに買うようにしています。しかし、あまりにも部屋の中が乱雑になってしまうのは嫌なので、今後読み返しはしないだろう本で思い入れの少ない本については古本屋に売っていこうと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

神保町に魅せられて

今日書く内容は、昨日の続きのようなものです。

私は昨日、千鳥ヶ淵で戦没者に哀悼の意を捧げた後、そのまま帰宅したわけではなく、歩いて神保町まで行き、本を探し回っていたのです。

しかし、相変わらず神保町の凄さには圧倒されます。一体あの狭い区域の中に何軒の古本屋がひしめき合っているのでしょうか?大通りを歩いていると、10軒ぐらい連続で、一階店舗が古本屋であったりします。

しかも驚くのは、一回の店舗が古本屋であるのにとどまらず、ビルの全フロアに古本屋が入っているケースもあったりすることです。

秋葉原で、アニメイトがビルの全フロアを占有しているのを見たときと同じぐらいの衝撃を受けました(一応言っておくと、私はアニメイト会員ではありませんw)。

あれだけ古本屋が密集していると、ガイドブックでもない限りは、効率よくあの街を歩き回るのは不可能な気がします。

それでも時間の許す限り、色々な古本屋を巡り、この街でしか手に入らないであろうレア本を中心に買い漁っていました。

ところで、わざわざ遠くから神保町まで本を買いに行くのであれば、どのような本を買うべきでしょうか?

もちろん「正解」などはありはしないし、各人が自分の好きな本を買えばいいのは当たり前の話ですが、私の買い方は、上で書いたような買い方、つまりここでしか見つからないような本を中心に買う、というものです。

なぜなら、どこでも売っているような本であれば、近所の古本屋やブックオフでも買えるし、そういう店で買った方が安いぐらいだからです。

秋葉で例えれば、普通のパソコンを買いにわざわざ遠くから秋葉まで足を運ぶような行為である、とも言えると思います。そんな普通の商品を買うためだけであれば、近所の電化製品ショップで充分ではないでしょうか。

秋葉の場合は、普通の商品も安いのでまだよいのかもしれませんが、神保町の場合は、商品数こそ多いものの、それらはお世辞にも安いとは言えませんし、大半の商品が、専門書やレア本などの特殊な物ばかりです。

なので、何か特定の目的なしにこの街に行ったのでは、それほど戦果はあげられないと思います。しかし、それがあって訪れるのであれば、ここほど魅力的な街はまたとありません。どんなレア本であっても、どこかの店に入ればきっと見つかるでしょうから。

皆さんも、欲しいレア本があったら、是非一度神保町を訪れてみてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古書好き読書くん

先月から今月にかけてあまりにも本を買いすぎてしまったかもしれません。

所謂小遣い帳のようなものを私はつけていませんが、ここ一ヶ月ほどで二万円ほどは本に費やしてしまったような気がします。

もちろん普段はそんなには本を買いません。

私は、一度買って気に入った本は繰り返し読む習慣もあり、よほど気に入った本でなければ、古本であっても購入することはなく、通常は月に三千~八千円ほどしか本に対しては使っていないと思います。

私がこの一ヶ月にこれだけ本を買ってしまったのには理由があって、それは、一つは、先月学校のテストがあったので、自習用にテキストを新品で何冊か買ったのと、もう一つは、こうして夏休みになり、暇な時間が増えるので、それに備えて大量に本を買い込んできた、という次第なのです。

私が買う本は、割合昔の本ばかりです。

時代でいえば、1970代以前の本ばかりでしょうか。

その中にはもちろん、古典と称される作品も含まれています。

外国の本であれば、比較的新しい本も読みはするのですが、日本の本は新しいやつはあまり読みません(特に現代文学、村上春樹氏や村上龍氏の作品は一冊も読んだことがありません)。

そのせいで、人と本の話で盛り上がることは苦手です。自分は流行本にはあまり興味がないし、私が興味を持つような内容は、おそらくは大半の方にとっては興味のないことだろうからです。

もっと今の本も読んでみたらどうか、と薦められることもありますが、少なくとも今年の夏は自分の趣味で本を読み続けてみようと考えています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)